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紫の花

おはよう、今日もとっても眩しい。

開いているかどうか分からないくらいの、細目でプールまで通じる階段を登り
今日も私の1日は始まる。鼻をあっけらかんと通る塩素のにおい、プールに浮かぶ虫の死骸。誰かの忘れ物のゴーグル。

いつも通りの朝。

『ゆうこさんまだーーー!?』

『あら~随分と早いわね。なんでまぁこんないつも朝早くにプールに来ようと思うのよ。いつもあなたたちだけじゃない?』

このプールが始まるのは9時から、けれどいつもこの子達は私がこの時間から準備しているのを知っているから少し早く来る。鳴いている鳥も、この時間に決まってここを通るトラックも、あ、散歩しているおばあさん(さっちゃん)も!変わらず、いつも通りだった。

ふとこちらに気づいて会釈してくれる。

『さっちゃん、おはよう~!』

もう最近は、話す時も近くに行って大きな声で話さなきゃいけないから、私が何を言っているのか、わかってくれているのかすらわからないのだがこれも少し前からは見慣れた光景になっていた。

さっちゃんと話す会話の内容はいつも決まっていた、

軽度の認知症を患ってからというものの、この散歩道も、花の水をやりも、朝食の食パンも、些細なこともすべて習慣化することが大切だ。

そうかかりつけの医師に言われたらしい。

それからいつもと少しだけでも変わったことがあると、決まって私にニコニコと報告してくれる。

『さっちゃん、今日はなんか変わったことあった~?』

『んん~、ないねぇ~、けんどもうたんぽぽが少しずつ見えできたね。
真っ白な雪が積もっていた道から少しずつだけれんど緑が見えできて、いつの間にが黄色いたんぽぽも顔を出しでくれて、わだすの生活にも色が出るようでほんと嬉しいね〜。』

さっちゃんはないね~、と決まっていつも話を始めるのだけれどいつも変わったことがあるのでないね~、だけで話が終わることはなかった。

『そうか~、もう春だもんね~。まだ4月になったばかりなんだけどね。』

私が住んでいる北海道では4月はまだ春ではない。
例年に比べて、春の到来が少し早い気がする。
そうかと思うと、予想を裏切って急に寒くなったりもするから油断ができない。

最近さっちゃんと、話すことが少なくなってしまった。
もちろんいつもこの道で見かけるのだが、こちらに歩み寄ってくれることが少なくなってしまったのだ。

さっちゃんは私とのこんな日々の報告も欠かせない日課から外れてしまったのだろうか。
それともこちらのプール側まで少しだけ歩いてくるのが、もう体には大きな負担だったのだろうか。

心なしか歩くスピードもかなり遅くなっている気がする。
腰の曲がる角度も、どんどんひどくなっている気がしてならない。

変わらないことを提唱し、継続し続けることとは裏腹に、体は嘘をつくことができなかった。

少しだけ寂しいし、私もどこか希望のようなことを思っていたのかさっちゃんの歩くスピードも腰の角度も、どう考えても変わっているのに目をうまく向けられずにいた。

前だったらあの角を曲がるまで、私もぼうっと見送っていたのだが今ではずっと見続けられずにいる。

哀愁を残してゆくあの背中が寂しかったとか、そんな理由はあるのだが、単に自分の時間もなくてあまり気にすることができずにいた。けれど残酷にも変わるものは意図していなくともそばにあった。

気を取り直してプールに戻る。文庫本を片手に監視台に立ち、水面の揺らぎを見続ける。
時に子供達が喧嘩をしたり、飛び込むのを注意することはあるが比較的ここら辺の子達は治安も良く、あまりそのようなことは起こっていなかった。

たとえ起きたとしても、注意をすればすぐにやめてくれたし謝ってもくれた。
いい子ばかりで私としても心の平穏が保たれているので、とても助かっている。

近所の子供たちも、家族も、さっちゃんも、私を取り巻くそれが比較的穏やかに過ぎてゆくのは、とても心地良かった。

プールの清掃員は春から夏限定の仕事であったため、それ以外は自分の家の仕事を手伝ったりしていた。いわゆる自営業なのだ。

大学を卒業してからというものの、周りの就職活動や意見に流されていた私は特にやりたいこともないくせに、履歴書には一端の夢や、やりたいことを必死に絞り出して書いて、結果東京の大手企業に就職をすることになった。

約2年、東京で頑張ってみたはいいものの心と体がとっくに限界で、地元に帰ってきたのである。

けれど自分が惨めだとはまったく思わない。

周りからすれば、 ”東京に馴染めず地元へ戻ってきた可哀想な若者” なのかもしれないが私からすれば周りの年収争いや仕事の昇進、住んでいる家の場所や家賃の話、恋人との結婚の話など、そう言った類のマウントの取り合いに付き合わされる方がよっぽど惨めでならなかった。

だから "可哀想な若者" のレッテルを貼られようが、今の自分がとても生きやすくてよかった。

もう、誰も私の暮らしや生き方に文句をつけないで。

あ、さっちゃんだ、今日はいつもと少し様子が違う。
茶色の細長い小包に包まれたものを抱えて歩いている。

すぐにわかった、あれは花束だ。

さっちゃんはお花が好きだった、道端の花を見るのも好きだし、お花屋さんに行ってはよくお花を買ってきたりもしていた。
お花に詳しい様子を見ていると、若い頃からずっとお花のことが好きだったのだろうと思う。

『紫の花が好きでねぇ、ごめんね名前は忘れてしまったね。
なんでかわからないけれど、若い頃から好きだったんだよねぇ。
亡くなってしまっだあの人も好きだったけねぇ。』

夫は随分と前に他界しているような話は聞いたことがある、本当にかなり前のようで、昔話のように語っていた。

時は流れ、容赦なく陽射しが強く照りつける繁忙期に入った。

じりじりと陽が照りつける中で子供達はより一層元気になってプールへやってくる。駐輪場もそんなに大きくないため、すぐに満杯になってしまう。

ロープをはみ出て自転車を停める子どもたち、勢いよく入ってきては元気な挨拶をして更衣室までまっすぐ入り、冷たいシャワーを浴びて階段を登りプールにやってくる。

こんな子達でも何か悩むことがあるのだろうか、このくらいの歳の頃、私は何を考えてどう暮らしていたのか。

まだ20代なのに、そんなことをずうっと考えては過去の自分と重ねて子供達を見ていた。

あの頃から、真っ直ぐと何も変わらずひこうき雲のように私は生きている。

ゆうこお姉さんと呼ばれている私に、いろんなことをお話ししてくれる子もたくさんいた。

給食のことや、音楽でリコーダーのテストがあること、好きな子の話や部活のこと。ほとんどが学校でのことだったが些細なそんな会話を交わせることがとっても楽しかった。

この子達の世界を見つめるこの眼差しはずうっと宝物だし忘れてほしくないなと思う。

夏も終わりにさしかかり、夕暮れ時にはだいぶ暑さもおさまって涼しくなってきた頃、最近はさっちゃんの散歩のペースが減っていた。

かといって、いつもこの道を通る。ということを知っていただけで、つまり住んでいるお家の細かい位置まではしらなかった。

だいぶ腰が曲がり、ゆったりゆったりと歩みを進めるさっちゃんはどこか寂しそうにしていた。
変わらないことを大切にしていたあのさっちゃんは、いつもと違う道を歩いたり、お花屋さんに立ち寄ってみたり、時には帰り道がわからなくなっていたりしたようでずっとそばでその様子を見ていた私は流石に今回は見過ごすわけにはいかなかった。

微笑ましい花束を持ち歩くあの姿だって、花束を引きずって歩くようになってしまい、明らかに異常だと言わざるを得なかった。

さっちゃんの歩いた道に続く、散り散りになった花びらは老いを酷く現実的に感じさせ、とても辛かった。
さっちゃんは、家に着いてその花束に目をやった時、どう思っているのだろうか。
お花屋さんで自分の好きな花たちを結い集め、束ねたその大切な花束が家に着く頃には原型を留めていないわけだ。

そう考えると目に自然と涙が溜まっていくのがわかり、辛かった。

変わらないものと変わりゆくもの、日々は呆然と過ぎ去ってゆく。


遂にさっちゃんをあれから二週間見ていない。
どうしたのだろう。


時は更に経ち、1ヶ月が過ぎた。
本当に嫌な予感がしてならなかった。


彼女が亡くなった事を聞いたのはそれから半年後のことだった。

もう、最後の方は、認知症が酷く進んでおり親族であろうとも誰のことも認識していなかったらしい。

葬式の会場には紫のお花がたくさんいけてあった。
仲良しのお花屋さんは葬儀場に花束を束ねる仕事もしていたので、さっちゃんの時はずっとこのお花をたくさん活けるとふたりでずっと前からお話していたらしい。

葬儀場でお花屋さんとお話をした。

さっちゃんはやはりどこでも同じような話をしていたんだなぁとそこで再確認して、互いに笑った。
あの遺影にうつる笑顔を見ると、もう不思議と悲しくはなかった。

ありがとう、さっちゃん。

ありがとう、大切なことを教えてくれた。

今日も明日も私は元気に、あなたの分まで強く生きます。

時期は冬だったのでプールのお仕事は無かった。
そういえば葬儀場でお花屋さんと話して知った、さっちゃんが好きなお花の名前は『スターチス』と言うらしい。

『スターチス…。』

なんの意味もなく、寝る前に思い出して携帯で検索してみた。このお花はドライフラワーにしても長く色が続いて楽しめるらしい。素敵なお花。

スターチスに関しての色々な情報がある中で花言葉を見たとき、

私は涙が止まらなかった。



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