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摘み草の楽しみ

先日、ある講座のサロンタイムで摘み草の話が飛び出しました。
長野で暮らされている生徒さんがこのところは
散歩がてら食べられる野草を摘んで帰ることもある・・・と
仰ったためです。
その時、ほとんど忘れかけていた摘み草の楽しみを
ありありと想い出したのでした。

摘み取った草を大急ぎで持って帰り冷たい水でさっと洗って
はこべなどはおひたしに、雪の下は精進揚げに
ノビルは刻んでおかかと和えたりしました。

摘み草に凝るようになったきっかけはこちらの本。
甘糟幸子さんの『野生の食卓』です。


ほんもののおままごと


甘糟さんの暮らしぶりと、こんなにもたくさん
身近な野草に食べられるものがあったのかという驚きで
一気に魅了されました。
そんなこともあり、郊外へと引っ越したくらいです。

食べられる野草の多くは二月の終わり頃から少しずつ芽が出て
桜が咲く頃にはかなりの種類になります。
八重桜の頃ともなれば、
もう大忙しで早く摘まないと
大きくなりすぎて筋っぽくて食べられなくなったりします。

ただ・・・ほんとうのことをいえば私は食べることよりも、
摘んだ野草を料理する行為そのものが楽しくてならなかったのです。
幼いころ、庭先でおままごとをしながら
タンポポもカラスノエンドウも、
本当に食べられることが出来たらどんなに良いだろうと思ったものでした。それが、大人になって、現実になったのです。
摘み草料理は私にとって「ほんもののおままごと」というに
ふさわしいものでした。


そんな新鮮な喜びもだんだんと薄れてきたころ
いつとはなしに摘み草をしなくなっていったのです。

生徒さんのお話から独特の苦みや香りを想い出し
子ども達と夢中で野草を探しに行った頃を懐かしく想い出しました。

それがもう、一昔前のことだったと気づいて
なんだか、ずいぶん遠くまで来たようなそんな感慨を抱きました。
私は前しか見ていないような人間なので特に、
そうなのかもしれません。

もう、季節はずいぶん進んでしまいましたが
気晴らしにどこかで摘み草をしてみるのも
よさそうだなと思っています。

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