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善人が人を殺す

「過去にあった戦争や虐殺よりも恐ろしいことがひとつだけある。戦争や虐殺を忘却することだ。」
(辻野弥生 著『福田村事件』(五月書房)の中の
 森達也さんの特別寄稿「『A』『A2』から『福田村事件』へ」から引用)


福田村事件を最初に知ったのは、15年くらい前、森達也さんの著書だったかと思います。その森達也監督の映画『福田村事件』をご覧になられた人は多いかと思いますが、辻野弥生さんの著書も読まれたでしょうか。


映像でしか伝えられないものもあると思いますが、活字でしか伝えられないものもあると思います。映像は受動的なので一瞬で流れていってしまいますが、活字はその場でとどまることができます。


        「朝鮮人なら殺してええんか!」


森達也監督の映画『福田村事件』のトレーラーでも使われているセリフですが、上記辻野さんの著書『福田村事件』の「はじめに」で森達也監督の映画に触れた部分に記されていて、セリフでは感じられない衝撃が走りました。セリフとは違い、ページをめくらない限りそこに留まり続けている上に、自分に訴えかけれいるように感じたからなのかもしれません。しばらく読むのを止め思考をめぐらしました。「朝鮮人」の部分を別の言葉にいろいろ置き換えてです。


森達也氏の作品を読めば分かると思うのですが、森さんには「とにかく自分の目で見てやろう」という態度が感じられます。「A」「A2」そして「A3」がそれを如実に表しています。最初に読んだ本が何だったかもう記憶にないのですが、その影響でドキュメンタリー『ゆきゆきて将軍』を観、関連本も読みました。


『福田村事件』第3章から引用します:

福田村事件のことを、百年も前に千葉の田舎で起きた事件、と片付けてすましていられるほど、今のわたしたちが  "同調圧力"  や  "集団の狂気"  から逃れられているようには思えない。その意味で福田村事件は  "今も続いている" 事件といえるかもしれない。


確かに、covid19で緊急事態宣言がなされたとき、徳島や長野では余所者への嫌がらせや差別がありました。他の値域でも同じような事例があったと思います。嫌がらせをした人たちはふだんは温厚な人だったかもしれませんが、なぜしたのでしょうか。


現代に生きる私たちが辻野弥生さんの『福田村事件』から学べることがあります。映画や本のタイトルから一部地域の事件に思いがちですが、実際に本を読むと「集団狂気」の一因が読み取れます。これにより、なぜ人を殺したにも関わらず、裁判で平然と正当性を訴えたのかも分かります。

集団狂気は今も続いています。人は死ななかったものの、東日本大震災や大型台風での食品の買い占め、covid19 でのマスクの買い占めやトイレットペーパーの買い占めもそうではありませんか。最悪のケースとしては、多くの犠牲者が出てしまった911からのイラク戦争がそうです。「忘却」しないために『福田村事件』を。▢

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