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小林由依観

まえがき

 2016年12月31日、第67回NHK紅白歌合戦にて披露された欅坂46の"サイレントマジョリティー"。『初めからそう諦めてしまったら 僕らはなんのために生まれたのか?』力強いメッセージを全身全霊で伝えるデビュー一年目の欅坂46。その中の一人の少女の眼差しに異様に惹かれ、惚れ込んでしまった。その瞬間の記憶は脳裏に痛々しいまでに焼きついており、今でも鮮明に覚えている。いや、当時の自分は所謂"推しメン"との出会いを自分の中でドラマチックに仕立て上げたかっただけかもしれない。欅坂のオタクは"眼差し"や"表現"をオタクデビューのきっかけにしたがる習性がある。自分をただのアイドルオタクとは一線を引く存在となぜか思い込んでいるからだ。例に倣って自分もその一人で、推しメンとの出会いを洒落たモノとしたくて、紅白サイマジョの眼差しにやられたということにどこかしらのタイミングで記憶を改竄していたのかもしれない。まあ、きっかけの真意はどうであれ自分の小林由依オタクとしてのスタートは間違いなく紅白歌合戦で披露されたサイレントマジョリティーだった。

 紅白歌合戦の少し前、2016年の11月ごろ、自分は大学の推薦試験勉強に明け暮れていた。明け暮れていたとは言っても、実際に勉強をしていた時間は通常の高三受験生と比べれば月と鼈ほどかけ離れた微塵なモノだったが、同年6月に身内の不幸があってからはずっと精神がフワフワと浮遊していたような感覚で、受験も無いので友達や後輩と学生らしく遊ぶ時間もあったが意図して思考を放棄する時間も多かった。その思考のシャットダウン癖と勉強への集中は折り合いが悪く、幼い頭で思いつくレベルのくだらない不安と生産性0の無駄な時間だけが募っていく日々が続いた。その時に心の拠り所としていたのが、YouTubeでたまたま見た"二人セゾン"きっかけで知った欅坂46だ。決して病んでいたり何かの助けが必要だった訳ではない為、欅坂46が私を救ってくれたんです〜と、ケヤカスお決まりのヤツにはなれなかったのだが、その時は部活も引退し勉強もせずいた自分の無の時間を埋めてくれる何かが必要であり、欅坂が埋めてくれるその時間は言葉に出来ない何かが満たされていった。自分がオタク気質なこともあり学校から帰るとすぐに冠番組のまだ観た事のない回を観たり、MVやライブ映像を観たりと日に日にのめり込んでいき、当時はまだ若いコンテンツだった欅坂の全てを勉強そっちのけで頭に叩き込んでいった。12月25日、欅坂46の初ワンマンライブがライブ配信された日には友達とのボーリングを早退して家に帰るや否や正座してPCと向き合っていた程だ。

 その頃はまだ自分がアイドルオタクになったという自覚もなく、"推しメン"というモノを意識してはいなかったのだが、年を跨いで2017年1月。同時期に欅坂に興味を持った友人と「握手会とやらの視察に行ってみよう」という話になり、二人セゾンの全国握手会へと幕張に向かった。今考えてみれば握手会の視察というのは意味不明な行動で、本来券が無ければ会場にも入れないのだが、当時グッズ販売ブースだけは券が無くても入ることが出来た。せっかく来たのだから一つくらいグッズを買おうと思い、考え無しに購入列に並んだ。その時にはもう欅坂のオタクをやる気満々だったため、まずはオタクデビューの証としてメンバーのフルネームが書かれた通称"推しメンタオル"を購入しようと思い、手に持っていたスマホでデザインを調べてどのメンバーのタオルを買うか考えた。この時、なぜか「今買ったタオルのメンバーを一生推していくことになるだろう」という予感が収まらず、謎に腹を括るような気分でいた。当時売っていた推しメンタオルは通称"セゾンタオル"と呼ばれており、デザインは統一されているものの色合いがメンバーそれぞれが決めたカラーとなっていた。

当時のタオル一覧(欅坂46公式サイトより)

 好きなモンスターボールはウルトラボール、モンハンならジンオウガ、恐竜キングならパキリノサウルス、ベイブレードならシェルターレグルスと、一体なんの話をしているのかわからないと思うが要するに自分は昔から何かと青×黄の色味が好きで、何度タオル一覧を見ても青×黄カラーの小林由依タオルに目が行ってしまっていた。紅白サイマジョのこともあり既に小林由依に対して好意は抱いていたものの購入ギリギリまで長濱ねると小林由依で迷っていたのだが、順番が回ってきた時、バックヤードにチラリと見えた小林由依タオルの実物を見てビビッと来てしまい「あ、小林さんのタオルください」と瞬発的に購入していた。タオルを購入すると「自分は小林由依のオタク」とデータを上書きされたようなキモい感覚になり、その瞬間から小林由依のことしか考えられなくなった。ポケモンで御三家ポケモンを選んだ時かのように(このタオルとは一生の付き合いになるな…)と訳のわからない宿命のようなものまで感じていた。一種の病気だろう。ビジュアルや人柄に加えてメンバーカラーで推しメンを決めるという我ながらおかしな動機ではあったが、この日から本格的に小林由依オタクとしての人生がスタートした。

 と、ここまで長々と自分のオタクオリジンエピソードを語ってしまったが、このnoteは櫻坂46 小林由依の今までについてを主観的な記憶を辿りながら、その時々の思いや熱の変動の記録を残すという個人的な目的で書いている。個人的目的と言いつつ、人に見られる物でないとちゃんと書けないと思ったためnoteにて公開することにした。
 いつか訪れるそのタイミングでまとめれば良いかとも思っていたが、今まだしっかりと熱のある内に一旦書いてみようと思い立った次第だ。ここからは小林由依のオタクをしていて印象深かった出来事を時系列順に語っていく。先に断っておくが相当おかしく、偏った、気持ちの悪い記録である。興味のある方だけ是非ともご一読ください。

2017年9月14日 小林由依公式ブログ

 2017年の夏以降、欅坂46がどんな運命を辿っていくのか、そしてセンター平手友梨奈のことまで語ってしまうと長くなってしまうため割愛させていただくが、このnoteを読んでくださっている方はおそらく全てご存知だろう。自分のアイドルオタク人生初めての夏は、欅共和国2017、TIFと続いて夏の全国ツアー「真っ白なものは汚したくなる」(以下、"真っ白ツアー"と称す)の千穐楽にて幕を閉じた。
 その夏を通して得たのは一種のカルチャーショックで…と言って良いのかどうかもわからなかった。なんせ初めてアイドルオタクになって推したグループが欅坂46だったためだ。何かとんでもない渦の中に入り込んでしまったのかもしれないとだけ察した夏だった。
 真っ白ツアーの千秋楽を終え、面白い、これからどうなって行くんだ、と楽しみや期待が高まっていたが、正直多少の不満もあった。当時はツイッターなどもしていなかった為他のオタクたちがどう思っていたのかはわからないが、欅坂46というグループにまつわる全てが明らかに不健全な体質であることだけは理解していた。

そんな中で更新された小林由依のブログが今でも印象深く残っている。

 それまで真っ白ツアーの暗部に対して言及しているメンバーはあまりいなかった中でそのブログは更新された。当時自分が抱えていたモヤモヤや、真っ白ツアーやグループの状態に疑問を浮かべていたオタクたちに限りなく寄り添った内容だった。読みながら「やっぱそうだよね!」と、勝手ながら一方的なシンパシーを感じるブログだった。賢く、客観的な目線で自分やグループのことを見て、オタクの気持ちを理解しようとしてくれる優しい人なのだと思った。
 いま現在の自分はおひさま(日向坂46のオタク)とちょいbuddiesの二足の草鞋といった具合でオタクを続けてるのだが、自分が日向坂の前身である"ひらがなけやき"に興味を持ったのはこの真っ白ツアーがきっかけで、漢字欅との掛け算では無く足し算でLIVEの満足度を底上げしていたひらがなけやきの姿に感銘を受け、以降ひらがなの単独ライブにも通うようになった。自分が現場で直接観て感じたことに上乗せする形で、信頼している推しメンがブログに「ひらがなけやきへの感謝とリスペクト」を書いていたことで何か自分の中での説得力のようなモノが増した気がした。この時感じた「やっぱそうだよね!」のせいで今現在もまだまんまとおひさまをやっているのだろうと今になって思う。
 余談だが小林由依は早くからひらがなけやきのことを見込んでいて、ひらがなけやきに何か動きがある度に気にかけてブログにてその話題に触れていた。小林由依にとってはある意味欅坂への逆張りのようなモノだったのかもしれないが、当時のひらがなけやきは一応のアンダーグループという位置付けだったにもかかわらず、小林由依は常に対等な目線を持ち続け、切磋琢磨出来るグループでありたいと語っていた記憶がある。また、これはあまりよろしくない行為なのだが日向坂のライブに行った際、開演前などに関係者席を双眼鏡で覗き見すると小林由依が大体いる。おそらくではあるがスケジュール上問題が無ければ未だに日向坂のライブを観に来てくれているのであろう。後述する「先輩という身分」の話にも通づるモノがあるのかもしれない。
 小林由依は元々ブログの総合的な文章力に定評のあるメンバーで、自分もそのユーモアに惹かれた一人だったが、「グループに対するネガティブな話はファンの間で物議を醸さぬよう元の状態がわからなくなるくらいまで噛み砕いた後でお出ししてる感」を感じたのはこのブログが初めてだった。このブログを経て更に小林由依への好意、興味が湧いたし、勿論真相はわからなくとも、砕かれた物を自分なりに読み解き勝手ながら小林由依を少しでも理解したいという欲求が深まった。

2018年3月4日 ガラスを割れ!テレビ初披露

 2018年3月7日に発売された欅坂46 6枚目シングル「ガラスを割れ!」。この曲のセンター平手友梨奈は、CD発売直後に行われた2nd YEAR ANNIVERSARY LIVEをはじめとするガラスを割れ!のプロモーション期間中、スケジュールの都合でグループ活動に参加することが出来なかった。

 3月4日、NHK シブヤノオトにてガラスを割れ!のテレビ初披露があった。センター不在という異例の事態にどう対処するのか注目が集まる中、欅坂はAKB48や乃木坂46でも度々使用されている「Wセンター」という技法をとった。務めたのは本来のフォーメーションで平手の真隣のポジションだった今泉佑唯と小林由依、通称"ゆいちゃんず"の二人である。今泉佑唯は活動休止から復帰してからの本格的な活動再開戦となったが、小林由依含め人気、実力ともに申し分ない采配だったと思う。

 シブヤノオトでのガラスを割れ初披露を観ながら、2017年の夏から年末の紅白までを通して、センター平手一強体制に限界が来ていた欅坂にとってこれは良い機会になるのではないかとオタク目線ながら感じていた。そしてその第一弾の担い手となる一人が自分の推しメンであることが何より嬉しかった。
 この頃、いくつかのアイドル雑誌でWセンターを務める小林由依と今泉佑唯の二人でのインタビュー記事が掲載された。先述したブログ以降も、不安定なグループへの疑問符を原形がわからなくなる程度までぼやかした表現で書いたブログをいくつか投稿していた(本人にそんなつもりはなく勝手にこっちが深読みしすぎていただけ説は多分にあるが)小林由依だったが、この今泉佑唯とのインタビュー記事では珍しく真っ向から直接的な表現を用いることが多かったように思える。この状況を打開しなければならないという思い、二人でセンターを担うことでプレッシャーも二分の一、そんな戦況に背中を押されたのか小林由依と今泉佑唯は今までの平手一強体制を崩したいといった旨の話をしていたような記憶がある。

 しかし、この二人(二人の意思に賛同してくれていた他のメンバーも含め)の高い志や行動は欅坂の不健全な体質に対する特効薬となることはなく、かえって副作用のような物を引き起こした。平手推しの一部のオタクらに猛反発を喰らったのである。これがどれ程の人数いたのかは勿論わからないが、強い言葉でゆいちゃんず二人のことを批難しているような投稿も多数見受けられ、そういった声は母数が少なくとも何故か大きく聞こえてしまうのがインターネットの悪い点だ。

 自分も二人セゾンきっかけで欅坂に興味を持ったのはセンターだった平手友梨奈の存在が大きく、ガムロックフェスティバルや欅共和国2017、真っ白ツアー千秋楽を生で目撃して来た身として平手が魅力的な人物であることは大いに理解している。実際平手がグループ活動を再開した後のガラスを割れ!テレビ披露を観た時には小林推しながらも少なからず「やっぱ平手やな…」と思ってしまった。そのため平手や平手推しの人らのことを悪く言う気は全く無い(当時は若気の至りと言うやつで相当怒っていた気がするが)し、推しメンは平手でも、ゆいちゃんず二人の気概や意思を尊重していたオタクの方が勿論多かったと思う。

 しかし、この一件があって以降小林由依はブログやメッセージアプリ、ドキュメンタリーなどで本心を明かさなくなってしまったと個人的には思っている。小林由依のエゴサ事情は全くわからないが、インタビュー記事での啖呵を切った発言に対する反響が届いてしまっていたのかもしれない。粉々に噛み砕かれた後でも何かしら芯や意志を感じる小林由依からの発信を勝手に読み解こうとする変態考古学者としてやっていた自分としては非常に残念な出来事だった。そして、この一件でさらに平手一強体制に拍車がかかり、欅坂の宗教的ディティールが深まることとなってしまったと思っている。

 この頃から自分は小林由依のことがわからなくなっていった。と言っても、今までも勝手な自己解釈を行なっていただけで本当のことなど一つもわかっていなかったのだろうが。

2018年12月31日 第69回紅白歌合戦

 副作用と思われる影響はそれだけに治らず、同年11月4日には小林由依と共にWセンターを務めていた今泉佑唯がグループを卒業した。初期メンバー21人の絆を売りにしていた欅坂からの初の卒業者が、人気実力ともにトップクラスであった今泉佑唯になるとは誰が予想出来たか。卒業の真相はわからずとも、オタク視点からはやはり先述したガラスを割れ!期にあった出来事が影響していたのではないかと思わざるを得ない。本気でセンターを目指した少女が「このゲームは自分が勝てないように出来ている」と察し、夢破れ去っていく姿は強烈で残酷だった。

 今泉の卒業後、今まで様々なものを堰き止めていた栓が抜けたかのように卒業や活動休止が相次ぎ、紅白直前となった年末には平手友梨奈が再び活動休止を発表し、紅白歌合戦は16人での出演となった。披露曲はガラスを割れ!。今泉が卒業し、本来のセンターである平手の不参加が確定した段階で必然的に紅白でのセンターは小林由依となった。こんなことを言ってはなんだが、小林由依を推し始めた当初はまさか紅白歌合戦でセンターを務めるまでのメンバーになるとは思いもよらなかった。マイナー厨とまでは行かずともミーハーではありたく無いと言うオタク人間特有の選択をしたと思っていたのだが、気が付けば不可抗力ながらもその選んだ推しメンが紅白でセンターをすることになり、それが発表された時は正直動揺した。日本中の人々が観る紅白歌合戦という大舞台、そして上記のガラスを割れ!期間のトラウマで、パフォーマンスを観るまでは緊張で手の震えが止まらなかった。

 紅白本番、欅坂のメンバーに加えてバッグダンサーを交えた大所帯での圧巻のパフォーマンス。そしてそのド真ん中で文字通り乱舞する小林の姿に、こっちはただ視聴しているだけなのに体が沸騰するかのような高揚感に襲われ、鳥肌と涙が止まらなくなっていた。これまでも小林由依には最高の体験や様々な感情を与えて貰って来たが、ここまで「この人を推すことが出来て本当に良かった」と心の底から思えた瞬間は初めてだった。
 この時点で出来た最高火力のパフォーマンスが実現できたのは、小林由依の力だけではないことは言うまでもない。その他メンバーや振付師、演出家チームの面々、そしてこの紅白が行われる前の年末歌番組を通し、小林と共に存在感を放っていた鈴本美愉の力も大きかったであろう。

 小林由依がどんな心持ちで活動しているのかはこの時も不明瞭だった為、「とにかく抱え込まず、今日だけはノイズとなる声を気にすること無く活動の全てを自信に変えて自分のためにパフォーマンスしてほしい」とだけ願っていたが、後日放送された紅白の裏側にて、リハーサルでメンバーと輪になって座り涙ながらに不安を告白して仲間への協力を乞う小林の姿を見てなんとも居た堪れない気持ちになった。と同時に、久々に小林の本心に触れることが出来た気がして少し嬉しかった。この一年、ずっと一人で戦ってきたんだなと思った。そしてこの激動の2018年を最後まで駆け抜けてきたメンバー達の「大丈夫。私たちはやれることはやってきたよ。」と言わんばかりの、諦めや喪失的なムードの中行われた慰め合うような姿は、欅坂46史全体を語る上では外せない場面だと個人的には思っている。

 余談だが、ツイッターのタイムラインでの反響も素直に嬉しかった。オタク用のアカウントでフォローしている他のメンバー推しのオタクが沢山賞賛してくれたり、リアルでの友人用のアカウントでも「欅坂かっこいい」「ゔぁんこの推してる娘めっちゃ頑張ってたな」など反響があり、自分は何もしていないのに「せやろ。」と謎に誇らしげな気分になっていた。

この日のことは今までの小林由依オタク人生の中でも未だに一番と言って良いほどの思い出である。

2019年8月16日 欅坂46 夏の全国アリーナツアー2019初日

 2017年夏から18、19年夏にかけて、欅坂46の混沌と言わざるを得ない苦しい状況は絶えず続いてきたが、この全国ツアー2019にてついにメンバー達の辛抱と努力が花開くこととなる。そしてこの公演は後の櫻坂46誕生への初めの一歩であったと個人的には思っている。(後に公開されたドキュメンタリー映画にもそれを彷彿とさせるような場面が存在した。)

 ツアー初日の前日、未だ全ての楽曲でセンターを務めていた平手友梨奈の公演欠席がアナウンスされ、正直自分は「またか…」と飽々していた。どれだけ平手以外のメンバーが頑張ろうと平手の出方一つで全てが左右され、運営も平手一強体制の不健全さを改善する気が無い。もう欅坂に改善の余地は無いんだと思ってしまった。

 消化試合に挑むような気持ちでツアー初日の仙台公演に足を運んだ自分だったが、会場に入るや否や開演前BGMとして流れていたルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」を聴きハッとした。どうハッとしたのかは上手く説明出来ないが、結局はこんな状況の中でも自分が大河ドラマ的にグループを追っかけることを楽しんでいたことに気がついた。そして自分にとってのドラマの支柱となるのは推しメン、小林由依であり、小林由依がいる限りはこの物語を最後まで見届けたいと強く思った。

 公演は全ての楽曲で代理センターを立てていて、この昨年末話題となっていた鈴本美愉センターの「アンビバレント」から始まった時点で自分はガッシリと心を掴まれていた。小林由依も数多くの楽曲で代理センターを務め上げた。その中でも「風に吹かれても」のパフォーマンスでは、公演が進むにつれてステージ上に設置されたフェンスを乗り越えるような演出へと変更されて行き、それはある意味"欅坂46"という強い固定概念からの"解放"を意味していたように思えた。そんなこじ付けがましいことを考えてしまうのも、小林由依という人間のバックボーンがあってこそなのだろう。

 このツアー2019は激動の2018年を駆け抜けてきたメンバー達の血と涙の結晶であり、後の櫻坂46へと続く大事な分岐点となった。今でもそう思ってるし、そうであって欲しいと願ってしまうような、思い出深いツアーだった。

2020年10月12日 13日 欅坂46 THE LAST LIVE

 2020年に入るとそれまで全ての楽曲でセンターを務めていた平手友梨奈は卒業、その他メンバーも多々卒業、コロナ禍突入、欅坂46は消滅、改名発表と、様々な大事件が立て続けに起きるのだが、全てに触れると小林由依の話が進まないため欅坂46としての活動が終わったTHE LAST LIVEの話にてまとめる事とする。

 コロナ禍での開催となったこのライブは配信ライブという形で行われ、最初はここまで愛したグループの最後を生で見届けられない歯痒さを感じていたが、まず券が当たらなかったらそれこそ自害案件であり、結果的には配信で良かったと思っている。そして、欅坂46デビュー1周年ライブから全てのライブに足を運んできたが、このライブほど完璧なライブは無いと今でも思えるほど大好きなライブだ。わざわざ会場近くの渋谷のカラオケの部屋を取って、あの時一緒にタオルを買いに行った友人と二人で、あの時買った青と黄色のタオルで涙を拭いながらその最期を見届けた。

 事実上の解散ライブということもあり、歴代の表題曲は勿論、カテゴリーの縛り無く全域をさらうように選曲されたカップリング曲、さらには未披露だった新曲(正確には未発売となった9thシングルの楽曲)など、隅々まで工夫の凝らされたセトリに、歴代MV、CDジャケット、ライブで行った良演出などの今まで欅坂が力を入れてきた"アート面"の全てをいいとこ取りしたような演出が加わり、配信ライブながらも底知れない満足度と感動があった。

 2018年から続く形で、このライブでも小林由依は数多くのセンターを務めることになった。その一つ、「風に吹かれても」ではワイヤーを使った小林由依の飛翔演出があり、先述したツアー2019の「風に吹かれても」から地続きの物語のように感じた。特に、オタクらの間で魔曲(普通に恥ずかしいためあまり使いたくは無い言葉だが)と言われてきた4thシングル「不協和音」と8thシングル「黒い羊」の代理センターを、欅坂46の二大功労者であるキャプテン 菅井友香と小林由依が務めていたのには胸が熱くなった。グループ、メンバー、オタク、運営、その全てが振り回されてきた厄介な曲にトドメを刺すには相応しい二人だと思った。そして、一つの公演でこの二曲を同時に行うことは平手友梨奈が在籍していた頃には実現し得なかったことであり、同セトリにこの二曲を入れ込み、しかも初日に行うという采配には大きな意味があったと思っている。

 黒い羊のパフォーマンス冒頭では、センターを務める小林由依を周りのメンバー達が優しく抱きしめるという黒い羊のジャケット写真を彷彿とさせるような画作りが施され、自分はデジャヴとしてあの紅白ガラ割れのリハーサル風景を想起した。あの頃からここに至るまでのメンバー達の苦労を想像して胸が苦しくなった。

 小林由依は他にも、卒業した今泉佑唯とのユニットである"ゆいちゃんず"の初めての楽曲「渋谷川」をソロで歌唱したり、初日の一曲目と二日目の最後で二度披露されたされた1stシングル「サイレントマジョリティー」でもセンターを務めるなど、二日間を通して終始存在感を放っていた。大好きなグループが終わるその最後の瞬間に大好きな人がセンターというポジションを任されたこと、ただただ嬉しかった。誇らしかった。欅坂46というグループで小林由依を推して来られて本当に良かった。様々なポジティブな感情が押し寄せてきたが、一番は「ここまで頑張ってきてくれて、こんな体験をさせてくれてありがとう」という気持ちだった。

欅坂46はこの日で終わりを迎えたが、小林由依の物語はまだまだ続く。

2021年9月9日 休養発表

 欅坂が櫻坂に改名してからは何か燃え尽きたような感覚で、日向坂に本腰を入れていた事もあり若干の興味の薄れがあった。小林由依についてもそこまで熱心に追うような事はなくなり、(と言っても出演したラジオは全て聴いていたしインタビュー記事が載っている雑誌も全て買ってはいたが)しばらくはおひさま活動がメインとなっていた。

 これと言った予兆も無く休養が発表された時は驚いたが、メッセージアプリにて小林本人から休養の旨を聞いて一安心した。またこれも、久々に小林由依の本心に触れることが出来た気がして嬉しかった。確かに欅坂から櫻坂と、ここまでノンストップでしかも重役が続いてきたわけだしゆっくり休んでくれれば良いなと軽く考えていた。

 その後、12月9日に行われた櫻坂1周年ライブにて復帰を果たしたのだが、復帰明けとは思えないほど圧巻のパフォーマンスを魅せた「ジャマイカビール」の披露直後のMCで少し雰囲気に違和感があった。最近自分が軽薄に追っていたせいなのか?とも一度考えたが、この時の「こんな人だったっけ?」といった所感はしばらく続くことになった。

2022年10月4日 2nd写真集「意外性」発売

 休養から約一年後、記念すべき小林由依の2nd写真集「意外性」が発売された。この写真集発売が発表された時は「お、まだ卒業しないっぽいな。ありがとね。」くらいにしか考えていなかったのだが、この写真集のプロモーション期間、そして櫻坂46 2nd tour 2022「As you know ?」を通して再び小林由依熱が上昇する事となった。熱の上昇というよりかは、小林由依の変化に自分の認識が追いついたと言った方が正しいだろう。

 愚かなことにこの頃まで気が付けなかったのだが、自分は欅坂時代の印象を引きずり続けて「小林由依には"戦士"として戦い続けていて欲しい」という強引なラベリングをしようとしていた。櫻坂が二期生の為のグループだとしてももっと貪欲に、表題センターの座を狙うくらいの気持ちでいて欲しい、欅坂時代あれだけの修羅場を先人切ってくぐり抜けて来た小林由依にはその資格があると、勝手にそう思い込むだけなら自由だが、それを無意識に要求してしまっていたのだと気が付いた。

 2nd 写真集は全てのページで大人びた小林由依の美人度合いが余すことなく炸裂してる、アイドル写真集としても最高な代物だったが、巻末にある小林由依の直筆で書かれたあとがきの内容も心に残っている。休養を発表された時、自分は勝手に運営からのご褒美休みくらいに考えていたが、このあとがきにはその頃のことを「作り笑いも出来なくなっていた。1日を歩むのはこんなにもきついことなのか。」と書かれていた。今までこれだけ小林由依の本心を好き勝手探りながらオタクをやってきたが、やはり断片的なソースだけで勝手に都合よく解釈してわかったつもりでも、それは単なる驕りに過ぎなかったんだなと改めて思い知らされる一文だった。好き勝手に形成した型にハマらなくなったら「なんか変わっちゃったな」と勝手に冷めてしまう、全てにおけるオタクなんかこんなモノなのかも知れないが、アイドルは現実に存在する人間で、対人ということを忘れてはならないのだという先人達から代々伝えられてきた戒めの意味が本当の意味で理解出来た気がした。
 また、この後に書かれていた「頑張らないことを頑張る」というフレーズも頭に残っている。休養期間を経て気づいたことらしい。とは言っても1オタクから見れば自分にストイックな活動姿勢は昔も今も全然変わっていないような気がするが、本人が今伸び伸びと楽しく活動出来ているのであればそれ以上求める事は何も無い。いや、この"あとがき"を読んで無くなったと言うべきか。

 戦士としての姿を追い求めていた自分だったが、段々と退役軍人の威厳ある格好良さや魅力もわかってきた。櫻坂46の二期生、特にセンター経験者の面々のパフォーマンス力は凄まじいモノで、ライブに行く度に「森田ひスゲェ…」「天ちゃん、あんた一体ナニモンなんや…」と感嘆の声が漏れてしまうほどの力があるのだが、その現役エースの面々に勝るとも劣らないパフォーマンス力で未だに前線で張り合い続けているのが小林由依だ。欅坂時代数多くの代理センターを任されていたことからも分かるように、元々歌もダンスも上手で、総合的なパフォーマンス力が高いメンバーではあったが、櫻坂になりより一層磨きがかかった印象がある。この変化については陰ながらの努力はもちろんあるにしろ、櫻坂になり後輩も多くなってからの「先輩という身分」が肌に合っているのかなとも思っている。月並みな表現ではあるが「背中で語る」が超得意なのかもしれないと。現在開催されている櫻坂46展「新せ界」にあった櫻坂の将来へのヴィジョンのようなものを語るコーナーでは「後輩たちが目指したいと思える存在になれれば」とも語っていたため、やっぱそうなんだと思う。

 推し始めてから5年も経てば、あの頃と変わる所だってもちろんあるし、自分も変わる。それでも、全てが変わってしまったわけでは無い。例えば、あの頃ひらがなけやきのドラマ撮影現場に差し入れしてあげていた後輩思いな人柄とか。

2023年8月27日 舞台「隠し砦の三悪人」大千穐楽

 小林由依は女優業もこなしてきたメンバーだ。今年の夏、今までの女優仕事の中でも一番と言える大舞台が行われた。舞台「隠し砦の三悪人」だ。錚々たる面々が顔を揃えるメインキャストの中の一人として小林由依が選ばれた。欅坂時代、欅のキセキというアプリゲームで他のメンバーらがカンペガン読みのテキトー演技をしていた中でも小林由依だけは憧れのお芝居仕事の一環だと思っていたんじゃ無いかと思えるほどしっかり演技していた。そんな些細な所から地道に演技仕事を頑張ってきた小林由依の晴れ舞台に立ち会えるという喜びで、自分はこの舞台に3度足を運んだ。

 あらすじなどは各自調べて欲しいのだが、小林由依が演じた「雪姫」という役はとてもハマり役だったと思った。この物語内で雪姫が辿る「理想を掲げ、打ち砕かれ、腹を括り、耐え忍び、好転を引き寄せる」というストーリーに、直感的に今までの小林由依の活動を重ねてしまい、変に感情移入してしまった。好転を「願い待つ」のでは無く、人望や姿勢で「引き寄せた」のはまさしくこれまでの小林由依というアイドルの生き様だと思った。大千穐楽の最後、会場中がスタンディングオベーションという中行われたキャスト挨拶では、久々に泣く小林由依が観られるかも?と少し不純な気持ちでいたが、実際は全く泣いておらずに幕が降りるまで堂々とした佇まいだった。
 もういつからそうなったかは思い出せないが、ただの好きなアイドルというよりかは今や同じ人間としての尊敬の念の方が強い。もはや一周回って自分の人生一生かけても今この瞬間の、24歳時点での小林由依にすら追いつけないんだろうなと、ふとそんなことを思いムナくなることが増えてきたくらいだ。

 「隠し砦の三悪人」大千穐楽を終え、大阪から東京へ向かう真っ暗な夜行バスの中で静かにあの小林の佇まいを思い出し、自分も少しでもこんな風になれるように人生頑張ろうと強く思った。小林由依より一個上なんですけどね。

最後に

 ここまで辿り着いてくれた方がどれほどいるかはわからないが、とりあえずここまで長々と小林由依を噛ませたキモい自分語りを読んでくださった方、ありがとうございます。
 最初は記録などというドライなテイで書いていたが、とにかく今でも小林由依の全部が好きなんだなということが自分のことながら再認識出来た良い機会になった。こんだけ書いたのにあまり触れることが出来なかった為ここに乱暴に書いておくが、ニンやバックボーンのこと以前にまず小林由依の顔とかスタイル、ビジュアルがめちゃくちゃ好きだ。あと名前も好き。まあとにかく全部を肯定してあげたいほど好きな人物なのだ。読んでくださった方にそれだけでも伝わっていれば嬉しい限りだ。まあまあ握手もミーグリも通っていたが、未だに認知も無ければLIVEでレスを貰えたことも一度あったかないか。そんなガチの赤の他人にこんな好き勝手ストーカー紛いの長文を書かれた小林由依からしたら気持ち悪くてたまったもんじゃないかもしれないが。

 先週発売されたばかりの櫻坂46 7thシングル「承認欲求」のカップリングにて、小林由依の初センター楽曲「隙間風よ」が収録された。


 それに伴いメッセージアプリにて小林由依から久方ぶりの長文メッセージが届いた。未だにこういうことがあると本心に触れることが出来て嬉しいと思ってしまうのだが、これはもう自分のオタクとしての性なため、止められないのは仕方無いと思うようにした。

 直近の有料コンテンツなため詳しい内容は伏せておくが、自分はこのメッセージに多くのケヤカス、buddiesらの間で長らく擦られ続けていた小林由依と平手友梨奈の対比的構造へのアンサーが含まれていたように思えた。ドキュメンタリー映画内で使用された『「世界には愛しかない」のMV撮影現場にて平手友梨奈の単独シーン撮影を見つめながら涙を流す小林由依』の映像(この映像はとっくに既出のモノだったが、多くのオタクらに知られることとなったのはこのドキュメンタリー映画がきっかけ)を皮切りに、小林由依のことを「天性の才能を秘めた者にどれだけ努力しても追いつけない悲劇のヒロイン」的な扱いをする風潮が広まったと思っているが、個人的には以前からこの風潮にずっと違和感があった。小林由依という一人の人間を平手友梨奈を際立たせる舞台装置として利用されてる感が嫌だったのかもしれない。(ただこれは自分も平手を調味料的に捉えてる自負もあるためあまり人のことをとやかく言えないのだが)この嫌悪感の言語化は未だに出来ずにいるが、とにかく100年前の欅坂2ndシングル期の話をいつまでしているんだとはなるし、小林由依はそんなモノとっくの昔に割り切っていて、もっとリアリティーラインを高めた視点で活動しているだろと未だにツッコみたくはなってしまう。そんな子供じみた風説へのアンサーをこれまた噛み砕いた上で長文の中に忍び込ませていたように自分は受け取った。反芻の跡が見て取れる小林由依の長文はやっぱり良いなと思った。

 MV監督はあの「サイレントマジョリティー」を担当していた池田一真。メンバーが次々とビンタされていくインパクトのあるMVであり、小林由依やその他メンバーと自然の陰影が合わさる美しいMVでもある。小林由依 × 池田一真 × "痛み"という構築に、思い当たる節の多さからどうしてもケヤカスの血が騒いでしまったが、小林由依が「センターの人間性とそれを踏まえて深読みできるよう作られた歌詞、MV、振り付け」と、それを好むファンらに散々振り回されてきた人であることを考慮し、小林由依への歌詞やMVとの紐付けは自分はしないでおこうと思った。(もちろん製作者の意図を汲もうとすることはリスペクトに他ならないため全然やってもいい行為、むしろするべき行為ではあるが)ただ、クリエイター陣の中で「せっかく小林由依がセンターなんだからいっちょ欅坂の話でもしますか」ということになったのであれば、それは自分にとっても素直に嬉しいことではある。

 櫻坂の東京ドーム公演にて菅井友香が触れていた「小林由依のダブルスタンバイ」についてを語った雑誌のインタビュー記事で、小林由依は「他にやれる人がいなかったので私がやっていただけです」と語っていた。もはや寡黙な職人、匠のような域まで達しているのかとも思える発言だったが、同じインタビュー内で語っていた櫻坂ドーム公演の「不協和音」披露についての見解からするに小林由依にとっての「やっただけ」というスタンスは欅坂時代を通してのノウハウの一つなのだろうと思った。パフォーマンスや表現力において歌詞に感情を乗せることは大事だが、あくまでパフォーマンスはパフォーマンスに過ぎない、という割り切った考え方は、欅坂に対する一種のアンチテーゼのようなものを感じるし、小林由依をはじめ、その他多くの櫻坂メンバーにも徹底されているような気がする。

 そう考えるとやっぱ匠のような人だなとも思うが、小林由依の「やっただけ」を尊重してここでは単に「歌い出しのソロパートが一番感動した」ということにしておこう。

 もうこのまま卒業する時にカップリングでセンター曲貰って終わりかな、もし卒コンがあったらそこで誰鐘やってくれればあとはもう何でもいいや、くらいの心持ちでいたが、まさかここに来て卒業思い出センター(施設みたいですね)ではない初のセンター曲、しかもMV付きが小林由依に割り振られたのは正直予想外だった。このnoteの話ぶりから伝わっているかもしれないが、正直小林由依の「無冠の帝王な部分」を楽しんでしまっていた自覚もある為、複雑ではある物のこのMVのサムネイルを観た時は素直におめでとうと思えた。そして、こうなったからには“もう一回り大きなバッヂ”を小林由依には手にして欲しいなと、また少し欲深くなれた。

 これからも物語の最後を見届けるまではあのタオルを握り締めて現場に足を運ぶことになるだろう。その時に「小林由依を推し切ることが出来て本当に良かった。」と心の底から思えるように。





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