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只見線に乗りに行ったら大変なことになった話 (2)

これは前回の「只見線に乗りに行ったら大変なことになった話 (1) 」の続編です。先に(1)を読んでからお読みください。

第2日(2022/11/04)

この日、起きてすぐに気付いたことは靴下を忘れていたことである。これまでの旅行でそんなミスをしたことがなかったが、痛恨のミスであった。
だが、時間にやや余裕があったので、浴室で前日の靴下を洗い、ドライヤーで乾燥させることにより問題を解決した。

さて出発時間である。
郡山から新庄ゆきの「つばさ」に乗る。

東北新幹線と連結しないタイプの「つばさ」なので、福島駅での切り離し作業はない。

福島-山形県境の山岳地帯は、「圧倒されるような紅葉」が見られた。前日はミサイルでの列車の遅れに加えて、大混雑の只見線で4時間以上座れないという大変な思いをしたけれど、この日は指定席なのでゆったりと車窓を楽しむ余裕があった。

大沢駅付近


山形駅で途中下車

列車の乗り継ぎで48分の待ち時間があったので、この時間を利用して途中下車することに。2018年に間中さんと山形に来たときは、旅程の都合で山形県内で宿泊したといった雰囲気であり、土産を買ったりする余裕がなかったが、今回は余裕があったので土産を買うことに。
それでもまだ時間があったので駅前を散策していたところ、マックスバリュがあるではないか。そうだ、今回の旅行は靴下を忘れていたのである。買おう。ということでマックスバリュで靴下と、ついでに菓子を買ってきたのである。

山寺駅で途中下車

山形駅から快速列車で山寺へ。

事前に「食事をすると無料で荷物を預かってくれるレストラン」が駅前にあると聞いていたので、そこに荷物を預けて(食事は登頂してから駅前に戻ってきたときにいただくことを約束して)立石寺への登頂に参戦することに。

ひたすら石段を登り続ける。

途中には「残りの段数」を表記した看板もある

事前に予想していた時間よりも短い、30分程度で最上部まで登頂した。

最上部から少し下った場所にポストを見つけた。

こんな山の上にも毎日収集に来るのだろうか、と思った。よく見ると収集時間は11:00ごろと表記されている。
そこで現在時刻を確認する。何と10:50じゃないですか!
あと10分待っていたらこの山の上に郵便局員が登ってきて収集するのだろうか、と思って待ってみることにした。しかし予定時刻を過ぎても郵便局員は現れない。11:10くらいまで粘ってみたが、結局来ない。それ以上は列車の時刻のこともあるので長居はできないだろうということで山を下りることにした。

眼下には先程降り立った駅が見える

行きと同じく30分くらいかけて山を下り、駅前の荷物を預けたレストランで昼食をいただいた。
昼食を食べ終わると12:10、列車の時間がきたのでホームへ急ぐ。
が、乗る予定の列車は10分くらい遅れて到着した。それならこんなに急ぐ必要はなかったかもしれない。

山寺から仙台へ

県境のトンネルを抜けるとそこはもう仙台市内。
ただ、トンネルを抜けたらいきなり仙台の町の中心部に出るとかではなく、山を下っていきながら市内中心部へ向かっていく感じである。なので、車窓からは紅葉が楽しめる。

どうにも朝鮮中央テレビっぽいフォントが特徴的な作並駅の駅名標

2018年に仙台に来たときは愛子までしか乗っていなかったので、愛子に到着した時点で仙山線の完乗を果たした。

愛子を過ぎると一気に都会の路線といった雰囲気になる。山峡を走る列車はあっという間に大都会の通勤通学列車に化けた。そして仙台に到着した。

途中下車して駅前のAERの最上階に登ってみた。
今回は時間の都合上、近くまで行くことはできなかったが、噂に聞いていた仙台大観音はここから見ることができた。

その後、前回の旅行の時に乗っていなかった「あおば通-仙台」に乗車して仙石線の完乗を果たしてから、常磐線でこの日の宿泊地である北茨城市磯原まで向かう。

宮城-福島県境付近は東日本大震災後に線路が移設されていて高架になっている部分も多く、一見すると震災の痕跡は目立たない程に復興したのかとも思ったのだが、震災から11年半が経っても「震災ゴミ」と書かれたものが線路沿いに山積みになっている箇所があり、「まだ復興は道半ば」だと言うことを実感したものである。

原ノ町駅で乗り換え

17時を過ぎると一気に夜がやってくる。西日本在住の想像地図の人にとって、東日本の夜更けはとても早いと感じる。

18:31、予定通りにこの日の宿泊地である磯原に到着した。予約していたホテルにチェックインしたあと、駅前の店で夕食。
次の日も朝は早いので、早めに寝ることにした。

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