欲望、人間は探しているものしか見つけない
石田衣良という作家の娼年シリーズ三部作を改めて読破した。
娼年との出会いは今は昔、二十歳の頃。
当時アルバイト先からの帰り道にレンタルビデオ屋があって、そこに古本のコーナーがあった。
大学に入学したものの、入学して一番最初に仲良くなった友人がカンニングで入学していたり色々なことで周囲との温度差を感じていた。
自分が何をしたいのかも分からず、何になりたいかも分からず、何にも命を燃やせない日々だった。
そんな時に古本コーナーで目に入ったのが『娼年』。
文庫本のその本の裏表紙にはこんなあらすじが書かれていた。
自分のことが書かれているように思い、百円ぽっきりのその本を買って帰った。
そこからの数ヶ月でなんと石田衣良の当時の既刊本である七十数冊を読破するトリツカレっぷり。僕の青年期にとても影響を与えた時間であったと思う。
物語の方に話を移そう。
主人公リョウは物静かな少年。それは次作逝年、三作目の爽年になっても同じ。終始一貫して感情を表に出さない、でも女性の欲望を探求するどこかに一本筋の通った感じのする主人公だ。
そんなリョウが三作通じて一度だけ感情を昂らせるシーンがある。
三作目の爽年の終盤にその瞬間は訪れる。
それはリョウを買った女性客との会話の中、欲望に話が及んだ時のことだった。
欲望というとどこか汚い、持ってはいけないもののように現代では思われかねない。自分のエゴ、と同義かも知れない。エゴや無駄は削ぎ落として無機質に生きるのが現代らしいと言えば現代らしい。
しかしリョウは逆を言う。自分のために生きること、欲望を押し殺して生きているから日本人は豊かなはずなのに幸せを感じないと。
「これがやりたい」、「あれもしたい」と思える状況、欲望がルーツになってしか人間は動けない。
例えば自動車だって遠い距離を楽に移動したいという欲望がルーツだし、飛行機は空を飛びたいというバカげた欲望がルーツだ。
僕自身、自分の体質的な部分でなかなか欲望ベースで動くことが難しい。だがリョウの言うこと、石田衣良の言うことは最もだと思う。
最後にとても好きな一作目娼年の会話文を引用して終わりたい。
人間は探しているものしか見つけない。欲望を持ち、言葉を変えれば好奇心を持ち物事を見なければ喜びも面白さも見つけられないのではないだろうか。
志紀
おはようございます、こんにちは、こんばんは。 あなたの逢坂です。 あなたのお気持ち、ありがたく頂戴いたします(#^.^#)