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九頭竜湖線メモ


九頭竜川と絡み合いながら、器用に谷の中を進んでいく。途中には石灰の切り出しで半分はげた山もある。一乗谷を過ぎてしばらくすると一旦森へ入り集落は途絶えるが、すぐにまた開けたところへ出て、すぐに越前高田駅に到着する。春の陽気で、段々と緑が田畑を覆うようになった景色は心を躍らせるが、農耕をする人間にとっては悩み絶えない季節の始まりの合図でもある。あちらこちら雑草を一生懸命刈ってこれからの季節に備えている。市波駅はすぐである。市波駅の前には、不思議な洋風の建物と、大社造りにも似た木造の建築が寄り添って経っていて奇妙である。駅を出ると柵もない狭い道路と崖の間を、忍足をするような徐行で進んでいき、少しすると川を渡って小和清水駅に着く。ここを出るといよいよ人家も立つ隙がないような谷になるが、トンネルを抜けるとまた谷は広くなり次の集落が出迎えてくれる。

越前花堂、一乗谷、越前高田とあと1駅くらい以外で人の乗り降りがない。計石を出る時、横を越前大野行きのバスが通り過ぎていった。それなりに人が乗っていたが、一人はこちらに目をやって「どうしてそんなものに乗っているの?」とでも言いたげな顔をしていた。計石を出ると、大野の盆地に向かって一気にトンネルで直進する。
北大野を出ると車窓には岐阜との県境の山々が見えて来る。いまだに雪をかぶっている姿はまさしく雄大であった。
越前大野では後ろの車両を切り離し前1両のみになるが、その際に乗っていた人がほぼ全員降りていってしまった。代わりに子連れが3、4組くらい乗り込んできて車内はにわかに活気付いた。この車両は折り戸式で、ドアもボタンで開けるタイプである。車内はおっさん2人と俺、そして3組の子連れ。さっき見た雪の山は気づくとロングシートに北向きに座っていた自分の眼前に現れていた。雪解け水が川を満たしている。柿ヶ島の次は勝原である。これはかどはらと読む。柿ヶ島からは谷にまた分け入って進むのだがもう谷に沿うのを諦めてトンネルを駆使してたまに谷に顔を出したところに駅があるという感じである。
勝原の辺りは特に桜などが綺麗に咲いている。勝原は1960年に開通してから12年間越美北線の終着駅だった。その先の区間は後にできたのでトンネルが多いのであろう。残す駅は越前下山と終着九頭竜湖のみである。


九頭竜湖駅は木造の駅で、道の駅が併設されていて、和泉地区の中心をなしている。ファミリーマートとお土産を売る店が併設された施設も隣接していて、意外と観光客らしき人は多かった。ただし直売店やうどんを売っている食事処は4/1からの営業で、ちょうど今日まで冬期の休業期間だった。とりあえず地図を見ながら九頭竜湖の方へ歩き出すが、ひたすらトラックが多い。本当に、なかなかな交通量の9割はトラックで、土砂か何かを運んでは戻り運んでは戻りしているようであった。よく見ると大野油坂道路とある。これは現在開通している油坂峠道路に接続して大野のこちらも既に開通している福井までの自動車専用道路と接続する道路らしく、調べると2022年度開通予定とあった。将来的に東海北陸道を経由して松本と福井を結ぶ中部縦貫道路の一部となるらしい。それはいいとして、目の前にはだかったのは見事なヘアピンカーブであった。かなりの傾斜を距離を稼ぎつつそれでもそれなりの傾斜でトラックが行き来している。極め付けは、歩道が途中で途切れている。当てにしていたショートカットも立ち入り禁止であった。とりあえず悲しいが戻って駅を通り過ぎ国道を反対方向へ進んで散歩してみる。どうにもこの鄙びて2筋しか通りがない集落と車通りの騒音が噛み合わなくて、落ち着かない。今度はヘアピンカーブの方へまた戻って道を逸れて行ってみるが、地図にあったはずの道は例の道路の工事で途中で潰されてしまっていた。なんだか複雑な気持ちを、そこまで見える綺麗な川の流れでごまかそうとする。駅の裏には笛の資料館と和泉地区の資料館があった。休館で中は入れなかったが、平維新がこの地の娘と契って家族を築いたものの、京へ戻らなければならなくなったという時に、妻子に託した笛を展示しているらしい。あとはハチロクという蒸気機関車が展示されていた。駅構内の観光案内の、白塗りでなかったことにされた数々の施設が、少し寂しい気持ちにさせる。


白塗りが多すぎる


余った時間はそこらをまたぶらぶらして、十分すぎるほどにこの集落を歩き回ったというところで、気動車が到着。12分の停車ののち出発した。ラッピングは行きと同じ大野城であった。


大野城のラッピングではない


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