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【フジコ・ヘミングさん】

話は変わるが、今朝起きたら相方が
『レナが好きなフジコが亡くなったらしいよ!』と言われ、眠気が一気に吹き飛んだ。

すぐネットのニュースを見ると、1番最初の記事に『フジコヘミングさん亡くなる』とあった。同時にピアノ界隈の友人から、『レナさんの大好きなフジコさんの訃報が…ショックですね、どうぞ安らかに…』というLINEが数件届いていた。

フジコヘミングさんは60歳を過ぎてから日本に帰国し、ピアニストとしてデビューし、“ラ・カンパネラ″を弾く人と一躍時の人となった。
ピアニストとしてはかなり遅咲きだったフジコさんを、当時NHKが“フジコ〜あるピアニストの軌跡″というドキュメンタリー番組を制作し、私は母と2人でそれを見て大ファンになった。


フジコさんのリサイタルに何度も通い、フジコさんの執筆した本や絵葉書、CDを購入し、フジコさんが注目されるきっかけとなったそのドキュメンタリー番組のビデオを入手し、中学校勤務時代、中2の音楽の鑑賞の時間で何度も何度も生徒たちにみせた。


フジコさんはピアニストの母親から厳しい訓練を受けいいところまで行ったが、風邪をこじらせ片方の聴力を失い、ピアニストとしてデビューするチャンスを失ったと本にある。

フジコさんの音は、とても柔らかくふくよかで愛情深い、苦労してきた人独特の深い音色がする。
何度も何度も死ぬほどフジコさんの演奏を聴くうち、フジコさんの弾く、ショパンエチュードの“エオリアンハープ″、リストの“ため息″、″小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ″が大好きになった。


色んなピアニストの同じ曲を死ぬほど聴いたが、その3曲はフジコさんが演奏するものが1番好きになり、フジコさんのように弾きたいと大学を卒業してから“エオリアンハープ″に手をつけた。
音大時代の教授の門下生が出る発表会、地元で毎年開催されていた、若いピアニストたちによる新人演奏会、人前で弾く発表会や自分の結婚式にもフジコさんを真似て、ショパンのノクターン2番、エオリアンハープの順に2曲弾いた。今でもその2曲は自分の中の“お箱″であり、少々ヘタクソでも機会があればそれを弾いている。
それも全てフジコさんのおかげだ。

フジコさんの“独特な自分流にアレンジした衣装″やファッション、考え方、父親が居ないところ、フジコさんとお母さんの関係、大の猫好きなところ、タバコを吸いながらノクターンを弾く姿が目に焼きつき、自分と何かが似ているなと、勝手にフジコさんと自分を重ねあわせ、1人でひそかに喜んだ。


大切な友人に手紙を書くときは、フジコさんが描いた絵の絵葉書を使った。


この5/31のリサイタルも行く予定だった矢先の事だった。


2年ほど前、コロナ禍真っ只中に開かれたフジコさんのリサイタルに行ったのが最後になってしまった。コロナ禍にも関わらず超満員で、フジコさんは介助の男性に支えられながらステージに現れた。90歳くらいになっていて、以前よりは演奏のテンポが遅くなっていたが、それもまた趣があり、身につけたヘッドドレスも衣装も素敵だった。


フジコのチケット代は国内の他のピアニストに比べて高すぎる!と文句を言うが多い事も以前から知っていた。だが、フジコさんはチケットの売上の半分近くを動物愛護団体などに寄付している事も知っていたため、私は何とも思わなかった。

1番気に入っている『運命の力』という本は何千回も読み、あらゆるところに付箋を貼り、中2の鑑賞の授業で、フジコさんが描いた絵葉書や他の本と一緒に生徒たちに回した。


その中でも特に気に入っている、フジコさんのことばをここにいくつか引用しよう。


“壊れそうなカンパネラがあったっていいじゃない。機械じゃあるまいし。まちがったっていいのよ″


“なにかにつけて私は目立ったけれど、だけど、それが芸術家にとって最高に大事なことだと思っていた″


“ピアニストは、ほとんどがお金持ちの家から出ている。毎日八時間くらいレッスンしないといけない。…(略)…掃除も家事も誰かほかの人にやらせて、そういう人のピアノが認められる。…(略)…でも現実はそういう人が世界で一流と呼ばれている人。…(略)…私の手はゴツゴツとしていて綺麗じゃない。生きるために労働した手だから、綺麗じゃない。″


“なにもこわいものはなかった。正直にやっていれば、この世の中、必ず報われるって信じていた″


“猫は純粋。決して人を裏切らない。″


“母ほど純粋な人を、私は知らない…(略)…正直者で、不器用で、まったく嘘がつけなくて、世渡りが下手だった母が、私は世の中でいちばん好き。″



何度フジコさんのことばに私は救われたことだろう。


涙が出てきた。


とても傲慢かもしれないが、自分とフジコさんは重なるところが多いと勝手に思っている。


フジコさんは若い頃お金で苦労し、人が嫌がるどんな仕事でもした、目立って意地悪をされたこと、猫だけが頼りでいつも話しかけていたこと、フジコさんは自分をきちんと信じていたこと。
何よりも、フジコさんのお母さんが、ところどころ私の母によく似ている。そんなお母さんをフジコさんは誰よりも好きだったこと。

私の事をあれだけ殴って、暴力を奮って罵声を浴びせた母の事を、私はどうしても嫌いになれない。不器用で、世渡りが下手で、誰ともつきあったり再婚する事もなく、1人ゴミ屋敷化した廃墟のような家で、足を引きずりながら全盲の猫の世話をしている。散々の暴力を受けたが、私がピアノを弾くのもフジコを知ったのも、家庭教師の仕事をするのも、こうして文章を書くようになったのも、全ては母から与えられたプレゼントだったんだ。


フジコさんもきっとそうだったのかもしれない。お母さんが亡くなってもお葬式にも帰らなかったそうだ。きっと確執があったのだろう。


私も本当なら足を引きずりながら生活している母の元に少しでもいいから帰って、数日でもいいから一緒に過ごした方が良いことくらい、自分でもわかっている。
でもどうしてもそれができない。母は弱っているので、私にもう手をあげる事はないだろう。頭では分かっていても、実家に帰ることが何よりも恐ろしいのだ。全部記憶がフラッシュバックする。

そうだ、フジコさんが亡くなったと今朝母からもLINEがきていた。


3月下旬、とあるピアニストに断絶されてから私はメンブレを起こし、ずっと聴いていなかったフジコのCDを引っ張り出し、毎晩狂ったようにフジコの“ため息″ばかり聴いては泣き、譜読みを始めてまだ途中だった。フジコさんが息を引き取ったのは4/21だそうだ。何かがリンクしている気がしてならない。

やっぱり私の頭がおかしいんだろうか。
やばい、涙が止まらなくなった。
とりあえず、夜の家庭教師の仕事に行くまでに、薬を一錠飲んで、これからフジコの“ため息″を聴いて、心を落ち着け今譜読みできているところまでをさらおう。

フジコさんの話がいつのまにか自分の話になってしまった。


涙のあとにはきっと虹が見えるだろう。
私と同じようにエオリアンハープが大好きだった、ピアノの女友だちがプレゼントしてくれたサンキャッチャーのように。


いつか皆さんの心にも、フジコさんの残した音楽やことばが伝わりますように。



引用:フジ子・ヘミング 運命の力
著者 フジ子・ヘミング
発行所 株式会社TBSブリタニカ


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