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完璧主義は、百害あって一利なし

と言い切っちゃいましょう。

そりゃ、わたしがガウディなら話は別ですよ。あのサグラダ・ファミリアを設計した、建築家のアントニ・ガウディ。なんかいよいよ2026年に完成だそーで。それが彼の没後100年っていうんだから。ロマンというか、なんともはやって感じですが。えっ(いま調べたら)完成しないの??


ま、そんな歴史に名を残すようなクリエイターなら。どこまでも突き詰めて、完璧なものを追い求めればいーんですが。

わたし、いっかいの書き手なんで。まだ本も出したことない、物書き業界でいえば「ぺーぺーのペー」ですよ。街で100人に、いや1,000人に「ことばと広告を知ってますか?」と聞いても「誰それ?」って。C・ロナウドに「大谷翔平を知ってますか?」って聞くのとは、わけが違うんだから。


ようは、大そうに考えるのやめよってことです。

自分のnoteで書く記事に、一つや二つ誤字があったからなんだっていうんですか?そりゃ、ないに越したことないけど。大勢に影響はありません。あるわけがない。書くネタもそーです。今日のがイマイチだからって。凹む必要もないし、また明日いいもん書けばいい。


大事なのは、だんだん上手くなることなんで。スポーツもそーでしょ?だんだんバットに当たる、遠くまで跳べる、できなかった技ができるようになる。それが、たのしーんじゃないですか。

それを完璧を求めすぎるがあまり。腰が重くなったら?一歩が踏み出しにくくなったら?それより何より、競技がつまんなくなっちゃったら?元も子もないですよね。好きではじめたはずなのに。


だいたいでいーんです。ボリュームなくたっていいし、スキなんて数個付けばいい。ゼロなら、自分で付けときゃいい。

そんなことよりも、100倍大事なのはたのしむことですよ。そーだ「書く部」やってて、コーチもやって。一番残念だな・・・と思うのはなんだと思いますか。メンバーが減るとき?思ったように伸びないとき?なかなか言わんとすることが伝わんないなーってとき?


どれもそーだけど、大した問題じゃありません。改善すりゃいいんだから。

じゃ、何かって?それはメンバーが書くのをやめちゃうときです。あんなにたのしそうに書いてたのに、パタッと手がとまるとき。もちろん、人にはいろんな事情があるし。わたしの思い至れない部分もあるでしょう。でも、それが自分で自分の首を絞めてるんだとしたら・・・


わたしは伝えたい。完璧な文章はないし、100%パーフェクトな記事なんてありえない。もしあるとしても、それは十年後のたのしみにとっておきましょ。まずは子供のように「書く」をピュアにたのしみましょって。

わたしたちはまっ白なキャンパスを与えらえた。そこにどんな絵を描いてもいいという。邪魔するものは何もありません、あるとすればただ一つ。それは、あなたの「こーでなきゃ」という思い込みなんです。


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