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【陰の人生#終】夢を、見たの

 タイトルがキヨコの声で聞こえた方はお友達!(すみません、大友克洋氏のアニメ映画「AKIRA」のネタです)

 人生シリーズ、非常に長くまとまりのない乱文を書き散らし続けてしまい、申し訳ありません。
 お察し頂けるかとは思いますが、どうにも、記憶に自信がありません。覚えていることを覚えているままに書くと、ああなりました。正直に言いますと、祖父の葬式前後の記憶が欠落しています。宗教嫌いな祖父で「坊主は呼ぶな」という遺言通り、無宗教の葬式が準備されたことは覚えていますし、私や母にとってそれは有り難いことだったでしょう。

上京

 時はワープし春を目前に、下の弟の進路が問題になりました。弟にはやりたいことがあり、専門学校に行かせて欲しい、と、自分で資料を集め行きたい学校について親と交渉しました。
 が、父親の方は「大学へ行け」、母親は「行かせない」と、これまた相変わらずです。意味不明の紆余曲折の末、何故か弟の希望とは斜め45度の職業訓練系の講師を宗教伝手で探し出して来た母は、謎の行動力で弟の就学を取決めて来ました。通うためには、地方から東京へ上京しなければなりません。

 弟自身はどう思っていたのでしょうか。自分の希望とは違うのに、よく行く気になったものだと思いましたが、もしかしたら家を出るチャンスだとも思ったかも知れません。
 私から観察して、下の弟は母の妊娠中から始まり、生まれてからも両親のトラブルに多く巻き込まれ、当然ながら学校などでも周囲から浮きやすく、当時は鬱傾向が強く出ておりこのまま都会に放り出したらあっという間に病んでしまいそうでした。

 ああ、お母さんはこの子の面倒を見るのに、もう疲れたんだ。

 私は、この学校の顛末を聞いた時、ハッキリとそう思いました。当の母や弟はそう思っていなかったかも知れませんが、私の目にはそう見えたのです。
 このままじゃ、この子、タヒんじゃう。
 まだ生々しいリスカ痕のある腕を持つ弟を独りで東京に出すなんて、絶対にやめた方が良い。いずれは独り立ちさせなければいけないとは言え、今じゃない。

 祖父の家に居続けるわけにもいかなかった私は、下の弟と一緒に東京に行くことにしました。せめてもの飯炊きです。私の年齢は既に30を越えていました。下の弟とは年齢が離れています。

 ちょっと、これを書くと「まだ懲りてないの?!」と思われそうですが、そう、上京してすぐの頃までは、私は依然として弟を連れて新たな居住地の宗教団体のコミュニティに所属しました。
 まだ、何が私にとって人生の障壁となっているのかをハッキリと認識していなかったのです。あれほどの打撃を受けているというのに。
 幼い頃からの刷り込みって、そんなもんです。多分。

 この頃の私にとって、祖父との思い出深い新選組を描き続けることは精神的に辛くなってきており、代わりに、引越したばかりの新居で当時ハマっていたゲームの1つのBLCPに雷で打たれたかのごとく、ドハマリしました。
 推しとなるキャラのEDムービーを見た瞬間に、撃ち抜かれたのを覚えています。弟には笑われました。

 恋はいつも突然に始まるものです。

 そして、それからしばらくして。
 新しく勤め始めたバイト先で知り合った男性と仲良くなりました。まだ、全然友達未満の状態です。
 これが、現在の夫です。

 人生二度目の、ハッキリとしたBL堕ちと自身のうっすらとした恋心に、ホルモンバランスと2つの密接な連動を、感じざるを得ませんでしたっ!

 ちなみに、弟は半年もするとやはり学校に通えなくなり、ゲーム三昧の日々を送ることになりました。私にはどうしようもないので、バイトに行き生活費を稼ぎ、帰っては弟とゲームをして漫画を描き、新しくハマったゲームジャンルの個人サイト様巡りに勤しみました。
 そして、教義に反する趣味嗜好を胸に抱えたまま宗教の集まりに行き、またしても苦しい気持ちになりながら日々を送っていたのです。別にそれほどとんでもないこと描いたりしてなかったんですけどね。(後に『書く』ことになりますが)

3つの夢の示唆

 この頃、とても示唆的な夢を3つ見ました。髪の毛が抜ける夢、歯が抜ける夢、全裸で歩く夢、の3つです。

髪の毛が抜ける夢

 基本的にはストレス過多の時に見る夢だと言われています。ですが、何かしらの示唆を感じた私は、その意味についてネットで調べました。
 今調べ直してみましたがその当時の夢占いのサイトは見つかりませんでした。が、やはり同じようなことが書いてありました。

 ーーー見えない敵がいるーーー

 厳密には横の髪が抜ける夢、だそうです。
 私が見た夢は、手で髪を掴んだ時に「ズルリ」とその部分が抜ける、という夢でした。後頭部から側頭部にかけての髪だったと思います。
 思い当たる節は、ありました。
 その当時、故郷を後にした私に、母は毎日電話を掛けてきて父の愚痴を聞かせるのでした。それは、呪詛のように。母も私がいなくなってストレスだったのであろうことは理解出来ました。が、私はその電話で体調不良を起こすようになってしまいましたので、母に「仕事にも行っていて忙しいので、もう電話を掛けないでほしい」と頼んだのを覚えています。

歯が抜ける夢

 これも、ストレスや体調不良が原因と言われます。また、生活環境の変化やトラブルの予兆とも言われています。歯が全部、ボロボロと口から零れ落ちる夢でした。
 確かに、地方から出て来て生活環境は変化しました。ですが、この時、嗚呼これかも知れない、と思う解き明かしに出会いました。

 ーーー信条が根底から覆るーーー

 というものでした。これは、今調べても同じような表現はありませんでしたが、この時、私は本当にハッとしました。

 そして、集会に行くのをやめました。

 何かがおかしい、とずっと気付いていたのに、見ないふりをしてきた。それを、ようやく直視しました。自分で考えるんだ。

 初めて頭を使いました。

全裸で歩く夢

 最後に見た示唆的な夢は、全裸で歩く夢です。その夢は、前述2つとは少し間が空いており、現在の夫と、既にお付き合いを始めていた頃でした。
 そのキッカケは、既に就職で先に東京に出て来ていた上の弟(既婚)と久し振りに会った際、実家のことをアレコレと心配する私に、弟が言ってくれた一言でした。

「お姉ちゃんは、他人のことよりも自分の幸せのことを考えた方が良い」と。

 ああ、そうか。
 私は、私が幸せになることを考えて良いんだ、と思ったのです。
 現・夫とは、職場の社員とパートのオバチャンとしてある程度の信頼関係を築いていましたので、お付き合いを始めるまでにはそれほど時間は必要ありませんでした。

 夢を見たのは、結婚を視野に入れ始めた頃でした。

 かつて、伝道活動をよく行っていた田園風景の長閑な田舎を、私は一人で歩いていました。
 道の向こうから、地元の宗教の仲間達が喋りながら近付いてくるのを見付け、その時自分が全裸であることに気付いて、慌てて車の陰に隠れました。

 仲間達をやり過ごした後、私は夢の中で母に電話をします。
「お母さん、私、結婚するから」
 と、電話口で宣言するのですが、結婚する相手が誰なのか、夢の中の私には分かりません。
 あれ?◯◯くんじゃないし、☓☓くんでもないし…と、今さきほどやり過ごした仲間を思い浮かべます。

 分からないまま、目が覚めました。

 しばらくして、ハタ、と夫に思い至りました。そして、思い出せないのが夢で良かった、と胸を撫で下ろすと同時に、こちらが夢なのではないかとしばらく半信半疑でした。

 裸の夢は「素の自分をさらけ出したい」などの意味だそうで、見たまま、という感じですね。また、隠れるというのは「オープンにすることに不安がある」ということでした。
 電話の夢は「相手に伝えたい事がある」だそうで、これも示唆的というより相手も内容もその通りです。

 つまり、私は宗教の仲間からの訣別と結婚の意思を固めていたのだと思います。相手が思い出せないというのは、その決定に一抹の不安が無いわけではない、というところだったのでしょうか。

 夢というのは、要は深層の自分からのお知らせのようなものなのかも知れません。
 普段、夢など見ても忘れてしまうものですが、この3つの夢だけは起きて意味を調べてしまうくらい印象的で、現に後の自分の行動を変える切っ掛けとなった夢でした。

 吹っ切れた私は同人活動を楽しく行い、現在の夫との交際も順調で、どちらにも些細な問題は何度か生じたもののその度に解決して結婚に至りました。
 下の弟は学校を辞めたため地元へ呼び戻されましたが、彼も彼でもう一度両親と交渉し、再び関東圏へ進出して自分の夢に向かい始めました。

2つの螺旋階段

 ようやく私は、自分の足で自分の人生を生き始めました。
 ここまでの私は、まるで2つの決して交わることのない螺旋階段を二人の私が別々に登っているかのようでした。その螺旋階段は、DNAの螺旋構造のようにお互いが向かい合って見えながらも、交わることがない階段で。

 その頃、この2つの階段は徐々に距離を縮めていき重なるようになりいつしか1本になって、分裂していた私も統合されたようでした。

 もっと壮絶な人生を送って来られた方に比べれば恵まれていることも自覚しております。「毒親」などという言葉もありますが、うちの両親は毒の要素はあるものの、子供のタイプが違えば、また上手くやっていけてたかも知れないと思います。夫婦、親子、共に組合せの妙だったな、と思っております。
 今は「虐待」や「モラハラ」といった言葉が使われ、問題点として上がりがちで、その点は危険を承知で発言するしかないのですが、そうした告発を恐れて「躾」や「教育」が充分に為されていない側面も感じます。
 なので、安易に「毒親」という言葉を使ってはいけないと感じました。

 実に長く個人的な物語にお付き合い下さいました方々、ありがとうございました。
 本来であれば人目に晒すような種類の文章ではありませんでしたが、こうして自分の人生を整理することによって見えてきたことがありました。多くの人は、わざわざこんな質面倒臭い真似をしなくても粛々と自分の人生を歩めているのだと思います。
 太宰風に言えば「恥の多い人生を送って来ましたwww」という感じではありますが、やって良かったかな、とも思います。恥の上塗り、って言い方もありますけどwww

 これにて【陰の人生】シリーズは終了でございます。長い間、ありがとうございました。

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