こにたん

INFJ-T × HSS型HSPの、考え事や日頃の出来事。

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  • 暮らしのつぶやき

    そっと動いた気持ちを、まだ心が冷めない間に残します。

  • フィルムでなぞる記憶

    一生の中で、一度しか来ない瞬間。

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《自己紹介》

このアプリで、思った事を憚り無く好き放題書いている割に、自分のプロフィールを隠していることが申し訳なくなってきてしまった。 <ルーツ> 佐賀県の呉服屋と医者がどこかで交わり、さらに南大阪の地主が交わった系譜にある。 趣味や学問は自分で決めてきた…というより、示してくれるロールモデルもおらず、自分の選択に反抗されるなら耳を貸さなかった。 自分を育ててくれた親に対して、その反抗の謝罪としては、少しばかり勉強の成績をよくしておいた。 <カテゴリ> AB型、HSS型HSP、I

    • 生産性と、変化と充実

      知人とふいに、「生産性」が主題のアメリカンな話になった。 曰く、働く日にしろ休む日にしろ、波風の無い日は生産性を感じられず、物足りないという。 ”休日の生産性”というワードに引っかかり、そこについてもよく話し、やがて生産性と変化、そして充実といった言葉たちそれぞれの意味が混ぜ合わされ、よりによって「生産性」という語句を選び、そして周りで語られていることに気づく。 付加価値だの、労働生産性だの、数字的に生産することを、毎日毎日続けるとどうなるだろうか? 実際に毎日やっている

      • 地元暮らしの良い所

        新卒で正社員として入った会社に光の速さで背を向けて、キャリアの放浪、そして無職をしばらく経験して地元に戻ってきた訳だが、一度外に出たからこそ分かるのもあると思うが、漠然と「良いな」と思うわけである。 何も予定が無い空白の日曜日は、野良猫に負けない足取りで、ふらふらと地元の住宅地や公園、見知った店の近くを徘徊している。 今更改めて感じるのは、生きるために必要なものは徒歩圏内ですべて手に入ってしまうことの便利さだ。 自分が言う徒歩の範囲とは、だいたい片道45分くらいの道のりだ

        • ひだまりの中に

          noteではいつも、日記じみたことを書いているつもりだが、時折ふいに小説に寄せた創作をしてみたいと思うことが増え、書いてみた。 書いてみて、この活動は非常に胸をくすぐる面白さがあったので、短い創作文をまた綴ってみようと思ったのであった。 ーーーーー 青空に薄くもやがかかったような日に、いつも思うことがある。 「元気にしているかな」 あと少し、本当にあと少し早ければ、結末を変えられたかも知れない。 日々をほがらかに過ごしていく中で、いつも頭の片隅にある、ほがらかさとは似

        • 固定された記事

        《自己紹介》

        マガジン

        • 暮らしのつぶやき
          20本
        • フィルムでなぞる記憶
          4本

        記事

          花を買う日曜日

          冬に植えていた花たちが、春だとは言え夏に似た暑さに耐えかねて、そろそろ命が尽きようとしている。 冬と初春の窓を彩ってくれた桜草(プリムラ・マラコイデス)は、日本の高温多湿な気候には耐えられないようで、事実そのようにくたびれた様子だった。 別れを告げ、こんどは夏の窓を彩ってくれる花を選びにお店へ出た。 黄色いタチアオイの若苗をふたつ、青いロベリアの苗をひとつ頂き、まだ元気なデイジーのそばに植え付けた。 ロベリアは咲きすぎているくらいだが、タチアオイはまだ花は咲いていないので、こ

          花を買う日曜日

          いつも余白を持つ理由

          勉強をし終え、ふと窓を見ると、もうすっかり黄緑色の新緑になった樹木たちが気持ちよさそうに陽を浴びている。 本当に毎日使っている牛革製のショルダーバッグは、経年変化で艶が出て、道具としての表情を一層濃くしており、鞄をひとつにして良かったと感じる。 テーブルランプに括り付けられてる流木は山で拾ったもので、日によって走るウサギに見えたり、龍に見えたりする。 こういった、日々の気づきはだいたい余白の時間に生まれている。 この時にこそ、今に集中している時だから、この時間はとても好きだ

          いつも余白を持つ理由

          GWこそ?

          ゴールデンウィークに知らぬ間に差し掛かっていた。 前半はよくある3連休のように思っていたが、3連休を有給のマジックで引き延ばし、そのまま5月に突入させる手段も横行しているらしく、それが3連休をもGWに仕立て上げているようだ。 しばらく日々の仕事を忘れ、休みまくれるGWこそ、何をしようかと考えていた GWこそ、内側に籠りたいと思った。 なお、計画していた放浪計画は、この時期おなじみの「旧友との再会」により、延期となった。 外へ行くと「GWこそ○○!」と高らかな掛け声ととも

          みんな同じ

          緑地を散歩していると、コアオハナムグリが居た。 カナブンやコガネムシとよく似た甲虫で、花の中によく潜っている。 私がまだ無垢で幼かった頃、ハナムグリはもちろん、カナブンやカブトムシを捕まえに行ったことを思い出した。 またあの様な思い出を作りたいと思った数秒後には、彼は私の握り拳の中に拘束され、5分後には円柱のガラス瓶の"監獄"に閉じ込められていた。 監獄はよく日の当たる所にあり、栄養豊富なバナナも供給されている。 次の日の朝、私は彼より早起きだった。 例の緑地を日毎に早く巡

          みんな同じ

          出し抜けに朝食を抜いてみる

          昨日の朝にふと思い立ち、朝食を抜いてみたら自分の活力はどうなるのかと気になり、実践してみた。 元々昼食を摂らない生活を続けており、何かを咀嚼するのは晩ご飯のみということになった。 朝こそエネルギーを蓄える、エネルギーの必要な仕事の日はよく食べる、などの当たり前の定説に疑ってかかってみた。 果たして、その日はこんな結果だった。 ・種々の雑念からの解放 大抵、疲れていたり心がいつもより神経質な日は、こんな行動を取っている。 -メールを送ろうにも何回も書き直し、送ろうとしない。

          出し抜けに朝食を抜いてみる

          春風と

          昨夜からずっと、春らしい、穏やかな優しさを含んだ風がずっと吹いていて、気持ちよく寝られたし、また気持ちよく目覚めることができた。 朝は基本的に雨が降らなければ緑地に出向いて、風景を見るというよりは感じたり、小鳥たちの合唱を聴きに行ったりする。 そんなわけで今朝も緑地へ出かけた。 もう朝は常に、例の優しい春風がそよいでおり、両手を広げて体全体にその風を浴びた。 息をするたびに、草花の香りが入ってくるのが気持ち良い。 心に抱く不安すべてが、優しさに変わっていくようなひと時だった

          鳩と友だちに

          私にとって、いろいろな学びとなっている「鳩」。 通勤途中または昼休みに、同じ群れの鳩たちを目にすることが当たり前のようになったこの頃。 その中の一匹にひときわ親近感を覚えたので、どうにかして近づきになりたいと思うようになった。 朝、出勤前には彼を探して目の前まで向かい、昼は手軽な優しいパン(もはや自分よりも鳩の心配をし、成分の優しいパンをこしらえた)を彼とともに頂いた。 そんな試みが続いたある日、もう自分を見るや否や彼がいの一番に来るようになった。 いつも臆病そうに、しか

          鳩と友だちに

          もう一歩、許せるようになる

          週3日ある休みの日は、雨の降る日以外はいつも緑地に出かける。 朝の叡智とも言える何かを浴びに行き、今日を生きられることに感謝する。 まだ殆どの人が起きていない時刻に出かけるのが、孤独の中にある至福となっている。 早朝の雨後、暖かくなり目覚めたナミテントウが、まるで自分専用の席であるかのように、そこら辺から伸びるひときわ背の高い草(名前はわからない)の群れに、綺麗に一匹ずつまとわりついていた。 草のてっぺんにはアブラムシ達が屯しており、それを朝食として召し上がっているらしかっ

          もう一歩、許せるようになる

          気を楽に生きる

          言葉尻を捉えて、もはや同じものとして扱われている語句を、別々の意味で解釈し直す遊びに入れ込んでいる。 聴き心地なのか語呂なのか、その言葉の何かが自分の潜在意識へ突き刺さり、瞬く間に自分の習慣へ溶け込んでいく瞬間がある。 そんな意味で言葉は、人生をよりよく生きる道具として非常に役に立つ。 最近では、「もう少し肩の力を抜いて生きたい」と思った時、「楽にいく」より「気楽にいく」という言葉の方が刺さったということがあった。 「気楽にいこう」や「気楽に生きる」と言えば、その人自身が

          気を楽に生きる

          役に立つ事、ビジネス、noteは同じ

          役に立つこと(地域貢献活動や恋人への手助け)、ビジネス、noteやその他創作活動など。 これらは実は同じカテゴリなのではないか?といつしか考えるようになった。 なぜなら、それらを行った結果、浸りたい気持ちや得られる人生の効力感は驚くほどに同じだからだ。 きっと、ただ純粋に、生きていることを目に見える形で刻みたいだけなのだ。 古代人の遺跡にメッセージ性の無い、もはやアートとも呼べる壁画が多いのは、「自分はここで生きていた!」ということを何よりも伝えたかったからなのではない

          役に立つ事、ビジネス、noteは同じ

          音を楽しむためだから

          どれだけ聴き心地の良く、リラックスできる音楽を提供されたとしても、聴くタイミングを削ることにした。 この頃朝は、町の人工的な音をかき消すために、リラックスでき、お気に入りの曲を毎朝いくつか聞いていた。 だが朝の初っ端に5曲も聞いて1日を過ごすと、ずっと疲れていることに気づいた。 芸術的な音を楽しむためではなく、環境を捻じ曲げようとする自分の完璧主義的な欲望の矛先として扱っていたことに気づいた。 こんなことで朝から生活を濁すわけにはいかないと思い、最近はむしろ町の音に耳を傾け

          音を楽しむためだから

          生き急がない

          雨の降る朝に傘を畳みながら、またある時は日差しの届く朝にコーヒーを淹れながら不意に思ったことは、やはりペースを落としても良いんだなと言うことだった。 時には1人でいる時さえ、何かを急がねばと思うことがある。 なぜ、そして何に対して急ぐかは、明確な理由や事柄は思い浮かばないが、おそらくは、早くしないと何か不吉なことが起こるという、漠然とした不安を背負ってのことだと思う。 余白、穏健、低速を習慣にしても、やはりまだ「生き急がねば」という毒草の根は抜け切れていない。 どうやら、

          生き急がない