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変わるきっかけは、どこに落ちているんだろう

世界の住みたい街ランキング2位のコペンハーゲンに住んでいる。人から見たら羨ましいことなのかもしれない。日本という恵まれた国にいることは、ありがたいアドバンテージだが、「わたしがすごいから」できていることではない。

わたしはもちろん「住んでいてよかった」と思えているが、他にも住みたいと思った街がある。「ひろいもの」という小説に出てくる街だ。短編5節から成る本で、それぞれが「ひろいもの」を通して人生がちょっと良くなるお話だった。物語の一つ一つは独立しているが、微妙にそれぞれの人生が交わる描写がある。

舞台は同じ街であるのに、たくさんの人生が行き交う。というのはあまりにありきたりな表現だが、同じ時間を複数の人生が並走し、交差していることを実感する。この5人の住む街、もっというとこの5人の住む時空を共にしたいと思った本だった。

「ひろいもの」のような、ほんの些細なきっかけでも人生は変わる。落ちているものに気づけるか、気づいてひろうのか、拾ったらどうするのか、拾ったことをどうとらえるのか。

選択もとらえ方もひと次第で、それこそがそのひとの人生。

そして、小説を読むたびに思う。小説家になりたいひとはたくさんいる中で、どれくらいのひとが小説家として食べていけるのだろう。小説家と小説家になりたいひとの違いは、とても才能だけの話だとはおもえないのだ。

書くのが上手いひとはたくさんいて、食べていけるか否かは「上手さ・巧さ」以外にもあるんだろう。残酷であり、希望的でもある。

そしてこれは、わたしがたまたま、運がよくコペンハーゲンに住めていることに似ているのかもしれないと思う。

わたしがすごいからではないんだ、と心から思う。すごくないのに、この選択ができる恵まれた環境にいることを痛感する。だからこそ、この時間を絶対に充実させたい。やり尽くしたい。どうしたら、後悔しないだろうか。

このことを考えては、2日一回不安になる。このままあっという間に1年おわっちゃうんじゃないか、後悔するんじゃないか、とごちゃごちゃ考える。何かしなくちゃ、成果を作らなくちゃ。。。あああああっ!んもうっ!!!

拾いたいと思ったものを、無視して通り過ぎてしまったら後悔しそうだ。でも落ちているものを手当たり次第に拾うのは、なんかそれは違う気がする。

そもそも、落とし物を探すために道を歩き回るのも、またなにか違う気もする。たまたま、落ちているものだ。誰かがものをなくすのを望んでるみたいで、なんかいやだな。


ほんとうは、「ひろいもの」で人生が変わるんじゃないのかもしれない。すでに自分の中にあるものが、「ひろいもの」を通して変わった見え方をするだけなのかも。外を歩き回るんじゃなくて、自分の内側を、探さなきゃ。

読了。1年後、後悔しないようなティップス、募集しています。


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