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あと一年の命のつもりで生きていく

縁起でもないですけどねー

なんか、それくらいのつもりで生きたいなーって。だって、ぶっちゃけどーなるかわかんないじゃないですか。「えっ、ついこの前までお元気だったのに!?」ってこと、けっこうあるし。それがわが身に起きないなんて保証はどこにもないわけで。


親鸞聖人かな「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」って。ようは、いつ何が起こるかわかんないよと。

かのスティーブ・ジョブズも(余命宣告を受けてからだったか)朝起きて、鏡の前に立って「今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることをやりたいと思うだろうか?」自分に問うてるって。やや極端かなーって気もするけど。ま、でもそーですよね。


たとえば、わたしが今「お腹いたい・・・」となって。

どーもいつもと様子が違う、こりゃ病院だーとなって精密検査したら「ことばと広告さん、落ち着いて聞いてください」って。考えるだけで、気がおもーくなるけど。数日泣いて、一週間ほど寝込んだら(noteも書けないよ、たぶん)きっとこう思うはずなんです。


あかん、こんなことやってる場合じゃないって。こんなことってのは、noteじゃないですよ。

いや、どーだろ・・・そこも含めて「見直しだー」ってなるのかな?ま、なんしか時間の使い方をめっちゃ考えますよね。そう、残り時間の使い方を。心残りはなんだろー?もっと、親兄弟と話せばよかった。甥や姪にこんなことを伝えたかった、友達に会いに行けばよかった。


やっぱ、人かなー?

場所もあるか。北海道のお寿司や味噌ラーメンも食べてみたいし、ああジンギスカンも!羊さんには申し訳ないけど、一度臭みのないラム肉も味わってみたい。沖縄もねー、学生時代に何度か行ったけど。またパイン棒食べてさ、ブラブラしたいよ。飲んだ後の沖縄そば、くーーー


そう思うと、学生んときの友人か。どーしても家庭持って、遠く離れると疎遠になっちゃうけど。

あと一年っていうなら、思い切って連絡取れそう。「急にどしたー?」ってなるだろうけど、ほんとのことは言わないかな。せっかく何年(何十年?)ぶりに会うのに湿っぽくなるのやだし、気を遣わせるのもね。ただしゃべって、ガハハーってそれでいいや。


なんか、書きながら悲しくなってきちゃった。

想像もそーだし、わたし案外いろいろやりたいことあんだなって。人と会おう、いろんなとこ出かけよう。ときどき猫さんも連れてこう。そーだ、猫さんも誰かに託さなきゃ・・・やっぱ、かなしいな。いまんとこお腹痛くないけど、あと一年の命のつもりで生きていく。


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いつもありがとうございます!なんかおいしいもの食べます。