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「アダルトチルドレン」に救われたけど、厄介なところもあるよね、という話

私が抱えてきた生きづらさ。原因の多くは家庭、主として母親にあります。(と自分では思ってる)
よくある話だけれど、「抑圧的な母親のもと、自己肯定感を健全に育めなかったこども」が私です。

そこから抜け出すために七転八倒してきたのだけれど、大きな助けになった事のひとつは、アダルトチルドレンという概念を知った事。
仕事なし・金なし・友達なし・彼女なしのドツボにはまってたときのターニングポイントでした。

ただ、この「アダルトチルドレン」という考え方、とても役に立つし助けられたんですが、同時にいろいろとやっかいなもので…
Wikipediaがバランスよくまとめてくれてますが…

どの立場でどう解釈するか、どう使うかによって、毒にも薬にもなってしまうんですよね。

私の考える大きな注意点は2つ。
(1)親に責任を押し付けている、単なる甘えだという批判に会いやすい。
(2)アダルトチルドレンであるという事を、言い訳として便利に使いすぎたり、自分のアイデンティティにしてしまったりする場合がある。

個人的には、Wikipediaの「本来は自己を認識し語るための実践上のツール自分自身への理解を深めるための自覚用語」である、という説明がとてもしっくりきます。

自分の体験を交えて話します。

私にも、アダルトチルドレンの多くにみられる「いい子」属性があって、「この苦しさの原因は親にある」という事を認めきれませんでした。「そんなことを考える私は悪い子どもだ。自分の問題を親に押し付けているだけだ。」という考え方をしてしまう。

と同時に、子どもの頃から感じている、親に対する強い恨みや憎しみを、大人になってもずっと抱き続けていました。その感情もよくないことだと思ってしまう。「大人になった私は、自分の問題としてこれを解決すべきだ。育ててもらった恩も忘れて、憎しみを親に抱くなんて間違ってる

この状態って、どうにも抜けられないんです。
「大人になった私は、自分の問題は自分で解決すべき」って、これ自体はまぁ間違ってないですからね。
でも、親に対するネガティブな感情を手放せないと「自分で解決する」になかなか向かえない。むしろ憎しみを増幅させ、問題も長期化してしまう。

だから、いちど認める必要があるんです。
この状況を作り出した原因は親だと。
育ててもらった恩とか、大人になったからとか、そんなことは本当にどうでもいい。
子どものころから味わった様々な苦しい思い、ぜんぶ親のせいだろって。
そんな親が憎くてたまらないし、今でも恨んでいるって、認めるんです。
その事実を、その気持ちを、自分自身に、心から認めるんです。

この「認める」という行為を、自分に許すためのツールが、アダルトチルドレンなんです。
自分が通ってきた物語を自覚して認めることで、自分の抱いている感情は間違っていない、と許してあげるのです。

私の場合でいうと、ざっくりこんなことを自分で認めるプロセスでした。
「母親自身も自尊心が低いまま親になり、子どもを思い通りに育てることで自分自身の欠落を満たそうとした。また身体的な弱さを無自覚に利用して子どもをコントロールしようとした。
父親は仕事にかまけていたが、勉強したくてもできなかったじぶんの幼少期の経験から、子どもには勉強だけをさせたいと思い、多様な好奇心を望ましくないものとして抑圧した。
機能不全家族の中で、子どもは抑圧され、成人した後も、母親から支配されている感覚から抜け出せず、自己肯定感が低く、社会的スキルも低く、他者と健全な交友関係を築けない大人になった。」

自分を認めて、自分を許すこと。ここがスタートラインなんです。

どこに向かうスタートラインか?
いずれは、親への憎しみを手放して、そこから自由になることができるかもしれない。
親が云々を抜きにして、自分自身の問題として、自分に足りないものをどう補えばいいのか、そこに向き合える日が来るかもしれない。
そこに向かうスタートライン。

そう、アダルトチルドレンというのは、囚われているものから自分を解き放って、どこかに向かうためのスタートラインに立つためのツールなんです。

でも、ここまでの話って、第三者から見ると「何もかも親のせいにしすぎ」にも見えかねません。
私はそれでもいいと思ってます。行き過ぎてもいいから、いちど徹底的に振り切ってしまった方がいい。長年しみついてしまった思考パターンから抜け出すには、それがプロセスとして必要な場合もある。少なくとも私はそうだったと思います。

だからこそ、「私はアダルトチルドレンです」という立場は、「親に責任を押し付けている甘えだ」という批判に弱いです。だって、ある意味その通りだもの。
それでもいちどはそこに立たなきゃ前に進めないんだよ、って事なんですけどね…まぁ万人に理解してもらうのは難しいです。

だから、アダルトチルドレンの自覚を持って、ある程度の回復をするまでは、批判に会うような場面を作らない・関わらないことも大事です。
アダルトチルドレンの自助グループも、いろいろなルールを厳粛に守って運営されますしね。批判しようと思えば簡単に批判できるから、注意深くそういう要素を取り除いて、共有と共感を重ねて、お互いに前に進もうとする場を作っている。


少し話は戻って…
アダルトチルドレンはスタートラインに立つためのツール、と書きました。

・・・そのはずなんでけど、
「アダルトチルドレンであるという事を、言い訳として便利に使いすぎたり、自分のアイデンティティにしてしまったり」という場合もあります。

「親に傷つけられた私」という立場に居続けて、手放せない。
「アダルトチルドレンだから〇〇〇なんだ」で思考停止して、先に進めない。
毒親糾弾ブームってありましたけど、そこに居続けるというのも、同じく。

ここまで書いた通り、アダルトチルドレンは、「第三者から批判されうるようなプロセスを一時的に通ることをいとわずに、自分自身への理解を深め、生きづらさからの回復に向かうためのツール」ですから、そこに居続ける場所ではない、と思っています。
何もかもアダルトチルドレンのせいと公言して回るのは、それこそ批判を受けにいくようなものです。

とはいえ、その過程にいる時には、こんなふうに客観視はできないし、気持ちもよくわかるんですけどね。私もたくさん頼りましたし、依存していた時期もありました。
とりあえず、いろいろと語るのは安全な空間だけにしておいた方がいい、のは確かだろうなと思います。
(そういう意味では、noteはほどよい場所かもしれませんね)


最後に。
アダルトチルドレンという自覚から、いろいろなものを手放すに至るまでは、決して楽ではなく、むしろそこからが大変だったりもします。

私自身も、アダルトチルドレンだという自覚を得てから、いろいろな過程を経て、自分の中の傷ついた子どもに対するこだわりが氷解するまでには10年くらいかかりました。その過程ではアダルトチルドレンという考え方にこだわらず、いろいろな試行錯誤が必要でした。
それに、今でも、親と関わるのは気持ちいいことではないです。

現在進行形で、アダルトチルドレンという自覚を必要としている人もたくさんいらっしゃると思います。みなさんが、それぞれのやり方で自分を回復し、アダルトチルドレンという言葉の支えを必要としなくなる日が来ることを祈りたい、そう思います。

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