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ルーズソックスとスカウトの嵐

このタイトルに飛びついて開いた方、いらっしゃい(笑)
高校時代、竹下通りで芸能事務所からバンバンスカウトされました〜!なんて、そんな話しではない。(世間はそう甘くはない)
なーんだ、違うのかよ!と読む気を失った方はどうぞ退室してくれ。



私が高校生になった頃には完全にバブルがはじけ、コギャルの時代へ突入していた。小6の頃から憧れていたボディコンのお立ち台のお姉さんたちはどこへ行ったのだろう…。
高1の時点でスミスのルーズソックスなんて地方には売ってなかったが、ルーズソックスもどきはたくさんあり、とても流行った。

勿論我が校でも大流行し、私も足が太いのにスカートを短く折り、ルーズソックスもどきを履き好んだ。安室奈美恵、コギャル、ポケベル、テレクラ、援交、という言葉が流行した時代だ。

もちろん母は厳しいの一等賞で、門限は19時(部活があっても)、カラオケ禁止、男女交際禁止はおろか電話もダメ、ポケベル=テレクラ=援交というわけのわからない独自の方程式を生み出し、相変わらず何もかもダメである。聴いても良い音楽のジャンルが範囲が少しだけ広がった。見た目が過激なのはNG、わかりやすい。
母はまだ私を『紀宮さま』のようにしたいと本気で願い(過去:理想の娘像参照)、ジュディマリのYUKIを真似ておかっぱ頭にしたのも知らず、私のお菊人形のような頭を見てとても喜んだ。

しかし母は本当にふし穴で、何も見えていない。高1からマリークワントのファンデーションを塗り、朝シャンして香水をふって、チャリでコンビニに寄りながら優雅に遅刻して行く事に母は最後まで気づかなかった。

小遣いはおばあちゃんが内緒で毎月1万円にアップしてくれた。母は変わらず2000円、祖父は3000円〜5000円、母が弁当を作れない〝パンの日″は1日1000円。
夏休みは高校には内緒で隣のスーパーのレジのバイトをした(将来音大に行く時の軍資金にしたいと母に言ったらアッサリ認めてくれた)
多い時は小遣いと合わせて月に10万近くなる。バイトをした月はそこから8割貯金した。今思えば高校時代が1番〝金持ち″だったのかもしれない。

高校はもちろんバイト禁止、校則はそこそこ、ただ生徒指導の体育科の5人の教員が毎朝交代で校門前で獄卒のように仁王立ちし、ルーズソックスのルーズさとスカートの丈や髪の色をチェックしていた。
何故かいつも私だけスルーされる。鬼と言われていた体育科の教員が全員見てみぬフリをするのだ。

『お前、ハンドボール部に入らないか?キーパーが不足しているからやってみないか』『陸上部で走るのが嫌なら、砲丸投げもあるぞ!』高校に入学してから1学期間ずーっと〝顧問直々にスカウト″してくるのだ。バレー部、バスケ部、柔道部まで…もの凄い熱い視線で〝ラブコール″を送ってくる。

『あのぅ、何か勘違いされてると思うんですけど、私背が高いだけで体育2ですよ、2!スポーツ全然できないんです』と言うと、『お前の体格の良さはそれだけでも才能なんだ。未経験でも俺が教えてやるからウチの部に入れ!』と毎日毎日違う体育科の教員や運動部顧問が、私を見つけては話しに来る。
あまりにもしつこいので『先生方、私の体育の授業見てたらそのうち分かりますよ!私吹奏楽部入るんで』と言うのだが、1学期中、各運動部顧問からのラブコールは続いた。吹奏楽部で〝尊師マーチ″を友美と弾く頃にやっと諦めてくれた。

何なんだよ…あたしゃ、好きで身長が高いわけじゃないんだ、ただの遺伝だよ遺伝!
運動神経鈍いし真面目にピアノ弾いてるんだよ…しかし待てよ、どの体育科の教員も私に異様に甘いのは、自分らの部活に入れたいからなんだ!と気づいた。

身長が171cmの私より高い女子は、同学年にあと2人居た。もちろん運動部エース級だ。

この身長と体格のおかげで、水着を着れば水泳選手と間違えられレーンが空く、体操服を着ていたら走るの速そうと言われ、いつでもどこでも誰にでもバレー部だった?と挨拶代わりに聞かれる。

モデルみたいでいいねー!いや、モデルじゃないし、モデルなんて簡単になれないから!!

同じクラスの可愛いユキちゃんが頭に思い浮かぶ。ユキちゃんみたいに小柄で華奢ならこんな目に遭わないだろう。〝可愛い″という表現は大概小柄な子に対して使われる。キレイ系だねと言われる事はあっても〝可愛い″なんて言われたことは人生で数えるほどしかない。背の低い子が羨ましくて仕方ない、変に目立たずに済む。

背が高いことが完全にコンプレックスになった。

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