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これまでどう生きて来たかより、これからどう生きて行くか。

メジャーリーグベースボールやプロ野球が開幕してひと月ほど。

球春がやってきて、それぞれのチーム、選手の活躍がニュースとして報道されている。

ひと月も経てばある程度の数字が残って、成績も出て来るわけだが……仮定の話をしたい。例にとるのは今一番有名な日本人の野球選手の大谷翔平選手にしようと思う。

押しも押されぬ素晴らしい成績を残して、所属チームのロサンゼルスドジャースの躍進に貢献している。しかし、唯一得点圏打率という点においてあまりいい数字が残っていないことはご存じだろうか?

日本時間4月30日時点で大谷選手の得点圏打率は.194。二割を割っているので、五回チャンスで打席に立って一度ヒットが出るかどうかというのが今の大谷選手の成績である。

しかしここで考えてみてほしい。では大谷選手は今後も五度に一度しかチャンスでヒットを打てないのだろうか?

今まで残っている成績というのは人生というもので見てみればこれまでどう生きて来たか、これから残ってくる成績というのはこれからどう生きて行くかに変えられると思う。

僕はこれまで自分がどう生きて来たかで自分を判断しがちである。これまでの自分が残してきた実績でこれからの自分が何が出来るかを考える。当たり前と言われたら当たり前だが、それはある種データであってやってみなければ分からない部分というのが本来多分にあるのではないかと思う。

これまでどう生きて来たかは大谷選手で言えば.194という数字。でもその数字がこれから上がって行く可能性はかなり高いのではないか。なのに僕はこれまでの自分の実績で、「あれは自分にできない」、「これも自分にできない」、「俺には何もできない」、そんなふうに自分をがんじがらめにしている。

そんな状態では仮にこれからのことを変えられる潜在的な能力が自分にあっても、その力を発揮することができないのではないか。これまでの実績で物事を判断するのは当たり前。それはそうだろう。でもこれまでの実績では測れない能力が存在するはずだ。

だから僕は思う。これまでどう生きて来たか、これまでどんな実績を残して来たかよりもこれからどう生きて行くか、これから何が出来るのかに焦点を当てたいと。

それがきっと自分を信じることなのではないかと、ほわんと思うのである。

志紀

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