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石橋家探検隊

 鶴戸ふらんは、現在、重要な任務の真っ最中だった。
「用意はいいか?」
 ふらんの作戦行動の水先案内人をつとめる人物が低い姿勢のまま、声をひそめて確認する。
「……ちょ、ちょっと待ってよ、トンビ先輩」
 言った瞬間に、ふらんはその人物に小突かれた。
「いたいよ」
「俺の名前はトンビじゃねぇ、トビオだ。何度も言わせんな」
「い、イエッサー。トビオ君」
 ここでパートナーの信頼を失ってはまずい。ふらんは慌てて敬礼をした。
 今、ふらんと行動を共にしているパートナー、彼の名前は石橋鳶男。ふらんの通うS県三鳩谷市立こいかる学園に通う先輩である。学年で言うと5年生だ。ふらんの学年よりも3学年も上なので、「大先輩」と言ってもいい。言うなれば大人と同格である。
 鳶男は、BMX、ローラーブレード、スケートボード、ミニバスケットボールなど、さまざまなストリートスポーツをこなすスポーツマンタイプの先輩だ。また、スポーツ万能なだけではなく、下級生に対する面倒見も良いので、ふらんの学年の友達にも男女を問わず人気がある良いお兄ちゃんである。5年生の中でもガキ大将的な存在だった。
 そんなに上級生と交流の無いふらんだが、鳶男は彼女の住む地区の集団登校の班長なので、彼とはよく知った仲だった。特に行動派のふらんは2年生の仲間内でも唯一、鳶男の率いるグループの準構成員「名誉兵隊」として認められているという輝かしい事実も補足しておく。
「準備はいいな」
「は、はいであります」
 素早い敬礼。
 ふらんと鳶男は、お互い頷きあうと目標の地へ向かった。

‡ ‡ ‡

 目的の場所まであと数メートルまで迫ったとき、鳶男がため息をついた。鳶男がため息をつくところなんて見たことがなかったので、ふらんは首をかしげる。
「トビオ君、どうしたの?」
「あんまり気が進まないんだよな……」
 鳶男は、嘆息まじりに答えた。
「えー、ここまで来てそれはないよぉ。トビオ君、臆したか!?」
「うるせーな。自転車乗れないヤツに文句を言われる筋合いはない」
「の、乗れるもん!」
「補助輪付けなきゃ乗れないのは、乗れるって言わないの」
「ぶう……」
 余談だが、ふらんが鳶男たちのグループの準構成員から正式な構成員へと昇格するためには、自転車に補助輪無しで乗れるようになることが条件である。
「……ふらんはさ、姉ちゃんのおっかなさを知らないから、そういうことを言えるんだよ」
「えー、ツバメ、怖いの?」
 ツバメというのは、鳶男の姉の名前で、フルネームは石橋つばめという。彼女のことをふらんはよく知っていた。ふらんの家に同居している親戚のお兄ちゃんと同じ学校に通う──しかも、同じクラスときたもんだ──学生で、その学校の自転車部の部長をつとめている。ふらんのお兄ちゃんが最近、自転車部に入部したこともあって、お兄ちゃんとの仲は赤丸急上昇、いわゆる「急接近中」の女性だ。お兄ちゃんをこよなく愛するふらんにとって、トップクラスの要注意人物といえた。
「……鬼だね。あいつは」
 鳶男はゴクリと喉を鳴らした。
「姉ちゃんのとっておきのケーキをこっそり食っちまったのがバレたときは、八つ裂きにされるところだった……」
 それはトビオ君が悪いんじゃないか、と思ったが、ふらんは口にはださなかった。子供には時折、そういうお茶目な面が必要なのだ。
「マジ? ツバメ、優しそうだけど……」
「ふん、ふらんもジュージ君も騙されてるんだよ」
 ちなみに、その「ジュージ君」というのが、ふらんの家にやっかいになっている親戚のお兄ちゃんの名前である。
 それにしても、あのトビオ君をここまでビビらせるなんて、ツバメは一体、何をしたのか……、ふらんはこれからしようとしていることに、やや躊躇した。しかし、愛するお兄ちゃんのためだ。ここは一歩も退くわけにはいかない。
「ふらん、後悔しないな?」
「お、おうよ……」
 ふらんは腹を括った。
 二人は示し合わせたように、もう一度、頷きあう。
 こうして、ふらんと鳶男による「ツバメの部屋侵入作戦」は開始されたのだった。

‡ ‡ ‡

 つばめの部屋は、ふらんの想像以上にこざっぱりとしていた。ふらんの姉の部屋は、仕事関係の書類が多いせいか、あまり女性らしい部屋とはいえないのだが、ここはまさに「女の子の部屋」という感じだ。
「意外と少女趣味だね……」
「こんなもんら?」
「ツバメって体育会系っぽいイメージがあるから、部屋に鉄アレイとか転がってるのかと思ってた」
「そんな姉なら、俺はすでに死んでるな……」
 なるほど。ふらんは頷いてから、注意深くあたりを見渡した。
 ふらんが今回、自分自身に課した任務は偵察任務である。敵ヲ知リ己ヲ知レバ百戦危ウカラズ。「アヤウカラズ」の意味はよくわからなかったが、つまりは敵のことを詳しく知れば、勝ったも同然だという意味だと、ふらんは漠然と理解している。
 そう。今回の目的は、石橋つばめをより詳しく知るということである。そのためにつばめの弟である鳶男に頼み込んだのだ。つばめに関する情報なら何でも良かった。もちろん、彼女の弱みになるものならなおさら良い。
「あ、あれは!」
 ふらんは、部屋の中央に、熊のぬいぐるみが置いてあるのを発見した。ふらんが持っているぬいぐるみよりもずっと大きい。三鳩谷市の住宅事情を考えても、個人の部屋に置くには少し大きすぎるような気もした。
「わあ! 可愛いいいいい~~~!!」
 ふらんは、思わず熊のぬいぐるみに抱きついてみた。ふかふかでこの上ないくらい気持ちいい。ともすれば、このまま眠ってしまいそうな感覚におちいる。
「あふあふ……」
「こらこら、お前、目的を忘れてるら?」
 鳶男がふらんを小突く。
 ふらんは慌てて飛び起きた。
「そ、そうだった。こんな小ざかしいトラップを仕掛けておくなんて……ツバメ、なかなかできるな……」
「バカかお前は……」
 鳶男があきれて肩をすくめるのを無視して、ふらんは調査を続行した。
 本棚を調べる。しかし、本棚には難しい漢字の本が多くて、ふらんには何が書いてあるのかもわからない。きっと勉強のための本だろう。
 ふらんは本棚の下の段に、風景の写真集のようなものがいくつか入っているのを発見した。これなら感じが読めなくてもわかるだろう。
 しかし、取り出してみると写真集には、ふらんも見たことのないアルファベットに似た文字が羅列していた。
「これ、英語?」
 ふらんの質問に鳶男が首をかしげる。
「さあ、わかんね。いろいろあるはずだぜ、フランス語のヤツとか、イタリア語のヤツとか……」
「何で、そんなのがあるの? ひょっとしてツバメ、外国語ペラペラ?」
「……んなわけないだろ。姉ちゃん、学校の英語もあんま得意じゃないって言ってたからな。その写真、よく見てみろよ」
「ん~?」
 ふらんが写真集をよく見ると、それらの写真には必ず自転車に乗った人たちの集団が映っていた。自転車の集団は、美しい風景の中に溶け込んでいるように見える。
「自転車だぁ……」
「外国の有名なレースの写真らしいよ。俺もよくわからないけどさ……」
「ふーん。ツバメらしいね……」
 なるほど。自転車好きのつばめらしい持ち物だ。しかし、それでは普段のつばめの情報から何ひとつプラスされていない。ふらんは、情報収集という面で、写真集は価値がないものだと判断し、本棚に戻した。
「結構、几帳面だな。ふらん」
 鳶男が感心する。
「うん。ちゃんと出したら元の場所に戻しとかないと、お姉ちゃんがつねるからね」
「お、お前んち姉ちゃん、つねるのか!?」
「はっきり言って、泣くね。あれは……」
 ふらんは神妙に頷いた。
「……そうか。どこの家でも姉ちゃんは怖いんだな」
 妙に納得する鳶男を尻目に、ふらんは今度は机の上を調べてみた。
 机の上には勉強道具に読みかけの雑誌、それからロボットのプラモデルが置いてあった。
「あ! プラモだ! プラモ発見!!」
 つばめの机の上に飾ってあったのは、少し前に流行ったテレビアニメ番組に出てくるロボットの1/144のキットである。しかも、主役級のものではなく脇役の使う渋いタイプのロボットだった。
 ふらんは少し驚いた。スポーティなイメージこそあるものの、つばめはボーイッシュというタイプではなく、ロボットのプラモデルを持っているようなイメージはなかったのだ。これは大発見かもしれない。
「ツバメ、ロボットが好きなの?」
 ふらんは振り返って鳶男に聞いてみた。
「ああ、それ?」
 鳶男は、何となく言いづらそうにしている。
「どうしたの?」
「それ……さ、前に俺が姉ちゃんの誕生日にプレゼントしたヤツなんだよ。毎年、家族で誕生日祝うんだけどさ、俺、ガキだったし、何あげていいのかわかんなくてさ、自分が貰ったら一番嬉しいものをあげたんだ……」
「うわ、独りよがりだね。サイアクのパターン……」
「だろ? でもさ、姉ちゃん、何のロボットかもわからないのに、バカみたいにすげぇ喜んでた……」
「ふーん……」
「結局、設計図の見方がわかんないとかで、組み立てたのは俺だけどな。捨てちまえばいいのに、今でも大事に持ってるもんだから、恥ずかしいよ……。しかも、勝手にロボットに名前までつけてるんだぜ……。恥ずかしいの極致……」
 鳶男は、心の底から恥ずかしいといった感じで、自分の顔を手で仰ぐゼスチャーをしてみせた。実際に頬が上気している。
 つばめの弱みを知るつもりが、なんとなくいい話を聞いてしまったような気分になったので、ふらんはロボットのプラモデルのことは忘れることにした。
 机から視点を戻してベッドの方に注意を向ける。
 すると、くずかごの脇に、工具箱のようなものがあるのを発見した。
 ロードバイクを整備するための工具セットだろうか?
 ふらんは、慎重にその工具箱に近づき、開けてみようと手を伸ばした。
「ちょっと待て、ふらん。それには触るな」
 慌てて鳶男が制する。
「何なの、これ……」
 ふらんは足元の工具箱を見下ろした。ちょっと古ぼけていて、はっきり言って小汚い工具箱だった。たいして価値のあるもののようには到底、思えない。
「形見だよ、形見。死んだお父さんの形見。姉ちゃんの宝物だ」
「大事なもの?」
「ああ」
 鳶男が頷く。
「触っちゃ駄目なの?」
「そう。シンセイフカシンってやつだ。触ると俺がぶっとばされる……」
「了解」
 大事な宝物なら是が非でも見てみたかったのだが、ふらんは、鳶男の様子から開けない方が良いと判断した。そして、「カタミってなんだろう?」と心の隅で考える。

 その瞬間だった。

 ふらんが顔をあげると、ベッドの脇の棚に写真立てが置いてあるのがちらりと見えた。
 彼女の身長では、棚の上まではハッキリと見えない。しかし……、
 ふらんは慌ててベッドによじ登る。
「おい、こら、待て! ベッドに乗るな! 痕跡が残るだろ!」
 鳶男が、ふらんの肩に手をかけ彼女を止めようとする。
 ふらんは、その手を振りほどこうとした。
 だって、だって、その写真立てには……お兄……!???!?
「おい、ふらん、まずいって」
 ふらんが柔らかいベッドの上に右足を乗せた途端、それを抑止しようとした鳶男が彼女の肩を思いっ切り引っ張った。
 バランスが崩れる。
「わわわ!」
「え!?」
「わぁ」
 世界が反転したように見えた次の瞬間、ゴツンという音と共に後頭部に強い衝撃を感じ、ふらんの意識は途切れた。

‡ ‡ ‡

 今日も遅くなってしまった。つばめは、愛用のロードバイクを車庫に停め、しっかりロックしたのを確認してから、自宅に駆け込んだ。
「たっだいま~!」
 6月に彼女の部活に新入部員が入ってから、自転車部の活動は、よりいっそう活性化していた。夏休みが近づき、日が落ちるのが遅くなったせいもあって、ついつい遅い時間までトレーニングに励んでしまうのだ。それは嬉しい事態ではあったけれど、家族と一緒に夕食を摂れなくなってしまうので、少し淋しくもあった。
 つばめは玄関で靴を脱ぐと、食事にしようか、それとも先にシャワーをあびてこようか、などと考えた。まあ、何はともあれ部屋に荷物を置いてからだ。
 余った体力で階段を駆け上がり、自分の部屋へと向かう。
「あれ?」
 つばめは、自室のドアがほんの少し開いていることに気がついた。
 もちろん、朝、学校に行くときには、キチンと閉めたはずである。
 犯人はすぐにわかった。
「もう……。また、鳶男だな。勝手に人の部屋から漫画とか持ち出しちゃうんだから……」
 つばめは頬を膨らませながら、扉を開けた。
「こら~、鳶男ぉ~!!」
 しかし、部屋の中は電気もついておらず暗いままだった。
「あれぇ?」
 つばめは、首をかしげながら部屋の電気をつけることにした。
 手探りで壁のスイッチを入れる。パチリと音がして、つばめの部屋は一気に明るくなった。
「あ…………」
 部屋の中央には、つばめの弟である鳶男が大の字のまま眠っていた。
 眠っている鳶男の両脇には、つばめのお気に入りの熊のぬいぐるみと、小さな女の子が眠っていた。女の子は、自転車部の顧問である美粋先生の妹の鶴戸ふらんちゃんである。
「ふ、ふらんちゃん? 何で……?」
 夕方から二人で遊んでいて、挙句、遊び疲れて眠ってしまったのだろうか。
 勝手に部屋に入ったのは許せなかったが、スヤスヤという二人の寝息を聞いていたら、怒りも吹き飛んでしまった。
 鳶男も、最近、生意気になってきたと思っていたけれど、やっぱり子供なんだな。つばめは、弟の寝顔を見て、クスリと笑った。
 そして、つばめは、いつものように、
「ただいま、十字君。って、さっきまで一緒にいたんだけどね……」
 とベッドの脇にある写真立てに挨拶をして、今度はエヘヘと笑った。



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