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万年筆再び.......  余と万年筆




50年くらい前のデパートの文房具売り場

50年くらい前のことですが2~3月のデパートの文房具売り場は、それはそれは大変な賑わいを見せていました。鉛筆に名前を刻印したり万年筆も舶来、国産を含め多くの種類がありました。さすがにデパートの売り場にはありませんでしたが中国製の「英雄」なんていうのもありましたね。

初めての万年筆

万年筆を使い始めたのは中学生の頃でした。プラチナ社製の万年筆で確かインクカートリッジの中に小さなボールが入っていた記憶がありあす。パーカー社製のペンのクリップの金色の矢のクリップは大変憧れでした。そしてお小遣いとお年玉を貯めてパーカー社製 パーカー75 スターリングシルバー 格子模様の「シズレ」を手に入れました。生意気な少年でしたね。もったいなくてお蔵入りとなりました。

自分が高校生の時の万年筆

通っていた高校は普段の授業ノート、定期テストはすべて万年筆にて筆記でした。その時代は、ドイツのディプロマット社製の万年筆とモンブラン社製の「ノブレス」でした。「ノブレス」は軸もペン先もスチールでディプロマットの万年筆の軸は、プラスティックでしたので3年持たず割れてしまいました。スチールのペン先は筆圧の高い当時の私にとってはベストマッチでした。当時裕福な家の生徒は「ノブレス」でペン先が金のものを使っていましたね。「ノブレス」の軸の太さは、鉛筆より若干太めで指のなじみが良かったですね。卒業記念品は学校の名前が入ったパイロット社製「エリート」。未だに使っています。14Kのペン先の細字は手帳記入にとても良いですね。

大学・大学院の時の万年筆

この時代は家庭教師をしていたので比較的お金には不自由していなかったです。モンブラン社製「ノブレス」のダイヤモンド彫りの金張り、プラチナ張りの2本を使っていました。金張りは赤インク、プラチナ張りはロイヤルブルーの2色使いをしていました。4日でカートリッジ1本は使っていました。ペン先が14Kでしたので書き心地は柔らかく速記に適していました。

二十歳の成人祝いの万年筆

父から三越の包装紙にくるまれた蒲鉾形のケースに入ったモンブラン社製「146」マイスターシュテュックを貰いました。当時「146」は2万円台 「149」が4万円台と記憶しています。軸の金の輪っかには「W.Germany」と彫られています。東西に分断されていた時代でしたから。靴のデザインのインクも付いていました。代理店は今のようなモンブランジャパンではなくダイヤ産業株式会社でした。「146」はインク吸入式でしたので授業中にインクが切れると命取りとなるためカートリッジが使える「ノブレス」を卒業まで使い続けました。

社会人になってからの筆記具

ボールペンが主流になりました。しかし万年筆病はしっかり健在でモンブラン社製の限定作家シリーズの「ヘミングウエイ」(これはオレンジ色の軸と茶色のキャップ、太めの軸にキャップにはヘミングウエイのサインらしき刻印がされていました。)持った感覚は「149」です。
次に「アガサクリスティー」(黒の軸に銀製の蛇のクリップ。その蛇の目にはルビーが埋め込まれていました。持った感覚は「146」です。
ペリカン社製の「ゴールデンダイナスティ」。アジア限定888本で軸に竜が勾玉を握っているモチーフを職人が一本一本手彫りするという工芸品でそれぞれの課程に携わった職人のサインが入っています。インクの見える透明な部分が折れて銀座三越さん経由で修理をお願いしました。ズーベレーンシリーズの特別限定でブラックのボディーに金の板をロールし先ほど述べた竜の彫刻を施した逸品です。ロンドンのバーリントンアーケードの万年筆ショップで「ヘミングウェイ」「アガサクリスティー」が価格高騰しており帰国後銀座の「ユーロボックス」さんにて売却。「ゴールデンダイナスティ」はコメ兵さんの熱いエールに応えて売却しました。それ以降モンブラン社は作曲家シリーズ、作家シリーズなどの限定モデルを毎年発表していますが残念ですが触手が動きません。銀座の「ペンクラスター」さんはオーナーにもとても親切にしていただきヴィンテージのペンを数本買わせていただきました。


夏目漱石先生の「余と万年筆」

短編小説で青空文庫などで無料で読めます。「オノト」の万年筆や丸善、インクの代わりに墨汁を入れてペンを駄目にしたことなど数十分で読めるのでおすすめです。






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