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息子が生まれて遺書を書き始めた。 #遺書001

1.長男が生まれ!嬉しい!

2022年12月のとある木曜日、長男が生まれました。長女に続いて2人目の我が子です。まずは2人を元気に生んでくれた奥さんに、心から感謝をしていることをここに記しておきたいと思います。本当にありがとう!

2.親として自分に何ができるだろうか?

詳しくはまた今度にしますが、親の与えられるものは6種類くらいに分類すると整理しやすいかな、と考えています。

①物(お金含む)
②情報/知識
③経験
④愛情
⑤価値観(概念としての価値観ではなく、刷り込まれるもの)
⑥エピソード0

3.僕は両親から何を与えてもらっただろう?

自分自身のことを顧みると、①〜④について、もう両親に対して感謝しかないです(この辺はまた今度ちゃんと書きたいと思います)。

⑤についても、10代〜20代前半くらいまでは「自分の価値観は自分で築き上げてきたものだし」と思い上がっていた部分もありますが、社会人になり、親になりでいろいろ体験する中、あるいは全く別の世界観で生きている人達と接する機会を得る中で、結局両親から与えられた価値観のベースはめちゃくちゃ大きいな、と考えるようになりました。
言い方は悪いですが、これはもはや「一生解けない呪縛」みたいな物だと思っています。

例えば、28歳くらいの時、自分じゃ絶対泊まれないようなラグジュアリーホテルに泊まらせてもらったことがあります。自然とアートが融合したようなハイソな空間で、建物はどれも彫刻のように美しく、敷地内のあらゆるところにセンスのいいアート作品があり、その上で原生林の温もりや湧水の清らかさと調和している。で、もちろんディナーも朝食も最高。
そこに小さな男の子を連れて泊まりに来ている素敵な家族がいたのですが、それを見て僕が感じたのは「僕の幸せな家族像に、この絵はないなぁ」ということでした。
いや、文句なしに素晴らしいことだとは思うのです。まさしくラグジュアリー。優雅。こんなホテルに家族で来られるということは、ご両親もさぞかし立派な方なのでしょう。控えめに言って超格好いい。憧れの家族だと思います。でも、自分の中の「幸せな家族像」としては響かない。そのイメージが無いから。
じゃあ自分が素直に思い描く「幸せな家族像」って何だろうというと、結局自分が経験したことのある「長期休暇にはキャンプに行って自然の中でのんびり過ごすような家族」にしかならないのです。
それって、もう今からはどうしようもない価値観じゃないですか。

おもちゃでもピストルや迷彩柄が好きになれないのも、親が子どもにヒステリーを起こすのが信じられないのも、外食より家でご飯を食べるのが好きなのも、全部育ってきた環境のせい、つまり両親から直接、間接に与えてもらった価値観だと思っています。
あとは、生活音がうるさい人に対して嫌悪感を抱いてしまうのは思春期における父親へのイライラを引きずっているんだろうな、とか。これも直接的では無いにしろ、両親から与えられた価値観だと思います。

ということで、僕は両親からたくさんの①〜⑤を与えてもらって育ってきました。自分の境遇に満足しています。下品な言い方をすれば“親ガチャ”においては大当たりを引いたと思っています。

じゃあ⑥は?というと、それこそが僕が「息子が生まれて遺書を書きたい」と思った理由に関係してきます。

4.「⑥エピソード0」の問題

「いや、そもそも“エピソード0”って何よ?」というところから整理していきます。

「人はどこからきてどこに行くのか」という名文句がありますが、マクロでの人類論やナショナリズムなんかの話は置いておいて、ミクロでの個人レベルの話においては「誰かの子どもして生まれ、また子どもを生み育てる」というのは大袈裟ではなくまさにこの名文句と真正面から向き合う話だと思っています。
そしてそれは、現象としてのただの繁殖の話ではありません。もちろん、両親が生んでくれなければ僕は存在できないので、繁殖の話、つまり「生んでもらえた」という事実は何物にも変え難い両親からのギフトであることは疑いようがありません。

ただ、ここで言及したいのはそういう話ではなく、5W1Hで紡がれる物語の話です。

自己中心的という言葉はネガティブな文脈で使われることが多いですが、人は自分の人生しか経験できないので絶対的に自己中心的な物語を生きています。徹頭徹尾、主人公は自分自身。神の目で見た世界という大きな舞台、あるいは特定の組織の中における配役が何であろうと、一人の人間が自分の目で見る自分の人生の主人公は自分以外にはあり得ません。
人は生まれた瞬間から自分の人生の物語の主人公として生きています。言うなれば、産声を出囃子にして物語がスタートするわけです。

生きている間に自分が経験する物語が“本編”だとすると、生まれる前の話はいわば“エピソード0”ということになります(“プロローグ”でもいいかもしれませんが、個人的には“エピソード0”の方がしっくりくる)。

本編スタートまでの経緯、裏話。そういうものは自分の人生の物語に厚みを持たせ、エンターテイメント性を高めてくれます。呪術廻戦の0巻が人気なのも同じ理屈でしょう。

こればっかりは、両親(またはそれに代わる近しい人物)以外、誰も子どもに与えることができない物語です。

(ちなみに、例えば僕の父が高校時代に交通事故で死んでしまっていたら僕や、僕の娘や息子が生まれていないように、5億年前にとあるピカイアがペイトアイに食べられてしまっていたら、僕や娘や息子が生まれていない、と言うようなことを妄想するのが、僕は大好きです。自分が今ここでこうしていられる奇跡にロマンを感じる。全てに物語がある。そういう意味で言うと、人間は気の遠くなるように長いエピソード0の先端で短い短い本編を生きている、と言う考え方もできる)

5.僕は両親の人生のことを、あまりよく知らない

前述の通り、前提として僕は自分の両親にものすごく感謝しています。一方で、ちょっと残念に思っていることもあります。知らないんです。彼らの人生のことを。つまり、自分のエピソード0を。

そういうのは長い時間をかけて「親子の会話」の中でちょっとずつ共有されていくものなのだろう、と想像します。ただ、僕自身はそういう経験の記憶がほとんどありません。なぜなら、そういう話をしてこなかったから。

大人になってからの僕を知っている方に話すとビックリされるのですが、僕と妻との結婚式の際、親族が僕にかけた言葉にこんなのがあります。

「貴裕がそんなに笑っているところ、初めて見た」

結婚式における親族からのコメント

母もこんなことを言っていました。

「いっぱい笑える奥さんと出会えて、良かったね(涙)」

結婚式における母からのコメント

そうです。
それくらい僕は家族や親族といる時、無表情で無口な子どもだったのです。特に、高校生くらいからは、内容のある会話をした記憶がほとんどありません。(幼少〜中学生くらいまでは話をしていたような気がしますが、両親の人生に興味を持つ程の知能を持っていませんでした)

両親からしても、高校〜大学時代までの僕について「薬園台高校に入って、浪人して早稲田大学に入って、留年して卒業してIT企業に就職した」という“あらすじ”以外ほとんど何も知らないのでは?と思います。
学校やバイト先での出来事、友人、感動した本、一人旅で死ぬかと思った体験や自信を与えてくれたこと、尊敬する人物や怪しい大人たち、人生の岐路で考えたこと、今の仕事の具体的な内容ややり甲斐、僕自身がどういう価値観・哲学・美学を大切にして生きているか、などなど。全くと言っていいほど知らないのではないか、と思います。
僕が今の仲間たちから「おしゃべりでよく笑う男」だと思われていることもきっと知らないでしょう。

そして僕からしても、両親の「親としての顔」以外のことは、ほとんど何も知りません。「親子」として一緒に過ごした空間、時間における出来事以外、例えば若い頃の面白エピソードや失敗談、人生の岐路、哲学など、ぜんぜん知らないのです。

繰り返しますが、両親に対してはものすごく感謝しています。決して仲が悪いわけでもありませんし、全く不満はありません。話をしてこなかったことに関して後悔もありません。まだ両親とも元気なので、機会があればそういう話をしてもいいかもとも思うのですが、多分しないでしょう。ただ、まぁ「そういう感じ」ということだけだと思っています。

ただその結果、僕が知っている僕のエピソード0は、とっても貧弱です。

6.数時間後に死んでるかもしれない

忘れがちなことですが、人は死にます。僕も人なので、死にます。これから長い年月をかけて楽しい時間を過ごし、①〜⑥を与えていきたいなぁなんて悠長な思いとは裏腹に、子ども達を残して明日の昼くらいには死んでしまうかもしれません。恐ろしいことに、これは“極端な話”ではないわけです。

僕は愛する妻や子どもたちと長く一緒にいたいし、まだまだやりたいことがたくさんあるので、死にたくないです。なるべく長生きするために、毎日筋トレしたり、食事や睡眠に気を使ったり、道路を渡る時は自動車に気をつけたり、ちょっと変な人がいたら努めて近づかないようにしています。
が、死は突然やってくるもの。

死んだら、与えるも何もありません。おしまいです。

7.コンティンジェンシープランとして、残せるだけのものは残しておこう

どんなに「これからたくさん子どもたちに残すぞー!」と息巻いても、死んだら何も残せません。
1歳娘と0歳息子には記憶すら残らないでしょう。

それだと悲しすぎるので、コンティンジェンシープランを考えておく必要があります。
①〜⑥についてそれぞれ対策をしておくことが重要です。

①物(お金含む)

それなりに一生懸命働いてきたし、保険にも入っているので、何とか責任を果たせると思います。ぼくの奥さんは優秀なので、何とかやってくれると信じています。

②情報/知識

今時、父親がいなくても困ることはないでしょう。
(これに関しては思うところありなので、また今度詳しく書きたいと思います。さわりだけ簡単に書くと、情報の流通性がめちゃくちゃ上がり子どもにとっての「身近で一番の物知り」が両親や祖父母でなくなった現代において、親が与えられる情報、知識って何だろう、という話です)。

③経験

ごめんなさい。
「若くして父を失った」という経験を残していくので許してください。

④愛情

これもごめんなさい。
記憶には残らないかもしれないけど、幼い君たちを愛でる姿を映像や写真にたくさん残しておくので、それを見て「あぁ、僕・私は愛されてたんだな」と想像してもらえたら嬉しいです。(チャンネル登録者数が全然増えないYouTubeをコツコツ続けている理由はここにもあります。これもまた別の機会に詳しく)

⑤価値観(概念としての価値観ではなく、刷り込まれるもの)

僕と似た価値観を持った、とっても素敵な女性が君達のママなので、ママから吸い取ってください(あと、価値観は自分で育てていってね)。

⑥エピソード0

そして最後にこれ。
これは生きている間に頑張れば、完璧ではないまでも、ちょっとは残しておけるのではないか、と思ったのです。お節介かもしれないけど、親が子どもに何かを与えてやろうなんて感情は、基本的にお節介でいいじゃないか、と思います。
本当はこれからゆっくり長い時間をかけて子どもたちに伝えていきたい。
例えば夕食の時に子どもが話してくれた学校でのエピソードに被せて昔話もしたい(嫌われそうだけど)、ドライブしている時に鉄板トークで車内に笑いの渦をおこしたい、息子がタバコで補導された日の夜に自分が仲間とやった悪事の話をしたり、一緒にお酒を飲めるようになった時に「実はさぁ」なんて言って大学時代のお酒の失敗談を話したい。正月に孫が寝静まった後に晩酌にかこつけて30代で情熱を注いだ事業の話をしたい(たぶんうざがられるけど)。
そんな楽しい想像しかないような話のタネを、とりあえずテキストとして残せるだけ残しておこう、と。

よく「故人の生前の手帳が見つかった」みたいな話がありますが、なんでもネット上にタダであげておけるこんないい時代なので、せっかくならnoteに書いておこう、と。

それこそが息子が生まれて「遺書を書こう」と思った理由です。

8.まとめ

 娘と息子はまだまだ文字は読めませんが、いつか「お父さんてどんな人だったんだろ?」と思った時に、覗きに来れるソースを作っておこうと思ったのでした。
それは思春期になって自分自身への興味が高まった時かもしれないし、就活で自己分析をする時かもしれないし(その頃にはそんな文化なくなってるかな)、社会人になって大人としての自分を見つめ直す時かもしれない。あるいは親になって自分の親の気持ちが気になる時かもしれないし、長生きできた僕が死んだ後かもしれません。
読まれることなどないのかもしれませんし、その可能性は高いw

でも、「君たちの父はいろいろ悩んだり考えたりしながら、結構頑張って生きてきたんだよ」ということを記しておきたい、と思ったのでした。

(追記)

娘も息子は僕とは別の人間です。なので、僕が何を考え、どうやって生きてきたのかは、あくまで子ども達の人生の本編とは直接関係のない話であることは言うまでもありません。別に「教えたいこと」とか「こう生きてもらいたいという願い」みたいなことを熱弁する気もありません。
あくまで君達の人生の物語のスピンオフ、エピソード0として、興味があれば読んでください。
娘、息子と話したいことが多すぎて、全部を描き出せる気がしないのですが、これから生きている限り、少しずつ書いていこうと思います。

(続くといいな・・・。とりあえず、3ヶ月の育休期間中だけは頑張りたいと思います)


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