鉄道オタクの息子を見てコンプレックスすら感じる
息子は鉄オタ。生まれてからずっと電車が好きで小学校に入っても変わらずにのめり込んでいます。
夏休みを使い地方の電車や駅を見に回ったところ、あれは○○系、あの路線はこういうもの、知識が多く何より楽しそうだった。
そんな姿をみるととても羨ましく思います。
好きなことがあり、とことん突き詰められる情熱がある。これを総じてオタクと呼ぶが研究者や専門家と同義語だなと常に感じます。
これはひとつの才能だと思っていて、誰もが好きなものがあってもそこまで打ち込めるわけではないし、好きなものがない人もいる。
ぼくも美容師が好きだけど、ここまでオタクにはなりきれない。なろうとしてオタクにはなれないんだと自分でもよくわかっています。
オタクに憧れる一般人のポジションではあるが、それでも毎日がとても刺激的だし楽しい。仕事がぱっとなくなったらどうなるのか全く想像ができません。
ちょい下の人間でも好きなことがどれだけ人生に大きく関わっているのかがわかります。オタクでいることは既に人生を楽しむ方法を持っている。そんな一つの能力とすらも思えます。
これからの時代、楽しめる人間が必要だよなと感じています。それはいいモノで溢れかえっているから。
生きていく上で十分便利だし快適だし、何か最新のものを取り入れても感情はそこまで揺れ動かないように思えます。
そうなると人間が豊かに生きていくにはモノではなく楽しいや嬉しいなどの感情が不可欠なのかなと。
自分が打ち込めるものがある人は楽しめるし、誰かを楽しませる方法もわかる。遊び方も知っているから同じ人たちを集めることもできる。
好きなものを通じてコミニケーションを取り、人とのつながりを持てる。
それが幸せなことだと本人は気づかないだろうけど、ただ好きなものを突き詰められる人間はこれから強いと思う。
オタクの人の話を聞くのは面白い。知らないことを聞くのはそれだけで楽しいが何より愛を感じる。好きな感情が言葉を通じて伝わりほんとに好きなんだなと。
楽しそうにしている人は見ているだけでポジティブな気持ちになれる。オタクになる才能があるから、周りにエネルギーを与えられるんだと思います。
オタクになり切れない自分は、なり切っている息子に憧れすら感じてしまう。思っているより背中をこされる日は近いのかもしれませんね。
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