見出し画像

生産性と、変化と充実

知人とふいに、「生産性」が主題のアメリカンな話になった。
曰く、働く日にしろ休む日にしろ、波風の無い日は生産性を感じられず、物足りないという。

”休日の生産性”というワードに引っかかり、そこについてもよく話し、やがて生産性と変化、そして充実といった言葉たちそれぞれの意味が混ぜ合わされ、よりによって「生産性」という語句を選び、そして周りで語られていることに気づく。


付加価値だの、労働生産性だの、数字的に生産することを、毎日毎日続けるとどうなるだろうか?
実際に毎日やっている人も居るだろうし、過去の一時期は自分もそれに取り付かれ、幸いにして成果(収入)を手に入れていたこともあったが、その先に幸せがあると信じながら、結果幸せの”し”の字も生まれなかった。
少なくとも自分には合っておらず、このとき味わった哀愁を機に生活を見直し始めた。


私は、窓辺の花が今日になって1輪増えていることや、植物らが昨日より葉を開いていることに対して、大きな変化を感じている。
緑地に出かけて日光浴をしばらくした後や、あるいは植物たちに水を注いだりした後は、大きな充実を感じる。
見方を変えると、この何気ない風景も、今風に言えば”生産性の高い”出来事になるのではないだろうか。


優しい木漏れ日は、
役目を終えて落ちた葉っぱにさえ
スポットライトを当てる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?