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【陰の人生#08】ダイエットと抑鬱状態

 宗教で生きていこうと決めて洗礼を受け、仕事も充実していた会社を辞め、5年以上続いていた淡い恋心wに蓋をしたのは、18歳〜20歳の間の事でした。

 人によっては、自身の苦しい思い出などとリンクするかも知れません。どうか、心が元気な時に読んでください。
 また、うっかり読んで気持ちが暗く落ち込んでしまったら、早急にお笑いなどを摂取されますことをオススメします。

分厚い脂肪との訣別

 3歳から肥満児だった、というお話は以前の記事に書きました。小学生、中学生の頃も、それは変わらず、でした。
 最初の原因としては、幼い頃は牛乳の飲み過ぎ、小学生時代は不規則な食事が大きかったかとは思います。そして、それに付随する運動不足。

 その中で、最も大きな原因と思われる原因。それは父が、母と子供を取り合っていた、ということです。
 宗教の集まりに行かせないため、更には自分の方に懐かせるため、父は何につけても「ファーストフード」と「甘いモノ」を使いました。母は母で、好き嫌いが多い子供達がよく食べるメニュー「唐揚げ」と「天ぷら」を多用。

 父が毎週水曜日に買って帰って来る洋菓子屋さんの立派なケーキ。土曜日の午前中に何故か外から帰って来てKFC。ご飯の前だからヤメテ、と母が何度訴えても父も子供達もお構いなし。そのご飯も、唐揚げや天ぷらがヘビロテ。当然、我家の子供達はもれなくブクブクでした。
 そのくせ、父は子供達の体型を見ては「最近は子供の成人病が増えている、痩せさせろ」と母にお小言。

 さすがに中学生になる頃には「これはマズイ」と気付いた私。両親共にダブスタで不毛な言い合いをするのを目の当たりにしてアタマオカシイとは思うものの、子供の内は食事に関しては権限がありません。出来ることと言えば「食べない」という選択くらいです。
 まず、父が買ってくるジャンクフードは食べなくなりました。私が食べなくなると、父は買ってくるのをやめました。
 日頃の食事に関しては選択権がありませんでしたが、母も子供達の好き嫌いが少なくなってくるにつれてアブラメニューは減っていきました。代わりに台頭してきたのはイタメシでしたが…。

 そんな私のデブリングライフに変化が訪れたのは、社会人になった頃でした。
母が、雑誌の広告を見て「NOT FAT FOREVER」という分厚いアメリカの翻訳本を購入したのです。本の題名はうろ覚えですが、いわゆる「糖質カットダイエット」のハシリです。母なりに、私や自分の体型に問題を感じていたようです。
 何事にも極端で素直で真面目な母のプログラム通りに食事をすることによって、私は20年近く溜め込んだ脂肪をほぼ1年で20キロくらい落としました。
 70センチ以上だったウエストは、細さ最盛期で57センチくらいにまで細くなり洋服のサイズは13号から7号にまで小さくなりました。
 母はそこまで痩せはしませんでしたが、私の場合は若かったせいもあるかと思います。問題は、糖質カットダイエットの流行り始めとしてはかなり最初の頃でしたし、アメリカ人向けだったことだと思います。

 今振り返って思えば、重なる体調不良とメンタル不調に、これが影響していないはずはないと思います。ただ、当時はみるみる内に痩せていくのが面白くもあったのは事実です。

NOT FAT FOREVER の弊害

 糖質カットダイエットの危険性については、最近ではだいぶ認知されてきています。日本での第一人者と言われていた方が早逝されたり、ダイエット中の方が突然死されるなどの事故も起こっています。
 何しろ、極端は良くありません。そもそも「肥満」という状態が言わばプラス側に極端です。そこから0の状態に戻すためには、当然マイナス側への極端が必要になるわけですから、体に負担が掛からないわけがないのです。よく言われることです。「太った期間と同じ期間を使って痩せましょう」と。

 遺伝的に太りやすいか痩せやすいかなどは、ある程度決まっているそうです。太っても大丈夫な体質、痩せていても大丈夫な体質、個人差それぞれのようです。
 私のごくごく個人的な体験から実感していることは、太る遺伝子を持っていない場合、そもそも太ってはいけない、子供の頃に太らせてはいけない、が基本だと思います。太る遺伝子が無い場合(昔テレビ番組で見た記憶では日本人は7〜8割持っていないそうです)、ごく普通の生活をしていれば、まずとんでもない肥満にまでは辿り着かないようです。
 つまり、肥満という状態は、ある種のプログラムバグのようなものではないでしょうか。もし出来るならば原因を探り、早めに解決するのが最善かもしれません。

 私の不調に関しては、決してこのダイエットだけが原因ではないでしょう。こうして連日徒然なるままに思いつくまま書き出してきてみました(お付き合いくださった方々、ありがとうございます)が、その当時は「社会人になったばかり」「宗教活動も再開したばかり」「父からの暴力を伴う反対」「洗礼」「恋愛する前から失恋」と、過多のストレス要因があったことが分かります。
 その中で、これは糖質カットダイエットが原因ではないか?と思われる障害について書いていきます。

1.冷え性

 元々体温低めでしたが、痩せてから更に体温が上がらなくなりました。会社の冷房がキツかった、というのもありましたが夏でもカーディガンと膝掛け毛布必須で、凍えるような冷え性は妊娠中を除き40代半ばになって始まったプレ更年期まで実に20年近く続きました。
 今でも、平熱はさほど高い方ではありませんが、当時は35.3度とか「私、生きてる?」と疑わしくなるような体温がデフォでした。

2.頻尿

 これは、完全にこのダイエットに由来すると思います。
 1日2リットルの水を飲みましょう、ってやつですね。今ではダイエットに関係なく健康維持のためにも言われることではありますが、それでも、私は「その人にとって必要な水分量は結構個人差ある」と思っている派です。運動量とか気温・乾燥なども関係あるでしょうしね。常時、2リットル飲む必要は、人によってはないんじゃないかなぁ。
 あ、もちろん、お茶とか利尿作用のあるものを飲み過ぎてたわけではないですよ。ちゃんと常温の水を複数回に分けて少しずつ飲んでました。

 アーユルヴェーダって、あるじゃないですか。多分、ピッタの体質の人はふんだんに飲んだ方が良いと思うし飲んでも代謝されると思うんです。ヴァータ体質の人は、半々くらいかな。カパの人は、基本的にあんまりたくさん飲まない方が良いんじゃないかなぁ、って。代謝して体を循環するよりも食物と結び付いて(塩分?)溜め込んで不要に水太りになったり、そのまた逆で排出される方が多かったり、その両極端を繰り返し、結果頻尿になるのでは?と思います。水を溜め込むことで冷え性にもなりそうですしね。
 単なる体感です。私はカパ体質だと思うんですが。母は太ってましたけど、多分ピッタですね。性格的にも。

3.うつ状態

 うつ病、というほど深刻ではなかったとは思います。いや、もしかしたら、自分が思うよりは深刻だったかも? 結果から言うと、何年もかかりはしましたが、とりあえず病院に行くことはなく乗り切りました。それについては、また別に書きますね。
 症状としては、まず考えるのが億劫になりました。脳に栄養行ってなかったのでは?と、今にして思います。脳が栄養として吸収出来るのは、糖質から生成される良質なブドウ糖だけだそうですね。

 河川敷で車を運転していると川にそのまま落ちてみたくなったり、踏切で行き過ぎる電車を眺めているとふらっと車輪に巻き込まれてみたくなったり、そんな結構強めの衝動に駆られて、正気を保つのに必死だった時期がありました。
 もっとも、これは両親の元を去るまで続きましたのでダイエットばかりが原因ではないと思います。が、脳に栄養行ってなかった感じはすごくするので、一応列挙してみました。

 現在はうつ状態は脱しておりますが、この辺りを境に、物覚えの悪さと忘れやすさにひどく悩まされるようになりました。(今は加齢もあるかとは思うのですが…)
 高校時代から社会人1年目にかけての自己イメージは「やれば出来る子」という、中の上寄りな自己認識でいましたので、段々と出来ないことが増えてきて約束をすっぽかすなどボケ倒していく自分に、薄ら寒い恐怖を覚えた時期でもありました。
 カレンダーや手帳に予定を書いては何度も見返すのに忘れてしまう、という状況に疲れ果て、人と会って喋っても喋る端から内容を忘れ、いよいよ人と会うのが怖くなってもいきました。

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