ジャーナリング|死んだあとに周りの人から、どんな人だったと言われたい?
久しぶりにお題を決めてジャーナリングをしてみた。
引用元は下記URLより。
以前、自己分析にハマってたときに八木仁平さんの本を読んで、たくさんのお題ジャーナリングに取り組んだ。
最近はというと、朝の思考の書き出しはよくするけど、お題に添ったジャーナリングはしてなくて、久しぶりにしたいなぁと思った次第。
いくつかお題ジャーナリングをしてみて、自分の中で腑に落ちたものをここで紹介してみる。
死んだあとに周りの人から、どんな人だったと言われたい?
タイトルにもあるように、今回はこのお題でジャーナリングしてみた。
八木さんのブログにはこう補足さていている。
「自分が死んで、お葬式がおこなわれているシーンを想像してみてください。集まってくれた人たちから、どんな風に言われたいでしょうか。」
書き始めたものの、すぐにこう言われたいという内容は思い付かず。でも代わりに言われたくないことはすぐ思いついた。
可愛かったよね、は嫌だな
私の葬式に集まってくれる人は身内や長年交流してきた友人や知人だろう。長年関わってきたのに、最後の最後に外見を褒めるって…なんか虚しいなと思った。浅い関係だったのかなって。
私の何を見てきたの?
内面はどうでもいいの?
って言いたくなる。
八木さんのブログにこう書かれている。
確かに死ぬ時に、お金や地位は関係ない。容姿などの外見も関係ない。
葬式の場では、もっと私の内面について家族や友人達で振り返って欲しい。
このジャーナリングは内発的な価値観を探すことにつながるらしい。
芯のある人だったね、と言われたい
じゃあ葬式の場では言われたいことは何?といろいろ考えて出した結論が
芯のある人だったね
という言葉だった。私、自分軸のある人になりたいんだなぁと気づいた。
私の考える芯がある人というのは、人生において
・相談はするけど決して周りの意見に振り回されたり流されたりしない人。
・最終結果は自分でする人。
・その選択がもし悪い方に進んだとしても、決して周りのせいはしない人。自己責任が取れる人。
自分で人生を切り開き、自分で責任を持つ
自律した人間
それが芯(軸)が通った人なのかなと。
私はいつも自己決定が苦手。
特に複数人で結論を出す時、いつも周りの様子を伺って「これでいいかな?」と不安になる。
周りの意見を聞いて「確かにそっちのほうがいいかも」とすぐに流されてしまう。
いつも自分の芯がブレブレで、周りに合わせてばっかり。周りと同じ意見・行動をすることに安心を覚える。
そんな性格の私。
だからまっすぐと芯の通った人に憧れる。
自分で考え、自分で決断し、自己責任を取る。
当たり前のようだけど意外と難しいよね。
でも「難しい」とか「私の性格では無理」とかでは片付けず、少しでも自分の憧れに近づきたいなぁ。まずは身近な人で「芯が通ってる人」の真似をしてみようかな。
ちょっとずつなりたい自分になれますように。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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