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調べるほど足りないと感じるのはなぜ!?

アクセスありがとうございます。
越路つぐみです。


新しいことを得ようとしたとき、今の知識や経験にもうちょっとプラスしたいなと感じたとき、皆さんはどのようなアクションを起こすでしょうか。
もうちょっとほしいなと感じた分野を調べてみたり、誰かと話してみたり、最近だと動画などで学ぶ人も多いのかなと思います。

私も調べる・聞くから始めているのですけれど、最初のうちはよくてもだんだん、「あれ全然足りない」とか、「まだまだだ」となってくることがあります。

どんなことが影響しているのか、これもAIに聞いてみました。

調べることによって、自分の知らないことや疑問点が増えることがある。調べることは、知識の深化や拡大につながるが、同時に知識の限界や不確実性にも気づかせる。調べることは、答えを見つけるだけでなく、新たな問いを生むことでもある。
調べることによって、情報の多様性や相反性に直面することがある。調べることは、自分の視野や考え方を広げるが、同時に情報の信頼性や妥当性にも慎重になる。調べることは、一つの事実や意見にとらわれないだけでなく、複数の視点や根拠を比較・検討することでもある。
調べることによって、自分の興味や関心が変化することがある。調べることは、自分の知りたいことや学びたいことを追求するが、同時に自分の好奇心や探究心にも応える。調べることは、一つのテーマや目的にとどまらないだけでなく、新たなテーマや目的を発見することでもある。


以上のように、調べれば調べるほど、不十分な気がするのは、調べることが知識や情報や興味の変化や発展に伴う自然な感覚であると言えるかもしれません。調べることによって、自分の学びや思考を深めることができると考えることができます。

Microsoft Bing  「調べれば調べるほど不十分な気がするのはなぜだろう」


ああ、まさにこれですね。

調べてもその先があって埋まっていかないですし、語り手によって解釈や視点も違うから、「一体なんぞや?」となることが多いのです。
最後の自分の興味関心の変化についても、「この視点で見たらこれってどうなんだろう」が次から次へとでてきてしまうのです。

そっか、自然なことか。


私は、たりないなー、まだまだだなーと続けがちであったり、すそ野を広げてしまいがちなのですが、私がその行動を起こしているときは、「足りないものを埋めたい」があまり良い方向に作用していないような気がします。


だって結局、収拾がつかなくなるのですもの。

そういう意味ではある程度時期などで区切って、自分の考えや意見をまとめる作業をしてみたり、実際にどう使うかのステップに入っていって、その上で出てきた課題と向き合っていけるといいのかなと感じました。



ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
またの機会に。

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