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映画『PERFECT DAYS』

第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、役所広司が男優賞、作品がエキュメニカル審査員賞を受賞した本作。

役所広司演じる平山は、決まったルーティンで毎日を送っている。朝5時15分に起き、布団をたたみ、歯を磨き、植物に水をやり、缶コーヒーを買って軽自動車に乗って渋谷区にあるトイレの清掃へ向かう。帰ったら銭湯へ行き、自転車で浅草まで行って1,2杯飲み、夜は布団のなかで文庫本を読みながら過ごす。

平山は無口だ。清掃の同僚の軽口にものらない。だからモノローグもない。ひどく静かな映画だ。平山のルーティンと静けさが、海外では「禅的」と評価を得たのかもしれない。

平山の暮らしているところは江東区亀戸だ。映画の中で言及されているわけではないけど、亀戸高祖神社の近くのアパートに暮らしていて、浅草通りを車で移動している。わたしは江東区住みでこのあたりは馴染みだけれど、「外国人監督が日本を撮った」ようには一度も見えなかった。

人付き合いを避け、カセットテープで60~70年代の音楽を聴き、テレビもラジオもない部屋で文庫本を読み、フィルム・カメラで木漏れ日を撮る平山は、たしかに選択的没落貴族なのだろう。だけど平山は世の中のあれこれを最初から投げ出す人物造形をされているだろうか。同僚や姪っ子、馴染みの店員との交流を避けているわけではない。単なる世捨て人ではない。

歳をとって死が近くなってくると、持ち物を処分して身軽になりたい、あわよくば人間関係も処分したい……と自分は思う。だから平山の生活は理想だ。
最後の長い長い役所広司のアップには、老年の理想や、その通りにならない諦観や、働き続けなければいけないこと、人とのかかわりの面倒くささ、でも感情が揺さぶられる出来事から人間は逃れられないという覚悟みたいなものを感じ取った。

そして肝心の渋谷区のトイレだが、本作における平山の職業はトイレ清掃員でなくてもいいような気がする。そういう意味では目論見から外れてしまったのでは。

(余談)
・平山が通う写真屋のシーンで、店主が「翻訳家の柴田元幸さんでは…いや柴田先生がなぜこの映画に?…すごく似ているけど他人でしょ」と自問自答してスルーしたけど、パンフレットでご本人と判明。驚いた。
・あがた森魚のギターで石川さゆりが「朝日のあたる家」を歌うシーン、組み合わせがすごく豪華で興奮したけど、石川さゆりのスターオーラがすごくて演技としては浮いてたような。
・パンフレットがとてもリッチ。映画が気に入ったなら購入推奨。

亀戸高祖神社。こじんまりとしていて気持ちがいい境内。
自販機はないけど、アパートも実在。住んでみたい。

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