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体至上主義社会

現代は言わずと知れた資本主義社会である。

資本主義社会とはお金、つまりmoneyが一番という世の中のことである。

しかし日本語にはこんな言葉がある。体が資本。

資本主義社会という言葉にこの体が資本を当てはめるとこういうことになる。“体主義社会”。

しかしどうだろう? 今の世の中もてはやされているのは脳科学や精神論である。ちょっと待てみんな、おかしいだろう。体が資本で、今は資本主義社会なのだから体主義社会なのではないか? などと言おうものなら「何コイツ、めっちゃめんどくさい」となるのが関の山である。

だがこの世界に体ほど正直なものがあるだろうか?

言葉ではウソをつけるが、身振りでウソをつくことは難しい。表情もそう、態度もそう。身振りも表情も態度も体が表すことではないか。

それに精神的に苦しくなる前は体に異常を来す。体に異常を来したタイミングで対処をすればサクッと済むことは多いが、脳や精神にまで異常が及ぶと回復までに長い時間がかかる。

体は本当に正直で、嫌な人と一緒にいれば体が重たくなって気分が悪くなるように出来ている。好きな人と一緒にいれば胸がほんわり温かくなって気分まで高揚するではないか。

つまり僕が言いたいのは、脳や心や精神に重きを置くのではなくて体に重きを置いて生きて行きたいなということだ。

体はbodyと英語で表記するが、皆の衆を意味する言葉は英語でもeverybodyであってeverysoulでもeveryheartでもない。人間の本質は動物であって体であって、精神でも心でもない。それは日本語でも英語でも変わらないのではないかと思うわけだ。

この文章を読んでくれている方には分かるかも知れないが、僕はわりとと言うかかなりめんどくさい部類の人間だ。文章に反映されていると思う。そんな僕だが、学生時代のアルバイト先でのあだ名はフィジカルが訛ってケミカルというものだった。

近隣店舗との合同の飲み会で近隣店舗の店長さんに「ガタイいいね、だから君はフィジカル!」と名付けられたが、近隣店舗のスタッフギャルたちはそれが上手く聞き取れず「何? ケミカル?」と僕のことをそれ以降ケミカルと呼んだ。流れで店長さんもケミカルと僕を呼んだ。

その頃と言えばファンキーモンキーベイビーズの全盛期。僕はバックダンサー(笑)と化したのだが、それはどうでもよくて。

脳のことや精神のことを色々と学んで来たがこれからは原点回帰、体を中心に据えて生きて行きたいという話でした。おわり。

志紀

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