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文学フリマ東京38・レポ

文学フリマ東京38に参加した。

新しい方針が加わったりしたので、どれくらい人が来るんだろうと不安だったものの、思っていたよりもかなりお客さんは多かったように思う。

感想を言えば、普通に楽しかった。今回は父に手伝いを土下座して頼んだのもあり、自分の店舗以外の場所を見て回ることも出来たからよかった。あと、欲しかった本も手に入ったので非常にGOOD

実を言うとこれを書く前、イベント中に既に文学フリマ東京38に参加した感想を書いていた。お客さんがいなかったので、暇つぶし程度に。

その時、何となく心持ちが斜め下になっていて、めちゃくちゃネガティヴな事を書き殴っていた。ネガティヴっていうか、「この世のありとあらゆるもの、全部私のENEMY」って感じの噛みつくような文章。

その怪文書に没頭して、完全に我を忘れてしまっていた。

すると、「……すみません、この本読んでも良いですか?」と声が聞こえて我に返る。前を向いたら、お客さんがいた。ガチで焦って膝に乗せてた養生テープを落とす。

完全に失念しきっていたのが申し訳なくて縮こまっていると、その人が本を一冊買ってくれることになった。こんな怪文書没頭野郎の本を買ってくれるなんて……と、申し訳なくて謝った。

すると、お客さんは大丈夫だといいつつ「続きが気になったので欲しくなった」と言ってくださった。

その存在に、どれだけ救われたことか。

私は時間が経過する事に不安になっていたのだ。自分の本は誰が読んでくれるのだろう?と。ジャンルは特撮アクション小説という特殊性があり、刺さる人がどれくらいいるのかと悩みきっていた。

そこに、被害妄想という劇薬が一滴落ちて。マジで関係のない顔見知りに責められているように妄想して、私は文章を書き殴っていた。

そこに、一人お客さんがくるという。何だか、神様に「ちょっと待ちなさいよ」と言われたみたいだ。

私は落ち着いて、じゃあ逆に「分かりやすいジャンルで、親しまれるような小説を書けば良いんじゃないの?」って考えた。

答えは「NO」だ。

私は、私の書きたいと思ったことしか書けない。私は私のやりたいことしかできない。言いたいことしか書けない。てかそれしか書かない!

そりゃあ売れないのはしょうがない。好きなことしかしてないからね。しかもジリ貧だから「たった一人に売れればいい!」みたいな事も声を大にしては言えないよ。

でも、なんだかね、信じてみたくなったんだよ。本を買ってくれた人や、「続きが気になった」って言葉とか、フリーペーパーに興味を持ってくれた人のこととか。

ネガティヴになら、いくらでもなれる。でも、プラスに物事を考えるのはすごく勇気がいるんだ。

人や、人の言葉を「信じる」というのは、すごく怖いよ。だけど、信じてみないことには始まらない世界もある。見えない世界がある。

お客さんはそんなつもりなかったかもしれないし、本読んで「つまんなかったな…」ってなるかもしれない。まあそれは、私が本を手放した後の物語だから私は手を付けられない。

「本が売れた!」のその先を見なくちゃいけなかった。本が売れたその先に、「誰かが興味を持って、お金を払ってくれた」という事実があるんだってこと。それを、忘れてはいけないと思った。

私、もっと自信が持ちたい。誰かの言葉を信じたい。誰かが私に興味を示してくれたという事実を、喜んで受け入れたい。ありがとうって心からめちゃくちゃ言いたいよ。

文学フリマ東京38での気づきは何個もあるけど、「興味を持ってくれた人をもっと信じたい&ポジティブに考えたい」という気持ちはすごく強くなったかなと思う。

次のイベントも、新しい本を持っていく予定だ。特に流行りや旬を追ってるわけでもない、ただただ祈りを捧げた1冊を新刊で出す。

その時、もし誰かが興味を持ってくれたのなら。私は、その人の事を信じられると良いな。

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