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投石を観に行ったらコンドルにあたまを打たれた話

日本はGWのシーズン。イギリスも、5月の最初と最後の月曜日はバンクホリデー(祝日)なので、三連休が2回ある嬉しい月だ。

先月、出張でフランスにいったついでに南仏の友達のところへ足を延ばし、太陽にあたり美味しいものを食べてきたので、この連休は無防備にぼーっと迎えるところだった。
が、世界史の現場探訪/英国駐在@えのもとさんの記事で投石器の実物がみられると知り、どうにも気になりウォーリック城(Warwick Castle)にいくことにした。

連れが「へえ、その城って、シェイクスピアの生まれ故郷のすぐ近くにあるんだね」と言い出した。
グローブ座に通ってシェイクスピア劇を毎シーズン観ているにもかかわらず、一度も行ったことのないエイボン川脇のストラトフォード(Stratford upon Avon)。
コッツウォルズ地方の村に友達を連れて行ったときも、微妙に遠くていつも時間切れになる。
せっかく連休だし立ち寄ろう、と一泊することにした。

投石器って、なに?
そう思うかもしれない。

そもそもは仲良しのイングランド人家族が教えてくれたものだった。
子供たちがまだ6₋〜7歳くらいのころ。ウインザーの彼らの家に遊びに行くと、小型のカタパルト(投石器)のモデルを作って庭で小石を飛ばしてるんだと教えてくれた。

カタパルトキット。
ぽーんと小石を飛ばせる。
https://www.vat19.com/dvds/authentic-working-wood-catapult.cfm

「でも、中世のころのは、もっともっと大きくて、何ヤードも飛んだんだよ」

オスカーは目をキラキラさせて教えてくれた。
彼らにとってはきっと中世ヨーロッパ史で学ぶ「知っていて当たり前」の武器。でも、私にとっては新鮮な話だった。

そのとき見たのはロープの張力をつかった投石器。
キリキリと巻いたロープが戻ろうとする力を使って飛ばすもの。

それに対し、ウォーリック城にあるものはトレビュシェット(Trebuchet)と呼ばれる。テコと重力を利用し、カタパルトよりも大きな重量の発射体をより遠くまで発射できるという。
火薬が一般的になるまでの間、13-14世紀ころ、強固に張り巡らされた城壁を越えて石を削った砲丸を飛ばし攻撃するため使われていた強力な攻城兵器だった。

Counterweight trebuchet used in a siege from the Jami' al-tawarikh, c. 1306-18

その実物が、ただ置いてあるだけじゃなく、実際に砲丸を飛ばすのが見られるというのだから、気になるじゃないか。

その日は、薄曇りから小雨という天気予報をまったく裏切る、素晴らしい五月晴れの日曜日になった。

ウォーリック城のタワー

以前たずねたカナーヴォン城と似た構成の、いかにも中世の城が迎えてくれた。

さっそく11時からのショーにそなえて、城の裏側に流れるエイボン川に向かう。
そこにはすでに敷物を広げた家族連れが、日光浴を楽しみながら待っていた。緩やかな斜面が自然なステージを作っていて、その先にドーンと、投石器が立っていた。

でかい。

あのときウインザーでみせてもらった卓上サイズのものとは比べ物にならない。
巨大な投石器だった。

ショーは、寸劇の形式を取っていて、ウォーリック城が攻められたから暮らしを守るために対抗しなくては、と投石器が準備される。
その時間、およそ15分。
子供たちの注意をそらさないためだろう、コメディのようなやや陳腐な劇が続く。
考えてみればわかるが、それだけ重いものを飛ばす仕掛けをしこむのには大変な時間と労力がかかる。

移動も難しそうなこんな投石器を、時間をかけてセットして。
昔の戦争のペース感もなんとなく想像ができる。

そしていよいよ発射!

キリキリと引かれたアームがブンと動く
重しの箱ユッサユッサと揺れる

ぽーん。

砲丸は、青空へとかなり高く遠く飛んでいった。
その威力は思っていたよりもすごかった。

高い城壁をこえて砲丸を打ちこめることは、当時、かなりの脅威だったに違いない。
それを目でみて感じるというのはやはりパワフルな体験である。

とはいえ、待つのは長く、打つのはあっという間。
冗長な寸劇もあってか、終わった後には、すこしだけ肩透かしのような感じでもあった。

そんな気持ちを埋めてあまりあったのが、その次に行われた「The Falconers Quest - Birds of Prey display」という猛禽類ショー。

冒頭はハリーポッターを思わせるフクロウの飛行でスタート。

そこから、オオワシ、フトアゴヒゲワシ、ハクトウワシ、アンデス コンドル…たくさんの種類の猛禽類たちがバッサバッサと翼を広げ、観客の頭上すれすれのところを飛んでいく。
最後にはこれでもかという数のハヤブサたちが美しく舞い踊る。

登場から、もうカッコいい。
つねづね、フクロウの顔ってネコにそっくりだと思っているので、思わずうちのキジトラを思い出した。

そして、後半のアンデス コンドルの飛行で、なんとその翼がビデオを撮っていた私の頭をバスンと叩いていくアクシデントが。

この直後。バスッと衝撃があって、翼が頭にあたったと気づいた。
本人も周囲も爆笑。
コンドルのロージーもきっとびっくりしていたに違いない。

大満足で拍手喝采。
川のほとりのステージを後にし、今度は城の中の武器展示をみてまわることにした。

このウォーリック城は1978年に蝋人形で有名なマダム・タッソーグループに買い取られたため、城の中には蝋人形がたくさん使われ、この城が使われていたそれぞれの時代の様子を再現している。

スワン付きのヘルメット。むしろかわいい。

ウォーリック城は、白薔薇と赤薔薇を紋章としたヨーク家とランカスター家の王位継承争い(薔薇戦争)で、その勝敗の行方を左右したウォーリック伯の居城だった。

5月末に来ていれば、薔薇戦争時代の戦いを再現する騎馬ショーが見られたのだが、残念、ちょっと早すぎた。
キングメーカーといわれたウォーリック伯と城の歴史を知る真骨頂ともいえるそのショーを逃したのは悔しい。

蝋人形は中世だけでなく最近の歴史的人物や貴族もカバーしていた。

その中で印象的だったのは、ウィンストン・チャーチルの若いころだ。
いつも年老いて葉巻を手にした姿ばかりが取り上げられるが、若い日を再現している蝋人形をみたのは初めてだった。
そして、政治家になる前の彼がジャーナリストだったということも、初めてしった。

いわれないとまったく誰だかわからない
ウインストン・チャーチル。

ナショナルトラストのような公的機関が管理する「史跡」ではなく、プライベート企業が運営しているので、ウォーリック城はどちらかといえば、テーマパーク的。
ガイドツアーもあるようだが、どちらかといえば歴史や中世をお勉強というよりは、楽しい時間を過ごす場所だ。
とはいえ、ディズニーランドの「作ったお城」の童話の王やお姫様ではなく、本当のお城なんだから、そこはやはりヨーロッパの歴史の強みといえるかもしれない。

かつては敵に目を見張らせる場所であった城壁や塔の上も、平和な今登れば、ストラトフォードへ流れるエイボン川と五月の新緑が南西に広がり、北東には教会を中心に家並みが続くウォーリックの街が見渡せる展望スポットになっている。

そこからエイボン川にある水車小屋へと下りていく。
そこにはイギリス産業革命の匂い漂う発電機具があった。
城に初めて電気が引かれたころ、それを担ったのはこの水力発電小屋だったという。

今もドウドウと勢いよく流れるエイボン川の水。

投石器にせよ、水力発電の仕組みにせよ、人間の思いつきというのはなんとすごいものなんだろう。

猛禽類たちに魅せられ、コンドルに頭をはたかれ。

そして先人の知恵と工夫と技術の発展にしみじみと思いを巡らせる、楽しい一日だった。

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