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【介護エッセイ】 一致不団結

割引あり

とあるエッセイコンテストに応募して、賞を頂くことができました。

自分の書いた作品が評価されたことは光栄で、今まで感じたことのない嬉しさを感じました。

「介護生活の実際や、ケアラー(家族介護者)の喜び・悩み・本音などについて、具体的なエピソードを交えたエッセイを募集します。」

介護エッセイのテーマ

というテーマで、2,800字以内の作品を募集するコンテストです。

介護で悩みを抱える同世代へ向けて、なにか気づきや共感になればという想いで書きました。またこのエッセイをきっかけにnoteでエッセイを書こうと、そう思った作品でもあります。

ぼくは現在母親とふたりで暮らしています。ふたつ上の兄はいますが、実家を出て遠く県外にいるので、母の介護でキーパーソンとなるのはぼくです。
まだ実際に介護が始まったわけではないですが、介護が始まるきっかになるエピソードをもとに、家族の想いの不一致を描いた作品です。

実はエッセイの公募に応募するのはこの作品がはじめてで、書き上げるのにかなり苦労しました。作品のあとがきや作品づくりの気づきなんかも、後ほど書きたいと思います。

著作権の関係で全文そのままを掲載するわけにはいきません。大まかな構成は変えず加筆したものを掲載していますので、よろしければごらんください。

誠に申し訳ありませんが、無料での公開は一部となります。
この作品は2023年のものです。

【更新履歴】

  • 2024/3/8・・・「作品づくりにおいて意識したこと」具体例を加筆


【作品タイトル】 一致不団結

相手を大切に想うがあまり責任感が強くなり感情的になると、いつしか相手の視点を見失ってしまう。相手に自分の想いを押し付けてしまう。

そんなこと、介護ではよくあることかも知れない。

ぼくと母は、病院の診察室で医師の説明を受けていた。
「心臓にはね、心房という血液を出し入れしている所があります。心房細動はその心房がね、ブルブルと小刻みに震えて起こる不整脈なんです」
「心房細動になるとその心房にね、血栓という血の塊ができやすくなっちゃうんですよ。もしその血栓が血液の流れに乗って脳に行ってしまったら、脳の血管が詰まっちゃいます。要するに心房細動はね、脳梗塞の危険があるんですね」と、医師はゆるやかな心地よいフレーズで耳を背けたくなる言葉たちを並べ立てた。
表紙に「心房細動の患者さんへ」と書かれた小冊子を手に、ぼくと母は医師からの説明を食い入るように聞いていた。

・・・

いきさつはなんの前触れもなく、母からのお願から始まった。
「わたし心房細動っていう病気らしくてね。今度一緒に病院へついてきてくれる?」「このあいだ健康診断を受けたでしょ。心電図が引っかかってね。不整脈あるでしょ。精密検査したら家族と一緒に説明を聞きに来てくださいって」矢継ぎ早で一方的な母のセリフに、ぼくの脳は状況への理解を諦めた。
知らない、まったく知らないよ。健康診断のことも不整脈があることも。そのうえ「シンボウサイドウ」という初耳の病気ときた。すぐさま「わかったよ。で、いつ行くの?」と返事できただけでも満点の返しだろう。
パートをしている車も運転する、見るからに元気な母からは想像がつかない。でも考えてみれば確かに母はあと5年もすれば後期高齢者だ。体のどこかに不調があってまったく不思議ではない。入れ歯を外した時の顎のクシャけた母は、やはりおばあさんそのものだし。そうして文脈を補完して理解が追いつてきたのは翌日を過ぎてから。不仲ではないが、普段から事細かになんでも話す親子ではない。

・・・

ぼくは現在、母とふたりで暮らしている。ふたつ上の兄は実家を出て県外にいる。ぼくが小学校2年生の時に母は父との離婚を決意し、ぼくと兄を連れて家を飛び出した。父は仕事に行かず日中はパチンコをして時間を潰し夜は酒を飲んで母とぼくらに暴力を振るう。昭和の時代でも許されることはないろくでなしだった。母が父親代わり。ヤクルトレディで働きぼくと兄を育てていた。
半日の小学校から帰ってきた土曜日の昼、家の前に一台のタクシーが停まっていて、助手席には無表情の母、後部座席には兄が嗚咽混じりで泣いていて。有無を言わさずぼくも体ごとタクシーに放り込まれた。父がパチンコに興じて家に居ないうちにお金だけ持って3人で逃げた。
ぼくも泣きに泣いた。状況の理解はすぐにできた。父と離れることが悲しかったわけでなく、友達とさよならできないことが辛かった。きっと兄も同じ感情で泣いていただろう。40を越えても、あのタクシーの日のことは感情ごと記憶している。顔が真面目そうにみえる大人になったのは、この体験が影響しているかもしれないなと思っている。あと小学校時代6年間の記憶が一切思い出せないことも。
離婚してから父親の消息は知らない。知ろうとも思わなかったし大人になって感情の整理がついてからも一度も会いたいと思ったことはない。その後の母の苦労を知るようになってからむしろ憎悪している。「ひどい親だったけど、親になってみて考え方が変わって、今なら会ってみたい」嘘つけと。もうぼくの記憶から父は消した。いや一度だけ父が逃げた先の家に来たことがあったか。玄関先で深刻そうに「金貸してくれ」と尋ねてきていた。ぼくは障子越しに父のシルエットを見た。それが本当に最後。ぼくらは母子家庭で育った。
あの頃の母は、ぼくらを守ることで必死だった。引っ越した先は母の姉、親戚が住んでいる街。ぼくらの住まいは、数年誰も住むことがなく取り壊し寸前の家賃1万五千円の掘立て小屋で。ぼっとん便所で風呂は薪で火をくべなければならない。ねずみは天井を走るゴキブリは土壁を這い土の匂いが部屋中充満していて湿気臭い。田舎なわけではない、周りの家は鉄筋二階建ての家が立ち並ぶ郊外の街だ。母はぼくらを守ることを何よりも優先した、が今度は生活苦と戦う羽目になった。

・・・

母の病気の説明を受けるのも将来的に面倒をみるのも、側にいるぼくの役目だと思っている。
面倒をみるのは嫌ではない。芸人をしているとき金の無心を何度もしたし、好き勝手な人生を送ることができているのは母のおかげ、感謝と恩返をしたいと思っているからだ。
実は母の介護を見据えて数年前から具体的に準備を進めている。ぼくはまず、働き方を変えようと考えた。フルタイムで働いていたホームページ制作会社を退職し、半日は在宅勤務でホームページ制作、もう半日は介護職員としてデイサービスで働くようにした。
介護職を通じて介護の準備ができる。介護職はテクノロジーが進化する世の中でも無くならない業種なのでは。在宅の仕事と両立できれば介護離職を回避できるかもしれない。すべて引っくるめて一石三鳥ぐらいの素晴らしいアイデアだと思っていた。後厄が終わり、ゆっくり学び直しができるいい機会だとも思っていた。
けれど唐突な「心房細動」に虚を突かれる。まだまだ準備の最中だってば。

病院で心房細動の説明を受けた日、母は医師に血栓ができにくくなる薬と服薬管理を処方された。翌日から薬の服用と血圧測定が母の日課に加わった。ぼくの頭の中には「脳梗塞」という言葉がこびりついた。

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介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。