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二次会。

 今さらだが、この日記は約4ヶ月のあいだ通った『短歌を詠んだら歌集を編もう。SPBS THE SCHOOL 歌集編集ワークショップ』での最終日、受講生&関係者による打ち上げの時の自分の心のぐらでーしょんを書いている。一回で書き上げるつもりが、前々回の「打ち上げ。」前回の「一次会と二次会のあいだ。」そして今回。なんだか三部作のようになってしまった。どうにか今回でこの打ち上げの時の話しは終わりにしよう。

 二次会の中華料理店で、実は日本発祥だったという回転テーブルを囲みながら、一次会ではほとんどお話しできなかった方々と話をすることができた。その中で、「性愛の歌を詠むことにまだ照れがある」というような話になった。そういった歌を詠んだときに、たとえば親に見せるのは恥ずかしい。というようなことだ。その会話を聞きながら自分はどうかな…と考えていると、短歌もお人柄もチャーミングでバブリーなパイセンが「ほらあの、岡崎裕美子さんのあの歌あるじゃない、あれなんてモロにそういう歌だよね」と仰っていて、わたしもあれだ!と思い「あの、したあとのってやつですよね、したあとの…したあとの…赤紙の…なんかだるいみたいな…」とごにょごにょ発言した。正解は

 したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ 岡崎裕美子

という短歌で「そうそうそう!」となった直後に、自分が「したあとの」って何回も言っちゃったことがなんか急にめっちゃ恥ずかしくなっていた。いやいや、そんな純情キャラじゃないやろ。
 同じテーブルには今回のワークショップのナビゲーターであり編集者の筒井さんもいらっしゃった。実は今回制作した歌集のタイトルについて、筒井さんや岡野さんにアドバイスをいただいたにも関わらず、結果自分の意見を押し通してしまったことで、もしかして嫌われてんじゃないかな…と自意識が過剰に働いてしまっていたのだが、その事をおそるおそる確認をすると「そういうやり取りはよくあることだから全然気にしないで大丈夫ですよ、むしろ全部こっちの意見に合わせる人の方が心配」と仰ってくださり心底ほっとした。
 わたしは、人付き合いは下手なくせに人には嫌われたくないという面倒な人間だ。そして頑固なくせにすぐクヨクヨする。そのくせクヨクヨなんてしてませんけど、みたいな雰囲気を出したがる。今回のワークショップだってそうだ。はじめは、自分の周囲にこれまで一人もいなかった短歌を好きな人と知り合えるかもしれない、好きな短歌、歌集、歌人たちの話とかできるのかな。とは言えわたしもあまり詳しくないから色々教えて欲しいな。思い切って自分から話しかけたりしてみたいな。そしたらもしかしてもしかして、あの“いちごつみ“とかいう短歌の往復書簡みたいなやつとかできる相手に出逢えちゃったりするのかな…いやいや、さすがにそれはむりかーてへ。  とか、今思うとものすごい気持ちわるい妄想を膨らませていたのに、初日の講義から圧倒的に打ちのめされ、毎回帰りの電車で灰になり、夜バイト先の飲み屋では「なんか今日疲れてる?」とお客さんに心配される始末。結局はじめに思い浮かべた妄想はどれも成し遂げられなかった。

ちがう。

 わたしは自分がはじめに妄想していた世界線よりもずっとずっと刺激的な時間、挑戦、自分の可能性のすべてを楽しんでいた。ずっとワクワクしていた。受講生の皆さんとは直接話せなくても課題の提出や講師への質問、そしてそれぞれの短歌を通してコミュニケーションをとってきたつもりだ。これはもしかすると会話よりずっと濃密なものだったのかも知れない。そして出来上がった十冊の歌集。歌集にはそれぞれ制作コースの10人の名前が書かれてはいるが、わたしは制作コースも聴講コースも関係なく一緒に講座を受けた受講生の仲間と一緒に編んだ歌集だと思っている。

 こんな幸せな歌集はなかなかないぞ。どうだ。

 なんてことを帰りの電車の中で考えていた。いつもならもう一軒、家の近所の馴染みのBARに寄って帰るのだけど、今日はそんなことしたらもったいないと思えるくらい楽しかったのでまっすぐに家に帰ってシャワーを浴び、出来たての本の匂いを嗅いで余韻に包まれながら眠った。

 ぐらでーしょん 今日のぼくらを彩って七十三候目のきせつ編む