見出し画像

ぜったい次に来る、カタルニアの焼きねぎ。

15年くらい前にポーランドに行って、水玉の陶器を買ったり、おいしいスイーツを食べて「ぜったい次に来るのはポーランド」と思っていた。

数年前、帰省したときに二子玉川のショッピングセンターで「ポーリッシュポタリー」と水玉の陶器が並べられていたのをみて、やっぱりなと思った。ふふん、と鼻の穴が広がった。

水玉模様が特徴。
ぽってり愛らしいポーランドの陶器。

もうひとつ、ぜったい次に来ると思ってるものがある。
思ってからもう7-8年経ってるので、来てないじゃんともいえるんだけど、コロナが間にあったからだと信じている(言い訳)。
それは、カルソッツ(calçot)。
カタルニアの、冬そして早春の象徴。

見た目は日本の長ネギに似ているので、イギリス英語でいうところのリーク(Leek)と訳したくなるのだけれど、バルセロナっ子のヌリアもブルーノも「ちがう、ちがう。オニオン、ね」という。
どうやら仲間としては玉ねぎの部類のネギらしい。
日本のネギで近い味だと、甘さがあって太くない。深谷ネギ、といったところ。
置いておくだけでただよう香りはツンとせず、そして、焼いた後の甘みがたまらない。

このカルソッツを直火で真っ黒こげに焼き、中の部分を取り出し、ソースにつけて食べることをカルソターダ (Calçotada)と呼ぶ。

冬から春にかけて、バルセロナのレストランはもちろん、ロンドンのカタルニア料理レストランなどでも食べられる。
けれど通常は、家族みんなで郊外の大きな野外オーブンがあるレストランへ出かけていって、あるいは公園に設置されたレンガ積みのオーブンで、はたまた友達の家の庭に集って、ワイワイがやがやと食べるものらしい。

「本当はブドウの枝でやるんだけど」とはヌリアの弁。
炭では炎が弱くて焦げないので木片じゃないとダメなんだとか。

ネギを焼く間にはみんなで火を囲みながらワインを手におしゃべりし、ネギを回し。

最初のネギを置いたらすぐ乾杯。

焼いたネギを新聞紙の中で蒸している間に、さらにワインを飲んでおしゃべり。
そして、柔らかくしっとりと加熱がいきわたったネギを食べる。

下の部分を押さえて、上手に葉の部分を引っ張ると、するりと焦げのなかから真っ白くぬめっている部分が抜け落ちる。それをカップにいれたソースに浸して、ガッと口を開けてペロリ。

オランダでヘリングを食べるときと同じ要領。

つけるソースはロメスコソース(Salsa Romesco)と呼ばれるもの。
カタルニアで採れるアーモンドとヘーゼルナッツのすりおろしに、オーブンで焼いてねっとりさせたニンニクに同じくオーブンで焼いて皮をむいたトマトとパプリカのペースト。そこへオリーブオイル、ワインビネガーで硬さと味を調節して出来上がり。

どこの家でも、おばあちゃんやお母さんから引き継がれたレシピがあるらしい。

こうして指を真っ黒にしながらネギをむき、ロメスコソースをたっぷりつけてだらりと口に垂らし入れて堪能している間に、火力がちょうどよくなってくる。そこへ今度はソーセージやラム、鶏肉などを乗せて第二章。

お昼から夜まで、食べ続け、しゃべり続ける。

幸せにお腹いっぱいになる一日がかりのイベントなのだ。

「なんか、バルセロナに冬に行くと、ネギを食べるんでしょ」

最初にそう私に教えてくれたのは、日本人のYちゃんだった。
2015年の12月。フィギュアスケートのグランプリファイナルがバルセロナで行われるというので、Yちゃんは羽生結弦を、私はパトリック・チャンを観たくて行くことにした。
そう、羽生結弦が世界歴代最高得点で男子史上初の3連覇を達成したあのときだ。

ホテルが高騰しているというので、ブルーノの普段使っていないアパートを使わせてもらい、会場と往復する二泊三日の慌ただしい滞在。
そのため結局カルソッツを味わうことなくロンドンに戻ってくることになった。

「ネギ、売ってるのは見たけど、結局食べられないままだったんだよね」

そうオフィスで話したところ、ヌリアが奮起してくれたのだ。

「じゃ、今度家に帰ったとき、オニオン買ってくるからさ。ロンドンのうちの庭でやろうよ。カルソターダを」

こうして2016年早春、ロンドンでのカルソターダの「伝統」がスタートした。

それから、コロナがあり、ヌリアがバルセロナの地元に戻る決心をし、何人ものヨーロッパ出身の同僚たちが地元の国に帰っていってしまった。

「今年もやる?」

でも、今年もヌリアからメッセージがやってきた。
やる気があるなら、ネギしょって飛んでくるよと。

ヌリアがかつて住んでいたフラットには、仲がよかったフランス人のマリーが娘と二人で住んでいる。
かつてバルセロナで暮らしていて、元夫がカタルニア人でもあるマリーは娘ともヌリアともスペイン語とフランス語をちゃんぽんで話すくらいで、もちろんカルソターダの常勤メンバーだった。
ヌリアが帰国したあとも、いつも気持ちよく同じフラットの庭を開放して、カルソターダの主催をしてくれる。

「やろう、やろう」

ヌリアとマリー、そしてわたしの3人のグループチャットで開催が決まった。娘が受験生な今年は、ヌリアは私の家に泊まってネギをもって当日いくことにした。

キレイに剝いて洗って持ってきてくれた。
「お母さんが、そのほうが軽くなるでしょとアドバイスしてくれた」らしい。

昔の会社を離れてもう5年。
でも、やっぱりイギリスまで転勤してきた理由だったし、10年以上ロンドンオフィスで働いていた仲間たち。
私の今のネットワークのベースは、あの会社でつちかったものだ。

それが一年に一度であっても、コロナがあって間があいていたとしても、顔を合わせれば、あっという間に時空が飛ぶ。
カルソターダは毎年そんなイベントだった。

スペイン人、フランス人、ポルトガル人、スコットランド人に日本人。

今回は日程を固めたのが直前だったこともあり、いつもの半分くらい。こじんまりとした集まりになった。
けれど、でもすぐ昔のように、仕事の話から、それぞれの近況。
文化や政治の話から、人生、恋愛観まで。
ありとあらゆる話題を、火を取り囲んで、そして室内に移ってからも、語り続けた。
逆にこじんまりしていた分、濃い時間になった気もする。

11時の火起こしから、13時のスタート、そして夜の9時過ぎまで。
気がついたら外は真っ暗になっていた。

イギリスに住みながらも、こうして他のヨーロッパの国の文化をたくさん教えてくれる仲間たちがいること。
そして、みんなが別の場所、別の会社に移っても、ちゃんと繋がってくれること。

カルソターダの「伝統」が、こうやってみんなを結びつけてくれているのだなとしみじみ思いながら、ヌリアと二人、帰りのバスに乗り込んだ。

「日本人ってさ、海外のいろんなものがブームになるのね。この前まで、ブリオッシュにクリーム挟んだイタリアのマリトッツオってのが流行ってたの。私、次は、カルソッツがくるんじゃないかって思ってるんだけど」

そう私が言うと、ヌリアがケラケラと笑った。

「そしたらさ、私たちトーキョーでカルソターダレストランやって儲ければいいんじゃない?」

ふうむ。
これ、新しいビジネスチャンス、となるかしら。


この記事が参加している募集

私のイチオシ

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。