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3月1日の話

僕は小川文明さんとピアノとチェロのDuo「文太郎」というのをやっています。最後のライブが2024年3月1日でした。
今日は2014年3月1日の時の話を書こうと思います。

「文太郎」は小川文明の「文」と孝太郎の「太郎」二人合わせて「文太郎」となります。15年くらい活動してちょうど10年お休みしています。文明さんは僕にとって最愛の兄のような存在です。僕のヘヴィメタル以外の音楽の大半は文明さんに教えてもらいました。
活動をしたいところなのですが、文明さんは他界してしまったのでお休みしています。なぜ現在進行形で書いているかというと、本人から「解散」と言われていないからです。活動再開は僕が文明さんのところに行った時になります。
僕は今でも活動再開の時のために日々精進しています。音楽もお酒もね。

バンドはメンバーがいないと音楽ができないのです。
パートナーがいなくなると喧嘩別れすらできません。
だから、僕はバンドの再結成、復活、復帰は賛成派です。
できる時にやらないと。

そんな2014年3月1日ですが、学芸大学にある珈琲美学という会場でライブでした。文太郎でライブができる相思相愛の会場を探していてたどり着いたのが珈琲美学でした。ここから奇数月は文太郎は珈琲美学、偶数月は自由が丘で一人文明という予定でした。
結果的には最初で最後の珈琲美学での単独公演となってしまいました。
5月にもブッキングをしたのですが文明さんが最後の入院をしていたので叶いませんでした。

ここから先は有料にしたいと思います。
ご興味のある方はぜひ。
初めて有料機能を使いますが・・・当日の我々の様子や写真もアップしようと思います。

この日は文明さんは体調は最悪でした。
そして、僕は当時、狭心症を抱えていました。運悪く前日に発作が出てしまい二人共仲良くベストとは程遠く移動するのでやっとの完全に病人コンビでした。

ライブの日は僕が文明さんを迎えに行き、そこで一度音合わせをします。
ピアノの椅子の上でうずくまったままの文明さんと力が入らない僕。この日は音を出せませんでした。
一応、写真だけ撮り、元気なふりをしました。

出発の時間になり、「本番は大丈夫やな」と文明さんが言いましたが、僕もその日は不思議と「今日は絶対に良いライブになる」と確信していました・・・二人共にまともに動けないくせに。
我々はフランクザッパを崇拝しているので、ライブは録音することが多いです。この日はいつになくお客さんも少なく6名。
堂々と録音機をステージ上に設置しちゃいました。

セットリストは曲数が少なかったです。
もう演奏があまりできなかったのでね。
当時の録音を聴いているとまるでラジオ番組のようでした。
MCのテンポ感はキレキレ(笑)。
内容は完全にアウトなことばかり(笑)。
演奏はそれを大きく上回る阿吽の呼吸。

身体が勝手に動く
いて欲しいところにいる
相思相愛

この感覚を通常にすればこの次にはどんな世界が待っているんだろう?
この日から次の世界を体験するためにもっと上手くなろう、と心に強く思いました。文太郎の次のライブまではかなり時間があるのでね。

そんな2014年の3月1日。
その1年前の2013年の3月1日に文明さんはこんな事を書いてました。
本当に嬉しかった・・・

たしか、この日は歌舞伎町に遊びに行ってました。
僕は運転手だったからノンアルコール。

これ、どこのBARだったんだっけな?
えちごやの社長も一緒だった気がする・・・

こんなことがあったので10年経っても3月1日になると思い出します。
もっと音楽をやろう
もっと上手くなろう
と改めて思います。

病気が発覚して僕にその事を告げた時に言っていた言葉が
「おれ、もっとピアノが上手くなりたいんや」
だったのでね。


さいごに、せっかく有料でここまで読んでくださったみなさんへ。
よかったら聴いてください。