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【陰の人生#02】機能不全家庭だった幼年学童期②

 母が宗教にハマったのは小学3年生の頃でした。

 人によっては、自身の苦しい思い出などとリンクするかも知れません。どうか、心が元気な時に読んでください。
 また、うっかり読んで気持ちが暗く落ち込んでしまったら、早急にお笑いなどを摂取されますことをオススメします。

変化する生活環境

 母はあまり私を周囲の環境に馴染ませるつもりはなかったのかもしれません。土地柄も、あまり良い土地柄とは言えないところに住んでいたようです。
 幼稚園も小学校も、近くの公立ではなく距離のある私立に通わされました。

 そんなわけで、私は近所に学校のお友達もおらず、放課後はよく知らぬ他校のお友達と遊ぶもあまり楽しくなく、そもそも学校から帰ってくると家に鍵がかかって誰もいないこともしばしばで、これもやはり「放置子」よろしく近所に上がり込んではその家の漫画を読み漁る妖怪と成り果てていました。
 後ほど知ったことですが、母方祖母と一緒に裁縫や刺繍などの習い事に行っていたそうです。

 今振り返って思うに、近所の子供達にしてみたら「学校では見かけない謎の子供」だったのではないでしょうか。
 アパート住まいだったのですが、振り返って思い起こせば入居者の出入りが多いアパートだったように思えます。もしや、夕方になると妖怪ピンポン座敷童が出現するからだったのではないかと、この記事を書きながら気付きました。申し訳ありませんでした。

 母は上品そうに見える一方でお高く止まっているようにも見えるコミュ障だったかと思います。(本人にコミュ障の意識はないと思われます)
 そして、私はと言えば「放置子」よろしく、物怖じせずに他所様の家に上がり込む恐ろしいほどに人懐こい子供でした。(話が通じない、という意味では私も立派なコミュ障でした)
 ちなみに、父は「子供の頃は友達がいなかった」と豪語するコミュ障でした。(口から先に産まれてきたのかと思うほどに喋り倒しますが)
 家族全員、距離感のおかしいコミュ障家族でした。もしや発達障害などが関係あるのかとは思いますが、診断もありませんし、とりあえず今ここでは取り上げません。

 3年生になると、学校で浮いた存在だった私にも親友と呼べるような友達が出来つつありました。漫画仲間です。

 その頃、母は宗教の話を熱心に聞くようになり、私にも聖書の勉強をするように言ってきました。元々、読書が好きで神話などは興味分野だったため、悪くない話だと思い承諾しましたが、いわゆる先生というかそういう方との勉強が始まってすぐに「これは私が知りたいような神話の話ではない」と悟りました。

 現代はサタンが支配する仮の世で、サタンの支配下にある人々と付き合うのはサタンと付き合うのと同義、とでも言えば良いのでしょうか。そういったニュアンスであると思います。少なくとも、私と母はそのように受け取りました。
 親しい人達と付き合い続けるためには、将来的に神の側(=信者)に引き込む必要があります。それが出来ない場合、最終的に、ハルマゲドンで親しい人達は滅ぼされてしまうのだ、と信じました。
 そうした教義で、信者を増やし続けてきたのでしょう。私も、幼心に父や祖父母や友人達といった親しい人達を「救いたい」と思いました。

 それと同時に「私も滅ぼされるのではないか」という危惧もありました。
 その教義には、他の宗教を生活の中から排除し、品行方正であることが求められました。
 子供向けの様々なイベントは、その発端が邪教であるとして、誕生日やクリスマスさえも家庭から排除されました。母方祖父母から贈られた私の七段雛飾り(昭和ですね…)は、団地の焼却炉に焼べられました。(当時はゴミ処理が緩かった時代です。ちなみに、我々は団地に住んでいたわけではなかったです…)
 私は日本の伝統的な行事などにフンワリと憧れを抱くタイプでした。不思議な話や都市伝説的オカルトにも興味を持っていました。漫画やアニメはそうしたものをモチーフにしたものが大好きでしたし、恐らく遺伝子レベルでオタクだったのです。そんな私に、お雛様焼却事件は少なからぬ衝撃でした。

 また人付き合いという点では、小学校中学年になってせっかく覚えた距離感で掴んだ友達との付き合い方について悩まなければならなくなりました。
 聖書の求める「サタンの世の人と交流しない」という品行方正レベルには到底到達出来ないし、到達したくもなかったのです。

 母は、一つの指針を私に与えました。「学校のお友達とは、学校でのお付合いだけにしなさい」と。

 私は、学校から真っ直ぐ帰らなくなりました。

父の反対

 母が「聖書」を学ぶようになって、父は強硬に反対しました。
 父は父で、宗教にトラウマがあったのです。
 私も詳しい話は知りませんが、父方祖母が宗教にお金を散々注ぎ込んだ、という話です。その他にも、子供には言えないアレコレが色々とあったのでしょう。
 父は、母や子供達に暴力を振るって宗教をやめさせようとしました。ゴルフクラブ片手に集会場に殴り込みに来るなどのあまりの苛烈さに、当時の当該宗教地元コミュニティでは伝説になるほどでした。

 母がそもそも宗教の話を聞くようになったキッカケは、父との関係を改善したいがためでした。健全な家族生活を運営していくための有難い聖書のお言葉を学んで実践して、めでたしめでたしのはずでした。
 ですが「これぞ宇宙の真理」と目醒め、「私が救わねば誰が家族を救うのか」と使命に燃え、ハルマゲドンを生き残るためには何が何でも集会に行かねばならぬ、と、幼い子供達を連れて殴られても蹴られてもその信仰を貫き通しました。

 ごく一般的な頭脳で考えれば、家庭内不和を是正するために宇宙規模の対立関係(神vs悪魔)にまで話が飛躍するのはあまりにもぶっ飛び過ぎだと思うのですが、残念ながら宇宙級に理解力の高い母は、家庭内不和の原因が宇宙論争(個人的利益を度外視して更には不利益を被ったとしても神に仕える人間が果たしているのかどうか、と悪魔が神に吹っ掛けた、大変人間に迷惑な神々の遊び)に端を発していると、気付いてしまったのです。
 我家の家庭内不和を正すためには、世界が神の支配下に正常に戻らなければならなかったのです。

 離婚、の2文字も何度も出ました。両親の激しい喧嘩に怯え、私は小さい弟を抱き締めて部屋の隅にうずくまり嵐が過ぎるのを待ちました。離婚になるなら、金のことを考えれば父親に付いていくべきだよなぁ、でもお母さんの方が好きだなぁ、可愛い弟と離れ離れになるのはイヤだなぁ、などと冷静に考えてもいました。
 時には生意気に口を挟んで、こちらに飛び火してくることもありました。

 一度など、妊娠中の母が、殴られるので外へ逃げ出し、それを父が追い掛けアパートの駐車場で殴り付けました。
 母は、父の拳が歯に当たって父は怪我をしたが自分は無傷だった。神のご加護だとか言っていました。
 腹の子に謝ってほしいと、私は心底思いました。どちらにも猛烈に腹が立ちました。現代だったら、即通報案件です。(ちなみに、この時の腹の子がメンタル不安定な弟です)
 そりゃ、アパートの住人も居着かないはずです。アレ、うちのせいだったんだわ。本当に、今気が付いた。


 しかし、何よりも恐ろしかったのは、大人になってからこの話を持ち出した時に

 そんなこと、あったかしら?

 と母に言われたことでした。
 私、もしかしたら違う世界線に並行異動してる?と、本気で空恐ろしくなりました。


 つまり、これらの話は、すべて私の妄想と創作で出来ている可能性さえあるということです。
 先日、この時抱き締めていた弟から「昔、こんなことがあったよね?」という確認の電話がありました。「うん、あったと思う…ていうか、それ自体はピンポイントで覚えてないけどあっても不思議ではない」と二人で確認し合いました。
 どうやら、弟も別の並行宇宙に飛ばされているようです。

 我々は、三島由紀夫の「豊饒の海」を体感しているのです。(どういう結論だ)


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