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彷徨うおっさん24 妻への「誰のお金で生活できてると思ってるんだ」は絶対悪か?(2/4)問題のある出費の理由

 前回は「誰のお金で生活できてると思ってるんだ」を夫に言わせてしまう事象と、男性の口にチャックをしても問題解決にならないことを述べた。また、家庭での妻の出費について、問題となる具体例を列挙した。今回は、その続きと、妻側の言い分、そしてそのズレについて述べたいと思う。

<家庭でのお金の使い方問題 続き>



 自分が汗水たらして(或いは辛い思いをして)稼いできたお金で妻が不幸になっているのだから、夫はうんざりしてしまうのだと思う。

 夫は妻に幸せになって欲しくて稼いでいるはずだが、その使い方が下手で逆に不幸になっている姿がたまらなく嫌なのである。

 習い事などの愚痴や、慈善事業などでうまく事が運ばない事実、無駄に増え続ける出費と更なる普請、果ては夫自身のお小遣い制限や、将来への貯蓄が進まない現状、ちっとも身になっていない子供の習い事の現状といったものをみると、いい加減やり方を変えてくれとうんざりもするだろう。

 最初のうちは「そんなのもう辞めたら?」「無理にこんな高いの買わなくていいよ」「少し節約を考えてくれ」といったアプローチで妻と話し合いの場を持つようだが、未熟な専業主婦は大概不機嫌になったり平行線に終わるらしい。しまいには怒られる、先に既成事実を作るなどして、夫が折れて我慢しかなくなる。それが積もりに積もって。。。

「誰のお金で生活できてると思ってるんだ」

 となってしまう。禁句とは分かっていても、こうなったらもうそう言うしかないではないか。

ああ、家庭ってこんな苦しいのかと旦那方は皆ため息ばかりである。
この状況を味わえば(或いは聞く度に)、禁句もやむを得んだろうと、おっさんは思う。


 とはいえ、なぜ未熟な専業主婦はお金の使い方に問題があるのか。その行動について、幾分かは憂慮すべき点があることを述べたい。

① 自分だけでなく家族の美容と健康に気を遣っている
 高価な有機栽培モノや、似非とはいえ体と心に良さそうなものを、家族のために揃えたい。そうした気持ちについては理解するところである。その気持ちだけは概ね大事にしていいと思う。

② 社会参画したい
 働いていないからこそ、何とかして社会参画を成し遂げたいという考えもあると思う。また、行く行くは自分の思った通りの仕事(起業も含めて)をするための準備期間として、趣味や習い事、ボランティアに注力しているのだというのも良くわかる話である。

③ 制限された中での精一杯の活動をしている
 料理や調度品だって、それぐらいしか楽しみが無いのだから、拘って自分の好きなようにしたいだろう。子育てだって、ママ友含めて色々な人と関わりを持って社会性だって保ちたいし、嫌なことばかりではなく、助けられることも多いのだと十二分に理解はできる。その過程で、流行りの習い事や勉強会に手を出すこともやむなしであることも承知している。

④ 女性の友情構築は難しい
 よく聞く話であるし、男以上に複雑化してしまっているところも、肌感覚でも分かる話である。男性からしても、女性との距離感には誠に気を揉むものである。付き合いの出費も、我慢する気遣いもやらざるを得ないかもしれない。

共感はできる。どれも男側からすれば、フワフワとして頼りがないけども。。。

 一昔前ならば社会システムや風潮が、良くも悪くも大雑把にこの未熟さを受け止めていた可能性もあった。しかし今は事情が異なり、自由主義自己責任の価値観(良し悪しは別)の果てに男女間、或いは女性同士でも亀裂を生む要素でしかなくなったように思う。

 その代わり、多くの会社組織で、女性の活躍推進が進み、大分働きやすい環境が整っている。当然、女性も働くことによって、その未熟さを克服しなければならない時代にもなっているようにも思う。

 ならば多少なりとも働いて、強く賢くなってはどうだろうか。それは新自由主義の負の側面ではある。しかし今や夫だけが過剰に負うべき不条理ではないはずだ。

かくも働くことで
①は売る側になって裏側を知れば、入れ込みすぎることの危険性を容易に感じられるようになる。
②は会社に所属すれば、多少なりとも叶う。
③は相応の責任と同時に、専業主婦では得られない権利と自由を得られる。
④はより広い世界を渡り歩けば、相性の良い相手が見つかる可能性がある。

 働くのは専業で居ることよりも大変なのは承知しているが、現代においては、未熟なまま専業主婦一本でいるよりも、長い目で見て幸福に思う。①~④は叶わず仕舞いの一方、社会的受容度は減ってゆき、いずれ未熟で不機嫌な人は嫌われるだけの未来が来る。
夫の負担はいたずらに増大し、夫婦仲もギスギスするばかりである。


 未熟であればややもすると感情的になり、自分も子供も不幸になるだけである(無論夫も不幸になる)。

「誰のお金で生活できてると思ってるんだ」

 という言葉も、その未熟さが相手に言わせた言葉ではないだろうか。多少なりとも自分で稼ぐ能力や、社会の現実感覚を身に着け、①~④が一つも成らない危うさを理解していれば、結局は浴びずに済む言葉ではないだろうか。

 禁句を言った夫を一方的に悪者と定義して終わらせるのであれば、男性を犠牲にするだけの人生である。余裕がなく、人としての愛情を育む機会すら無くなってしまうのではないだろうか。

 そんな不幸な人生でよいのだろうか。それに付き合わされる夫、ひいては我が子は、更に不幸ではないだろうかとおっさんは思うところである。


次回に続く

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