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日本に居ないことの弊害

このnoteは4月初めに書いたはいいものの、存在をすっかり忘れていたものです。僕と同じように海外で過ごされている方、故郷から離れて暮らされている方には特に共感していただけるかもしれません。短いのでよかったら最後までお読みください。



ポルトガルに来て、7ヶ月が経った。思っていたよりも楽しい日々を送れているし、満足していないわけではないのだが、それと同じだけの時間が日本でも経過しているということに時々寂しさを覚えることがある。

例えば、今の時期になると日本では桜が各地で満開を迎え始める。特別好きで春になるたびに名所を巡るというほどではないのだが、日本に暮らした20年と少し、毎年当たり前のようにやってきていたその美しさに触れることが出来ないというのはなかなかに悲しいものだ。ここポルトガルでも探してみれば見つけられるらしいのだが、日本とは違って何気ない街の風景の中にそれを見つけることはできない。


元日の地震には肝を冷やした。直接被害に遭われた方々、そして親族や友人が被害に遭われたという方々には一日も早く平穏な日々が訪れることを願っています。

僕の知り合いには被害に遭った人はいなかったのだが、もしこのように大きな地震が、自分の居ない時に故郷を襲ったとしたら…そんな考えが僕の頭の中のどこか隅っこからなかなか離れないのだ。


ポルトガルに一年居るということは、日本で過ごす一年では出来ない体験が出来るだろうし、それは僕がここに来た理由でもある。ただ、一年故郷から離れて暮らすということにはそれなりの弊害があるのだと感じる。日本に居ないことの弊害、僕はこれに頭を悩ませ続けているような気がする。


日本に居る友達の大半が大学生で、彼ら彼女らはそれを謳歌している。言語の壁に阻まれることなく、お金と時間が許すだけ遊び、学び、好きなことに時間を注ぎ込んでいる。僕はその楽しくないはずがない時間をある種捨てて、国の外で過ごすことを選んだ。時々、それだけの価値ある時間を過ごせているのだろうかと不安になることがある。ポルトガルで過ごす一年が、日本で過ごす一年よりも良い影響を自分自身に与えられているのかどうか。


結論はまだ留学期間が終わっていない今出せるものではないだろうし、今後ずっと確固たるものは見出せないのだと思う。帰国して1ヶ月で出す結論と、5年後、10年後に出す結論はきっと違ってくる。


こんな不確実なものに時間と頭を使いたくないのだが、その不安ゆえにここから動けなくなることが何よりも受け入れ難いのでこんな感じで書き残すことにした。帰国したら、また同じような内容のnoteを書くかもしれない。


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