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八角堂という建築はきわめて合理主義的なのかもしれない

ああ、、初めて像を見て泣いた

興福寺にて、[北円堂特別開扉]とあり、私の八角堂好きのルーツは興福寺南円堂、北もあったのか!と思わず拝観。
集団が来ていたから急いでお堂に入り、阿弥陀如来か弥勒菩薩かよくわからんねえ、まあ外観を見に来たかな、などと思い、弥勒さんの左に来ておお〜やっぱ博物館では横から見れないしいいねとか思ってて、目を滑らせ、瞬間、生きてる、と思った。

今にも動き出しそう、いや、目を離したら動いてしまうとすら思った。[世親像]とあった。急いで入ったので予備知識がないが、聞き馴染みのある名だ。西洋古典から仏教美術まであらゆる像を見てきて、像が生きていたときのことに思いを馳せたこと、無くはないけど、あんなにまざまざと像の眼前に世界が動いていたのは初めてだった。
彼の前方にインドが広がっていた。インドに行ったことはないが、そのとき私が見たのはどこまでも続く広い草原で、赤い陽が彼を照らし、草間を縫った風が彼の衣服を揺らしていた。ドキドキした。ほとんど動転していた。

「またお会いできましたねぇ」という声が聞こえ、見ると、おばあさんが世親像を見上げていた。「うん うん……相変わらずご立派で……」と彼女は語りかけた。会う、という表現、なるほどしっくりくると思った。この人に何度も会いに来たくなるのもよく分かる。

もう一度前から見たかったので、一度外に出た。軒の下から見ると、八角形がまあるく感じた。それを思い出せるように腐心して撮った。

全然伝わらない

急く心を抑えながらもう一度帳をくぐる。受付でもらったパンフレットをやっと開き、無著・世親像は運慶の作であり、眼には水晶が埋め込まれていると知る。

今見たら、この時点ですでに運慶晩年の…と書いてる。「北円堂」だけで即決したから、何も見えてなくてワロタ

無著像は優しく人々を見守っているとあり、たしかにじっと諭すような優しさがあった。世親像は対照的に遠くを見つめているのだが、それを先のように左から見ていたときに、目の端に細く熱いものが伝うのを感じたのだった。

驚いたが、今度は、八角堂というその箱について考えていた。
最初、弥勒菩薩に向かう求心性という言葉が思い浮かんだが、陳腐な気がした。
多聞天たちの像も見つめていたら、これらの像は、それぞれが独立していることによって支え合っているのだ、と思い至った。八角堂は、中心に向かっているのではなく、むしろ8面がそこに屹立し、それぞれは外界に相対しているのではないか。しかし二重膜構造とも言うべき廻廊が回っており、廻廊と外界は遮断されている。つまり、八角堂のエネルギーはすべて廻廊に終着する。この廻廊こそが、八角堂の本体なのかもしれない。言わば見るための堂である。八方から見るための八角形なのだ。なんという合理主義。

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