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続百名城登城記録No.181~190

趣味で百名城と続百名城をめぐっているので登城したお城の記録を残していこうと思います
まだ百名城も続百名城も全制覇していないのでところどころ抜けているお城もありますが今後登城した際に追加していこうと思います
続百名城は特に穴あきの城が多いです

No.181 小倉城

こちらも写真がないです
修復中の時期に行ってしまって入れていません
絶対リベンジしたいところです
後、小倉は下関と同じ海鮮が流通しており、下関のブランド価格が入ってこないのでお手頃価格で最高の魚料理を食べることができます
九州は最高ですね
個人的に何度も通いたいなと思うような街です


No.182 水城

こちらも写真がないです
対中国防衛拠点の博多湾を守るために7世紀の古代に築かれたお城です
この時代は版築など朝鮮式の土木技術が色濃く反映されたお城になっていて版築で作られた土塁が見られます
水城の遺構は基本的に各地に点々と築かれた土塁であるので、見学するにはどこを見どころにするか悩ましいお城です
実際に唐・新羅軍の来襲もなかったので使われることもありませんでした

少し疑問に思うところとしては、蒙古襲来時に水城は活用されなかったのかな?というところです

一度目の蒙古襲来では武士の野戦での活躍によって敵を撤退させることに成功していますし、水城では防衛が心もとなかったのでしょうか?
2度目の来襲に備えては水城の強化ではなく、博多湾に新たな前線基地の石塁が築かれて、水際作戦を取っていることから、やはり水城は防衛力としては心もとなかったのかなと思います
どちらも蒙古軍を水際で食い止めているので水城の実力のほどはわかりませんが、防衛施設があるにもかかわらず、野戦を選んでいるということは、やはり水城では防衛がきつかったのかなと思ったりします
もしかしたら7世紀に攻められていたら水城は落ちていた可能性があるかもしれないと思うと末恐ろしいですね

ただ、土塁は7世紀に人力でコレ作ったのかよという規模のでかいものなので、古代の土木建築技術を侮ってはいけないなと思ったりします

No.183 久留米城

久留米にある久留米城です
城というよりはもう神社になっています
石垣は立派です


No.184 基肄城

こちらもちゃんとした写真が特にありません
西日本豪雨の後に行ったのでとんでもないことになっていました
石垣が崩れたりして危なそうなので、きりがいいところで引き上げました
また行かないといけないですね

古代山城は7世紀に作ったくせにその規模が作れるのか?というような驚きを感じるところが多いので、見に行きたいですね


No.185 唐津城

道路沿いから見ると海に浮かんでいるように見える唐津城です
ゾンビランドサガの舞台ですね
アクセスする際の橋から見える唐津城は早くこちらにいらっしゃいとでも言わんばかりの歓迎感を出してくれます
その手前の虹の松原の松の中を抜けてお城が見え始める演出は非常に最高です
見せ方が美しいお城ですね

非常に立派で天守も見ごたえがあります
そういえば続百名城なのかと思うようなお城です

景勝地として唐津に行くのもいいですね
くつろげそうです

No.186 金田城

こちらも写真がないです
もう二度と行くことはなさそうな対馬の金田城です
目的は金田城ですが、対馬全体もしっかり観光します
きっかけがなければ対馬に来ることはなかったので、対馬に行けたのはマジですごいなと思いました
金田城に来て驚くのは石垣の高さです
7世紀の時代につくられた石垣でここまでの高さを出せるんかという石垣の立派さです
7世紀でこのクオリティなら16世紀の戦国時代はなぜここから学ばなかったのかと超絶疑問に思うところです
今の様子からでは想像しがたいですが、対馬がこの時代の日本の最先端都市だったということを考えればこれくらいの石垣はお茶の子さいさいだったのかもしれません

ちなみに頂上付近は旧日本軍の防衛設備に転用されており、砲台跡がいたるところにあります
防空壕跡もあり、入ったら出られなさそうな不気味さがあります

あと、これは一番驚いたのですが、対馬って長崎県なんですね
博多からしか連絡船がないのと位置関係的に福岡とばかり思っていました


No.187 福江城(石田城)

五島列島の一番大きな福江島にあるお城、福江城です

江戸時代も終わりに差し掛かったころに作られたお城で江戸時代最後に作られたお城です
作っていいよと言われたときはさぞうれしかったでしょうね
ただ天守は元々作らず、二重櫓で代用されていたようです

福江城は庭園が一般公開されており、こちらの見学が非常に楽しいです
というか城内はほぼ高校の敷地になっており見学できるところがこちらの庭園しかありません

ちなみに五島列島は最高です
海のきれいさが尋常ではありません
何度でも行きたい場所です
リピートしまくりたいです
いつ行けることになるやら


No.188 原城

天草島原の乱で最後の最後まで粘ったお城です
その後、江戸幕府の威信にかけて、めっためたに打ち壊されました
原城です
本来は立派に組まれた石垣がいたるところに配置されたものすごく防御力の高いお城だったそうです
ですが、現在は江戸幕府がその痕跡を歴史から消すかの如くことごとく破却して土に埋めました
現在は原城という名からイメージできるような原っぱの広がるお城になっています

ちなみに自分は天草四郎=豊臣秀吉の孫説を推しています
豊臣家の馬印はひょうたんだったそうで、島原の乱で掲げられた天草四郎の馬印もひょうたんだったそうです
またその辺の農民上がりの少年がたった16-17歳で3万人規模の軍をまとめ上げるのは相当無理があると思いますが、かつての天下人の孫であったとすると話は変わると思います
また、徳川家が原城を徹底的に破却するなど、異常なまでに乱の痕跡を消そうとしたことも、天草四郎やっぱり秀吉の孫なんじゃね?と思ったりします
というのも、大阪夏の陣冬の陣で終結させたと宣言した手前やっぱり生き残りがいましたとか言えないから、存在をなかったことにしようとしたのでは?という説があります
普通に面白い説だなと思います
自分は歴史にそんなに詳しくないので、間違っているか正しいかわからない時はロマンを感じる方の説を推していきたいタイプです

No.189 鞠智城

こちらも唐・新羅連合軍が日本に侵攻してくることを防衛するために作られた7世紀に作られた古代山城です
復元された木造建築物が古代ロマンを一層深く感じさせてくれるお城です

木むき出しの木造建物って、見ていて非常に楽しいですね
周辺もかなり整備されており、ここはぜひ訪れるべきお城です

基本的には後方支援を行う後詰めの城だったようですが、大宰府が北と南から挟撃されることを防ごうという意図もあったと思います

地政学における朝鮮半島の緩衝地としての役割は白村江の戦いなどを見ていると古墳時代からすでにあったということが驚きですね


No.190 八代城

熊本県の八代城です
ちょっと南の芦北は放課後堤防日誌の舞台ですね
おれんじ鉄道乗ってみたいです

八代という場所も続百名城に選ばれなければなかなか訪れない地域だったので、行くきっかけがあって良かったです
球磨川が通っているからかくまモンの主張が強めな印象です


長くなるので一旦区切ります

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