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ウクライナから来た少女 ズラータ、16歳の日記 を読んで 時事問題に関する読書の難しさを感じる

今回も書評をアップしたいと思います。

普段はあまり見ない報道ステーションを見ていると、ウクライナから日本に避難してきた16歳の主人公のドキュメンタリー が目に入りました。
そしてその主人公が日記を書き、その内容を著書にした ということを番組中で言っていたので、アマゾンで検索したところ、電子書籍もあり、ということで早速購入し、読んでみました。

では、書籍のメタデータを貼っておきますね。

今回も読書ノートからの書評ですので、小理屈野郎の読書ノート・ローカルルールの凡例を以下に示しておきます。

・;キーワード
→;全文から導き出されること
※;引用(引用の背景で示されていることもあります)
☆;小理屈野郎自身が考えたこと


書名 ウクライナから来た少女 ズラータ、16歳の日記
読書開始日 2022/10/12 12:00
読了日 2022/10/12 17:40

読了後の考察

突然ウクライナで戦争が始まり、それから逃れるため、そして自分の希望を叶えるため、家族、そしてボランティアや篤志家、メディアの助けを借りつつ日本に避難する。その時の日記を掲載している。

彼女は16歳と言うことだがかなり精神的にはしっかりしている と思われる。日本の高校生と比べると格段に精神的に成熟していると思われる。
自分の希望、そして家族の思いを乗せて精一杯生きていこうとする彼女の姿勢には共感を持てた。

ウクライナからポーランドまでは順調に旅を続けたが、飛行機搭乗前に、ポーランドまでの旅程でみんなマスクをしていなかったことが影響してかコロナに感染してしまう。2週間の待機期間を日本のメディアからプレゼントされ、ポーランドでサポートをしている日本人にも航空券を購入してもらい、なんとか日本に来る。
日本に来てからは日本人や日本社会についての感想をいろいろと述べている。

彼女には大きく羽ばたき、ウクライナと日本の架け橋になってもらえれば、と思った。

非常によくできた作品だが落ち着いて考えるべきこと がある。この作品は本当にズラータ氏自身がすべて書いたのか? ということ。それと何語で書いたか? (ウクライナ語?ロシア語?日本語?再度著書をチェックしたが、日本語以外の可能性が非常に高そうだが何語とは触れていない)
そのあたりを作品の純粋さを担保する、という意味で確認できれば なあと思う。
また、奥付を見る限り、編集担当がいるだけで、特にライター(執筆協力、編集協力等のタイトルの方の名前がない)がいるわけではなさそう。本当にそうなのか(彼女が書いたところをベースに誰かが書き直していないか?ということ。最初と最後の文体や論理展開がだいぶと違うように感じた) 、というところも確認しておきたいところだ。

今までもセンセーショナルな出来事に遭遇した人の写真や文章がでてきたことがあるが、後から調べるとかなりフィクションが入っていた、強烈なプロパガンダの一端だった と言うこともあるようだ。それでないことを祈るのみだ。
読了後の考察でこういうことを言うのは何か、と思うが少し引っかかったのが上記のことだった。

キーワードは?(Permanent notes用)

(なるべく少なく、一般の検索で引っかかりにくい言葉、将来もう一度見つけてみたいと考えられる言葉)
#戦争
#希望

概略・購入の経緯は?

報道ステーションで著者を特集しているコーナーがあり、この著書を告知していた。
今、そこで起こっていることをそこに携わった人が書く著書だ。読んでみようと言うことで購入とした。

本の対象読者は?

ウクライナ戦争に興味のある人
戦時中の庶民の行動について興味のある人

著者の考えはどのようなものか?

・ウクライナの学制

本文内で日本の学制と比較している。要確認。知識として面白い。

・彼女の基本的な考え方

→デマには一歩引いた客観的な姿勢を貫いている。パニック時にはあえて携帯やスマホを使って情報を集めない、自分からパニックにハマるような行動はしない 、など結構しっかりした考え方をしている。
どんな時も正直でいたい 。そうすれば楽だし、誤解や変な期待をせずに、理解を深められると考えている。
→諦観がしっかり身についている。取り越し苦労をして寝付けないぐらいならしっかり休む 、など母親の影響もあるがしっかりしている。
諦観とは、諦めではなく、現実を受け入れて、できることを考えていくしかない、という姿勢 と捉えている。

・戦争前のウクライナでのコロナ事情

→基礎疾患があったり高齢であったりしなければそれほど怖いものではないと考えられている。彼女は若いし、元々ワクチンの副反応が酷かったためワクチン未接種だった。
→ここでも彼女や母親は強い。病院に行って診断を受けるのは無意味に近いと考えている。まずは経済的な問題。そして診断がついても、体を休めて、栄養をしっかりとるしかない、といい意味で諦観してる。これがヤマザキマリ氏の言う欧米人の諦観か 、と感じた。

・戦争について

何でもかんでも「戦争」のせいで中途半端に終わらせてはいけない。そんなことをしてしまったら、それこそ戦争に屈したことになる。

→☆非常にしっかりした論理的な考え方をしている。ここまで来ると本人がここまで考えているか 、という風にもいぶかってしまうが。

今回の戦争の責任者に関しては、激しい怒りもあるし、酷いと思うが、だからといってそれがロシア人全体を嫌うこととイコールにはならない。なぜなら一般のロシア人の多くは、彼らがやりたくてやっているわけではないと思うから。

→☆おそらくそうだろうが、実際にロシア人の本音を聞いてみたいな と感じた。
ロシアは情報統制を行っているのでなかなかそう簡単には本音を知ることはできないが本音を知ることは大事ではないか?

戦争に、心の美しさまでは奪うことができない

→☆サイレントマジョリティーの声をうまく表現していると思う。

・家について

若い時から必死に働いて、自分の家を買うことが大事。家の中はある種治外法権。自分のしたいことができる。これがウクライナの庶民の一般的な考え方。

・日本に来てからの将来像

美術のジャンルはいろいろあるので、マンガに固執して日本に来たが、それだけではないと感じている。もっと他の可能性が見えてきたようだ。

その考えにどのような印象を持ったか?

非常にしっかりしているし地に足ついた考え方だと思う。あまりに完成した考え方なので、本当にここまで彼女が文章にしていたのか、といぶかってしまう ぐらいだ。

印象に残ったフレーズやセンテンスは何か?

万が一失敗に終わった時にがっかりさせたり自分が気まずい思いをしたりするよりは、すべてがうまく進んだあとに結果を知らせた方が良い

→☆ウクライナのことわざ、とのこと。
結構忍耐強い性格の人が多いのかもしれない。

・日本人および日本社会の不思議さ

ここは日本なのだから、日本語で話してくれるのが一番いい。

→☆自分が海外で外国語を使って過ごしたことがあれば、よく分かること。なかなか難しいが、覚えておいた法外いないようであると考える。

・希望を持って生きることが大事

希望は最後まで死なない

→☆ウクライナのことわざ。おそらく他国から蹂躙されることが多かった土地柄、このようなことわざができてきたのではないか?

明日への希望も大事にしたいけれど、今日を精一杯生きたい(中略)明日があるという気持ちは前向きに生きる上ではとっても大切なこと(中略)あまりそれを思い続けてしまうと、明日に頼りすぎてしまう(中略)強を精一杯生きないといけない。だって明日は来ないと言うことだって十分にあり得ることを知ったから。

お母さんが決死の覚悟で私に託してくれたのは、どんな助教であっても明日を諦めないという強い気持ち(中略)どんな事態に見舞われようとも、夢や希望は捨ててはいけない(中略)自分の夢に向かってチャレンジする気持ちだけは失ってはならない。チャンスがないと思ったら、自分から作ろう。

※今日できることは、明日もできるとは限らない

→☆毎日を一生懸命、精一杯生きること。その先に未来がある 、と考える。

どんな環境にあっても、どんなに自分が不利な立場に置かれているように見えても、必ず出口はある。それを信じて、前を見るしかない。先が全然見えない時でも、前を見て生きていれば、少しさっきにはきっと出口が見つかる

→☆これが彼女が一番彼女が言いたかったことではないだろうか と感じた。

類書との違いはどこか

今回のウクライナ侵攻について「地べた」((C)ブレイディみかこ氏)レベルの話を克明に記録しているところ

関連する情報は何かあるか

ウクライナと日本の文化の違いと比較

キーワードは?(読書ノート用)

(1~2個と少なめで。もう一度見つけたい、検索して引っかかりにくい言葉を考える)
#諦観
#パニック

まとめ

非常によくまとまっている。そして彼女の思考の成熟性を感じるが16歳前後にしては成熟しすぎているか? とも思われた。それほどウクライナ国内の情勢は苛烈なのかもしれないが。
彼女の前途に幸あらんことを願うのみだ。


今回の読書で一番感じたのは時事的な内容が含まれている著書の受け取り方は非常に難しい 、ということです。
論評であっても今回のような日記であっても、どちらか一方の意見しか聞いていない 、ということになる可能性が十分あると言うことです。
今回のロシアの侵攻については個人的にはおかしいと思います が、侵攻と定義しているのは西側各国でその論調から引き出しているのが小理屈野郎自身の見解です。
そしてメディアは基本的にロシアの理論にはあまり触れていないと言うところも気になっています決してロシアの侵攻を肯定しているわけではなく、その理由の深いところに、ロシアなりの考え方があってそれがうまく西側の議論とかみ合っていなかったのではないか、ということなのです。そこを読み取っていかないとお互いに良い結論が引き出せないのではないかとも考えています。
一部聞いているところではクリミア侵攻以前からロシアのいろいろな言い分などを西側各国が取り合っていなかった、という考え方もあるようです。
ですので、今後世の中のウクライナ戦争についての評価や意義づけが変わってくることがあるかもしれない(おそらくないかもしれないですが)ところが気になること です。もし意義づけが全く反対方向になったら、単に踊らされただけ 、という話にもなりますね。その片棒を担いでしまった小理屈野郎自身は暗澹とした気分になると思います。

以前に東京オリンピックについての違和感を感じていたにも拘わらず、なんとなくやり過ごしてしまっていた ことを別のnote記事でアップしました。

その時はなんとなく引っかかった違和感を軽視してしまった ことから、note記事にしたようなことを感じたのです。
このようなことがないように、していきたいな、という意識があったから、今回このような書評をアップしたのです。

なんだか読書姿勢が成熟してきた成果なのか、それとも性格のひがみがでているのかよく分かりませんが、これの答えは月日がたてば分かることだと思い、少し引っかかりつつも、主人公の将来に幸あることを期待 し、結果がでる日を待ちたいと思います。

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