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〈実話前世👘6〉父の前世の墓が3つもありますが😅

こんにちは👋😃、椿あんこです。

今日も、前世探偵あんこ、
行ってみたいと思います😎✨️。





⛩️父の前世は享年15歳


会津の飯盛山にある、会津藩白虎隊の墓のひとつを指差し、
「視えたのはこのお墓よ!」と断言したマミコ。



遠藤嘉龍二(えんどうかりゅうじ) 


という、私達家族がはじめてみる名前。


しかもそれは、歴史ドラマでよく登場する
「白虎隊士中二番隊」の墓ではなく、
それ以外の隊の隊士の墓でした。



私「あ😳😳😳!!!」



墓には、享年が書いてありました。
その墓の享年は、15歳、となっていました。


他の隊士達の享年が16歳、17歳であるのに対し、
この隊士の年齢だけが15歳。
マミコの枕もとに現れた武家の妻の霊が言っていたことと同じです。



武家の妻の霊「私の息子は、死ななくてもよいのに、死なせてしまいました……」



私「白虎隊に参加しなくてよい年齢なのに、
わざわざ参加して、
しかも戦死してしまったのかしらね。。。」


私はこの隊士の墓前で、
彼についてググってみました。




⛩️遠藤嘉龍二、とは

遠藤嘉龍二。遠藤嘉内の二男。会津藩白虎隊寄合一番隊。兄は遠藤敬止。9月11日熊倉の戦いで負傷、10月7日に亡くなる。享年15歳。なお、墓は飯盛山以外に、充国寺にもある。


私「よ、寄合、一番隊。。。
熊倉の戦い。。。
充国寺?それってどこよ!てか、お墓ふたつもあるの?
はじめて聞くものばかりで、頭がピーマンだわ~」



一同「頭がピーマンだわ~なんて、今どき誰も言わねーよ!」



すると、すでに墓から離れてうろちょろしていた父トシオが、
墓所の隅に何かを発見しました。



トシオ「これってさあ、“その人”、だよね。ここにも墓があるよ」



⛩️遠藤嘉龍二の三つ目の墓発見


白虎隊士、遠藤嘉龍二墓碑参道」



トシオ「さっきの人の墓さあ、こっちにもあるよ☺️」



はて?
なぜ、同じ敷地内に、父の前世の墓がふたつもあるのでしょう?


遠藤嘉龍二の三つ目の墓は、他の隊士達の墓石のような列びのところではなく、
わざわざ、遠藤嘉龍二という隊士の墓の為に参道までついています。
なんというか、特別扱い感満載。。。


これはなぜなのでしょう。
誰よりも年下で亡くなったから?
亡くなり方が(もしかしたら)悲劇的だったから?
うーむ。。。


この三つ目の墓には、
苔むした大きな石盤が建っていて、
漢文?で何か書いてありましたが、
読みませんでした(読めませんでした)。
建った年代的には、こちらの墓の方が古いみたいです。



⛩️なぜ、三つも墓があるのか


父の前世が知りたいとは思いました。
墓前に行けたら嬉しいなとも思いました。

一つだけお墓参りできれば良かったのですが、
まさかの三つも墓があるとは!!!

てか、墓多すぎだろ嘉龍二!!!



飯盛山滞在時間は、ここで時間切れ。

私達は遠藤嘉龍二のやたら墓の数が多い問題がわからないまま、
西郷頼母達のお墓や、会津鶴ケ城に移動することにしました。



⛩️鶴ケ城敷地内で、また発見!

会津鶴ケ城は、特に父の前世探しとは関係なく、
普通に観光地のひとつとして計画に入れていました。

ですから、普通に入城して、
敷地内をルートに沿ってぶらぶら歩いていました。
ここに来るのは三度目ですが、
まだまだ知らないことも多いです。



そこで、とある石碑を見つけました。



遠藤敬止徳碑
エライ人の功績を讃えた感じの石碑
でした。



私「ナニナニ? 
遠藤敬止(えんどうけいし)。
旧会津藩士。
明治になり、この鶴ケ城が取り壊されることになったのを、
遠藤敬止翁が2,500円で城を買い取り、
旧藩主松平家に寄付した。と。。。
へぇ~、知らなかったー!そんなすごい人いたんだー😊」




遠藤敬止。


どこかで聞いたことあるような。。。😊



私「あああ!!!!
さっきの飯盛山でググった時に見た!!!
この人、
遠藤嘉龍二のお兄さんだ!!!😱」



つまり、
父トシオの前世の兄さんが、
2,500円払って会津鶴ケ城を買い取ったのか!
てか、兄さんめっちゃ金持ち!
何してるひとなの?
だから嘉龍二の墓が三つもあるの!?


私達はこの会津旅行で、
色々なことがわかりましたが、
新たな謎もたくさん生まれました。


まるで、
次回の前世探し旅行までの、多すぎる宿題をもらったイメージでした。





続く❗


椿あんこでした。
今日もお読みいただきありがとうございました。
スキ!もいつもありがとうございます。






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