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【君の夢は僕の夢】

「いつか美容系の仕事をしたい。将来、自分のお店を持つのが夢なんだ」

奥さんと付き合い始めた頃、彼女は自分の夢についてそんな風に話していた。

「カットだけじゃなくてスキンケアやネイルができたり、美容に関する相談も気軽に出来るそんなサロンが作れたら良いなって」

自分の夢を語る時の彼女の顔は本当にキラキラしていた。
当時の僕は自分の夢を持つどころか将来設計すらろくに立てていなかった。ただ目の前の仕事を淡々とこなす毎日だった。

そんな僕にとって夢を語る彼女はとても眩しくて魅力的に映った。
彼女の夢が叶うといいな、そんな風に思っていた。


結婚してからも彼女は夢ついて僕に語ってくれた。

「美容師の免許を取って数年経験を積んだら独立したいな」
「お店は出来れば自宅近くが良いけど、多少離れても仕方ないかな」
「いっそ自宅を改装して店舗にしちゃうかな!でもそれなら自宅も改装したいな(笑)」

時にお酒片手に冗談交じりに話すこともあったけど、彼女が本気で夢を叶えたいと思っている事はとても伝わってきた。
僕は彼女の夢の話を聞くのが好きだったし、彼女の夢を二人で叶えたいと思っていた。
彼女の夢が叶うことが僕の夢でもあった。

結婚して2年が経つ頃、彼女は事務の仕事を辞めた。
美容師の資格を取るために専門学校の資料をいくつか取り寄せたり、実際に説明会にも参加したりしていた。
僕は彼女の分も仕事を頑張ろうと思っていたし、自分に出来る事は何でもしようと思っていた。


そんな時、彼女の妊娠が分かった。
子供を授かる事を願っていた僕らはとても喜んだ。
彼女はすぐに産むことを決めて夢を一旦封印した。

ほどなくして息子が産まれた。
自分の子供がこんなに愛しくてこんなに尊い存在だと言う事を初めて知る事ができた。
産まれてきてくれた息子に、そして産んでくれた彼女に僕は感謝した。

息子はすくすくと育ってくれた。
お家の中を走り回ったりご飯をたくさん食べたりと元気な姿を見せてくれていたが、言葉を話すことがなかなか出来なかった。

療育の施設などに通ったがそれでも息子が言葉を発することは無かった。
息子が3歳になった頃、療育施設の先生から勧められて障害者手帳を申請した。
指定の施設で検査を行った後日、障がい者手帳が送られてきた。
手帳には最も重い判定である『A』と記載されていた。
息子は重度知的障がい者と認定された。

息子が障がい者となってから彼女の口から夢が語ることはなくなった。
僕からも彼女の夢について話はしなかった。
息子のことを考える日々で、夢を語る余裕なんてなかった。
彼女の夢は次第に僕らの間で無かった事のようになっていった。


月日が流れて今年息子は小学4年生になった。
判定は変わらず『A』のままで時々イタズラをしたり怒って泣いたりすることはあったが、小学校や放課後デイなどの生活にも慣れて落ち着いて過ごせていた。

穏やかな日々が流れるある春の日、彼女から相談を受けた。

「実は…来年から美容師の専門学校に行きたいって思ってる。ほら○○君は最近落ち着いてるし、小学校と放課後デイにお世話になれば大丈夫だと思うんだけどどうかな?」

彼女は不安そうな顔を僕に向けた。
確かに平日は小学校と放課後デイにお願いすれば、専門学校に行っても大丈夫だと思う。
でも放課後デイには毎日行けるわけではないし、小学校から呼び出されることもあるだろう。
彼女が行けない場合は当然僕が行くことになる。
彼女は僕に負担をかけるのではないかと思っているんだと思った。

「めちゃくちゃ良いと思うよ!うん、絶対行った方が良いよ!」

僕は嬉しかった。
彼女はもう一度夢に向かって進もうとしている。
その手助けが出来るのならこんなに嬉しい事はなかった。
僕らの夢が再び動き始めたと思っていた。


学校を決めてAO入試を申し込んだ初夏の頃、徐々に息子の行動が問題視され始めていた。
お友達に手を上げる、先生の言う事を聞かない、ママに反抗する、家の壁に落書きをする、家の廊下を毎日水浸しにする…などなど落ち着いていた日々が嘘のように問題行動を繰り返していた。

夏休み前には小学校から「支援学校への転入」を打診された。これ以上今の学校では息子の面倒を見るのは難しいとのことだった。
何度も二人で相談をして、2学期が始まる時には支援学校への転入を決めた。


「専門学校なんだけど、もう少し落ち着いてからにするよ」

9月の半ばだった。AO入試を目の前に控えていた彼女から唐突にこう言われた。

支援学校は市内にはなくスクールバスで通学することになる。帰りは放課後デイが停留所まで迎えにきてくれるが当然毎日ではない。
また息子が学校に行きたくないとぐずる日もあるだろう。
毎日授業がある学生だと、息子がそんな状態になったら遅刻するか休まなければならない可能性が高い。

仕方ないか、今は難しいよな…

彼女の言葉に僕もそう納得した。
彼女の夢は息子が落ち着いてからまた考えればいい、そんな風に思った。
「それがいいね」そう彼女に伝えようとしてふと思い留まった。

落ち着いてからって一体いつだ?支援学校を卒業した時?
中学生になったら?はたまた大人になった時か?
そもそも息子が落ち着く日ってくるのだろうか?

落ち着く日なんて待っていてもきっとこない。
今を逃したら彼女の夢は叶わない気がした。
彼女の夢が叶わないのは僕の夢が叶わないと同じだ。それに息子の存在が彼女の足枷になるのも嫌だった。
僕は決意を固めて彼女に言った。

「…いや専門学校行こうよ。○○のことは僕も出来るだけのことはやるし、二人で無理だったらお袋やお義父さん、周りのみんなに助けてもらえばいいじゃん。だから来年から学校に行こう。AO入試受けようよ!」

彼女は僕の言葉に驚いていた。「いやでも…」と難色を示していた。
でも僕は彼女が何を言っても「大丈夫!」と繰り返し伝えた。
最後は彼女が折れる形でAO入試を受けることが決まった。


彼女がAO入試を受けた数日後、一通の手紙が自宅に届いた。

その日の夜は三人で乾杯をした。
彼女は来年の春から学生となる。
この年齢になっても夢に向かって前進する彼女を僕は心から尊敬している。

先日、彼女が僕にこう聞いてきた。

「学校卒業したらどこの美容室に就職したら良いと思う?」

久しぶりに夢を語る彼女の顔はやっぱりキラキラと輝いていた。



#私のパートナー
#来年から学生です
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