elena

1979年生まれ、元公立中学校教職員、現ピアノ講師、家庭教師

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1979年生まれ、元公立中学校教職員、現ピアノ講師、家庭教師

最近の記事

スカウトの嵐とルーズソックス

さて、私が高校生になった頃には完全にバブルがはじけ、コギャルの時代へ突入していた。まだ高1の時点では、スミスのルーズソックスなんて地方には売ってなかったが、ルーズソックスもどきはたくさんあり、とても流行った。 勿論我が校でも大流行し、私も足が太いのにスカートを短く折り、ルーズソックスもどきを履き好んだ。安室奈美恵、コギャル、ポケベル、テレクラ、援交、という言葉が流行した時代だ。 もちろん母は厳しいの一等賞で、門限は19時(部活があっても)、カラオケ禁止、男女交際禁止はおろ

    • 高校でキャラ変

      私が進学した高校は、同じ中学からは全く人気のない、隣の学区の山の上にできてまだ10周年くらいの新設校だった。同じ中学からは14名しか進学しておらず、偏差値高めの英語科ではなく普通科にそのまま進学した。 地元の母も叔母も通った進学校は少し厳しいかもという理由で〝ワンランク落とした″つもりだったが、その認識は非常に甘かったと後で知る事になる。 学年は200人、A組からE組の5クラスで、E組だけが少しだけ偏差値の高い英語科であった。 1年C組、誰も同じ中学出身の者はいない。さ

      • 【音楽では食っていけない厳しさ&家庭教師の仕事】

        先日、ずっとピアノを教えていた小学生の生徒さんが1人退会された。今まで教えてきた生徒さんの中でも、とても見込みのある伸び代がある女の子だった。親御さんから連絡があり、塾と新たに始めた習い事が忙しくなったので…という理由であった。 とても悲しく寂しくなった。 この時期、学年が変わり毎年3月〜5月にかけて出入りが激しい時期でもある。仕方ない。 ピアノという習い事は、やはり学業の後にくる優先順位が極めて低い。 皮肉なことに、本業のピアノ講師の仕事よりも副業的にしている家庭教師の

        • 走馬灯

          卒業式の2日後、公立高校の合格発表日だった。 予想通りというといやらしいが、合格していた。すぐに私立高校2校を辞退する手続きを母がしていた。 中学校の先生からは、合格者全員に『素行が良くないと合格取り消しになる事もあるので、くれぐれもはしゃぎすぎないように』という通達があった。入学式は4月に入ってからだ。 それまでは卒業しても身分は中学生というわけだ。 塾で隣の席だった仲村くんは、私が1番最初に進学希望を出していた高校が不合格であった。彼は隣の市の別の高校の二次試験を受け

        スカウトの嵐とルーズソックス

          とっておいた涙

          3/12日、卒業式の日がやってきた。 朝からソワソワして落ち着かない。母はここぞとばかりに着物を着て髪のセットへ向かう。帰ってきた母の頭を見てビックリした。 『なんか飲み屋のママみたいなセットにされて嫌だわ、大げさすぎる!もっと品のいい頭にしてくれたらいいのに…』とブツブツ文句を言った。 母の頭は〝ザ・銀座のママ″仕様に前髪を大きく立ち上げた夜会巻きになっていた。私は笑いをこらえるのでイッパイイッパイだった。着物を着た母は、自身の最も嫌いな〝水商売風女″に仕上がり、背も高

          とっておいた涙

          【病院ハシゴ〜SNS炎上について】

          今朝は珍しく飛び起きて耳鼻科に行った。花粉症の時、風邪をもらうとすぐ副鼻腔炎になるので、このG.W.は鼻声で、日に日に匂いはしなくなるし、居ても立っても居られなくなったので耳鼻科へgo!だ。 休み明けで混んでそうだし、10時から診察なのに9時20分に着いたら、もう2人並んでいた。 そう、この耳鼻科の先生、知る人ぞ知るテクニシャン先生なのです。10時に行ったら看護士さんから『もう12時過ぎになるよー』なんて事はザラなのだ。なので朝イチを狙う。考える事は皆一緒である。 9:2

          【病院ハシゴ〜SNS炎上について】

          ラストバレンタインと入試

          バレンタインデー、よくもまぁ毎年毎年懲りもせずあげ続けるもんだと自分でも感心した。 フラれようが捨てられようが、お返しがあろうがなかろうが、そんなもの関係ない。 1年に1度だけ、〝女子から好きな男子に気持ちを伝える事が自然な流れでできる特別な日″、と小学校1年生の頃からずっと思っていた。 毎年1月の中旬になると、今年は誰にどんな形であげようかワクワクする。 私立の入試の合格発表が終わった翌週、すぐにバレンタインデーはやってきた。 今年は誰にも相談していない。もう迷わな

          ラストバレンタインと入試

          私立高校の入試と計画…

          1月中旬になると、私立専願の人たちの入試が始まった。 そういえば幼稚園、小中ずっと一緒で私の事をイジメていた恵子ちゃんは看護科のある私立を受けると言ってたな…中学に入ってからクラスもかぶらず、部活もグループも別になり関わる機会が減っていた。看護科のある学校に行くんだ…それより恵子ちゃん、最近やたら笑顔だ、不思議なもんだと思っていた。 まず私立専願の人たちの合格発表があり、皆喜んでいた。いいなぁ…早く楽になりたい。  塾で隣の席の仲村くんと母が居ない間、部屋の子機で長電話を

          私立高校の入試と計画…

          初めての産婦人科〜中3編

          あっという間に冬休みが終わり、中学生活最後の3学期が始まった。 志望校を決めてからは、母に言われたとおりひたすら過去問ばかりを繰り返し解いていた。 私立高校の入試が2月、生理が重い私は音楽科の高校を受ける際、生理と重ならないようにする為、生まれて初めて母と産婦人科を訪れた。実技試験の日に生理が重なると、肝心な演奏に支障が出てしまうからだ。 平日の午前中だったので中学の制服を着たまま近所の産婦人科に行って母と待合室に座っていると、何だか居心地の悪い視線を感じる…母と中学の

          初めての産婦人科〜中3編

          嫌われてなかった…?

          3年生の2学期が終わる少し前、アケミとクリスマスは何するの?という話になった。 母の宗教のせいで、誕生日はおろかクリスマスも全て禁止になり、ちっとも楽しくない。 祖父母の家は昔から地元の和菓子屋さんにお正月のお餅を頼んでいた。大きな鏡餅からあんこ餅、丸い白餅まで大小50個くらい、12/30につきたてのお餅を和菓子屋さんが木箱を二段ギッシリに入れて祖父母宅まで持ってきてくれる。 いつもその和菓子屋さんを利用していたので、クリスマスケーキは毎年和菓子屋さんが特別にサービスで祖

          嫌われてなかった…?

          そのままの君で

          夏休みが終わり、私も含めたほとんどの部活動の3年生は引退した。もう受験シーズンまっしぐらの時期に突入していた。 母も通った第一志望の進学校と、ワンランク落とした隣の学区にできた新設校の普通科を受験するか迷いに迷った。最終的な進路希望の決定は2学期の期末テストの結果と内申点が1番重要な鍵を握る。前述した通り、第一志望高校は私の成績ではスレスレ、合格できてもその高校に行けば勉強について行くだけで大変なのは目に見えている。一方、隣の学区の山手にできた新設校はおそらく今のところ射程

          そのままの君で

          理不尽さを感じた中学時代

          相変わらず“恋愛至上主義″を突っ走る生意気な中学3年生であったが、唯一苦手なカテゴリのものがあった。 当時女子の間ではジャニーズに熱を上げる子が多かった。私は小学生の頃からジャニーズにもアイドルにも全く興味がなかった。それよりも歌唱力のある“きちんと歌を歌っている歌手″の歌ばかり聴いていた。 小さい頃からテレビを見て、歌手という人たちは元々歌が好きで得意とし、実力ある人がそれを目指し、めちゃくちゃ努力してレッスンを受け、運を掴み取ったごく一部の人が歌手になるものだと信じこ

          理不尽さを感じた中学時代

          【フジコ・ヘミングさん】

          話は変わるが、今朝起きたら相方が 『レナが好きなフジコが亡くなったらしいよ!』と言われ、眠気が一気に吹き飛んだ。 すぐネットのニュースを見ると、1番最初の記事に『フジコヘミングさん亡くなる』とあった。同時にピアノ界隈の友人から、『レナさんの大好きなフジコさんの訃報が…ショックですね、どうぞ安らかに…』というLINEが数件届いていた。 フジコヘミングさんは60歳を過ぎてから日本に帰国し、ピアニストとしてデビューし、“ラ・カンパネラ″を弾く人と一躍時の人となった。 ピアニスト

          【フジコ・ヘミングさん】

          お嬢様学校とアケミの告白

          中3の1学期の期末テストが終わり、成績が全く上がらない事に悩んだ。部活を引退した“今まで勉強をサボっていた男子″がグンと力をつけていた。自分が頑張ったつもりでも、周りも同じペースかそれ以上に頑張っているからだ。 私の第一志望高校は学区内にある母も叔母も親戚一同が通った進学校、約220名のうち40番以内に居れば“安牌″と言われていた。その中のトップ3が隣の市の更にレベルの高い進学校の“理数科″に行ける特権を持っている。そのトップ3の中に夕ちゃんの“オキニ″の翔平くんと、私が勝

          お嬢様学校とアケミの告白

          Boy Meets Girl

          中3になると家での“規則″(※理想の娘像参照)が少しだけ緩められた。 というのも母が買ってくる洋服を全く着なくなったからだ。母の好みは膝下15cmくらいの変な花柄やダサいチェックの地味なスカートにフリルのブラウス、私はミニスカートやGパン、当時中学生の間で流行っていたいわゆる“ブランド物″の服、クレージュやELLE、ベネトン、モスキーノが好きだった。 隣町のデパートに少しだけあるが、その近所のセレクトショップでおばあちゃんに全て買ってもらっていた。 盆暮れに帰省する優しい叔

          Boy Meets Girl

          ヤるかヤラないか問題〜中3ver.

          中3になり、アケミとはクラスが離れてしまったが、幸いなことにアケミはミッちゃん&岩田くんと同じクラスになっていた。アケミは持ち前の明るさとコミュニケーション能力で、すぐ岩田くんらと仲良くなり、一緒につるんでいたミッちゃんの情報を聞き出しては随時私に教えてくれた。 ミッちゃんは、実力と圧倒的人望で男子バスケ部のキャプテンになった。ミッちゃんのユニフォームは4番、淳一が5番、チョコを捨てた武田くんが6番だった。この3人は中2からずっとスタメンだった。 一方ダブルゆうちゃん友達に

          ヤるかヤラないか問題〜中3ver.