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【全文公開】死者の思いを聴く―夢幻能に学ぶこと―(2002年)

『総合芸術としての能』第8号(世阿弥学会)掲載

序 看護学校での授業

 ひょんなことから、昨年から、看護学校で「看護と倫理」なる授業を持つことになった。半年一コマ、全十五回の講義である。これまで大学で死生観などについて論じた経験はあるが、直接生死に関わる現場に携わる人を対象に話すのは、これがはじめてである。大学での死生観の講義をベースとし、理論的なことよりも具体的なことを話すよう心がけ、ビデオなどを活用し、感想を頻繁に書いてもらって反応を見ながら、試行錯誤で講義をはじめた。
 使用したビデオは、脳死を扱った新作能、戦争体験(それも加害者としての)を語る現代民話、豚を飼ってそれを食べることを通じて命について考えようという小学校の試み、などである。それらへの感想でどういったものに強く反応するかを把握し、生徒の関心の高かった安楽死の問題について、刑事裁判になった事例、それとこれは筆者の問題関心から、オウム真理教事件で多数の医療関係者がオウムに入信していて、医療技術を犯罪に悪用していたこと―多数の人の死に直面して自分のやっている仕事の意義に疑念を抱き、新宗教に入信する医療関係者は少なくないと聞いていたので―を取り上げ、ターミナルケアの実例として、日本のキリスト教系のホスピスや、欧米でのチベット仏教に基づくケアの実践、看取りに積極的に関わるカトリックのシスターの著作、などを紹介した。
 大学での講義では多くの学生が関心をもった脳死の能は、ドナー(臓器提供者)の立場でこの問題を考える大学生と医療の側の看護学校の生徒の問題意識の違い、脳死と臓器移植の問題については他の授業でも取り上げられていて知識があったこと、そして何よりも独特の発声による古語(映像にはテロップはついていたが)に拒否反応をしめしたこと、などによって、実のところ、一番反応が薄かった。しかし、この授業を続ける中で、筆者は能について、これまで自分でも考えていなかった可能性を見出だした。
 それは、日本的なターミナルケアを考える上で、もっとも手がかりとなるのが夢幻能ではないかということである。ターミナルケアはキリスト教の伝統を持つ欧米で生まれ、日本でもキリスト教系の病院で率先して導入された。それを日本の風土にいかに定着させるか、その試みのひとつとして、仏教僧によるターミナルケアがある。その典拠、仏教がかつては看取りにも関わっていた例として挙げられるのが、平安時代中期に源信によって著された『往生要集』である。そこには、寺院に死を迎えるための無常院を設けること、病者の傍らで僧が極楽往生を促すことなどが説かれている。しかしそれをターミナルケアに生かす上で最も問題なのは、『往生要集』では、死の床にある者が極楽往生を願っていることが前提であり、僧はそれを介助する存在であるという点である。今日でも日本では仏教式の葬儀をおこなう家がほとんどである。しかし、死者やその遺族が極楽往生を願っているかというと、それは大いに疑問である。そもそも、ある浄土教系の宗派で往生の布教について議論された際、締め括りの言葉が「『往生浄土』をテーマに掲げねばならないのはほとんどの日本人と同じように僧侶もこのことを信じていないから。自分が信じていないことを人に伝えることなどできるはずがない」だったというのが、偽らざる現状だからだ。
 もちろん、極楽往生を望む者もいるだろうし、そのような人を対象としたターミナルケアということも考えるべきだろう。しかしその場合、ケアのあり方は同信者による互助組織、念仏講の現代版とでもいうべきものになるべきで、僧侶の役割は指導や助言にとどまることになるだろう。極楽往生を必ずしも望まない大半の者へのターミナルケアは別に考えられるべきであり、その手がかりになるのが、夢幻能におけるワキ僧によるシテの弔いではないかと思う。もちろん、夢幻能のシテは亡霊で、生きている人間ではない。しかし、夢幻能、特に世阿弥の手になる作品を、ターミナルケアの試みと照らし合わせてみると、符号する点が驚くほど多いのである。

一 思いを聴く

 カトリックのシスター鈴木秀子は、自己の看取りの体験について記した本の冒頭で、医療関係者の学会で講演をおこなった時の経験を語っている(『死にゆく者からの言葉』)。 

 私は話し始めました。
「私は医学的知識は皆無です。私が実感していることは、当たり前ですが、人は必ず死ぬということです。ここにお集まりのお一人おひとりもいつか死んでいきます。それも医学の専門家としてではなく、一人の人間として死んでいくでしょう。そして、病気が重くなるにつれ、誰よりも医学の限界を身をもって感じられるのではないでしょうか」
 医学の専門的研究発表が続いていた午前中にひきかえ、午後に始まった私の基調講演は、まったく拍子抜けのするものであったに違いありません。
 しかし、私はこの時、大きな会場の空気が一瞬にして変わったのを感じ取りました。会場中の人達が、医師や看護の専門家から一人の人間に代わったのがはっきりわかりました。肩書きや役割を脱ぎ捨てて、一人の生身の人間の素顔をあらわしてくれたのです。私は胸が熱くなりました。親しい友人とわかちあうように、私は、これまで体験した何人かの「死にゆく人たち」との出会いと別れを話しました。
 講演の後、ある大学の医学部の教授が私に次のように話して下さったのです。
「一応二十四時間前後ということになっています。もちろん厳密な意味ではなく、およその時間です。死が近づいている病人が、元気を取り戻し、あたかも回復したかと思われる時があります。その間に、病人は、し残したり、言い残したり、したいと思っていたことをなし遂げることがあるのです。私たちはこの時間を『仲よし時間』と呼んでいます」
 私は、今まで摂理としか言いようのないかたちで、何人かの「死にゆく人たち」に、彼らの「仲よし時間」に招き入れてもらったのです。

 夢幻能では、ワキの僧が死後もさまようシテの亡霊の思いを聴く。亡霊は、「仲よし時間」に語るべきことを語ることができなかったために、死後もさまよい、その思いを僧に聞いてもらうことによって弔われるのではないだろうか。
 このような「仲よし時間」があるのなら、死を前にした者が何よりも願うのは家族とその時を過ごすことではないか、そう思う人は多いだろう。しかし、鈴木秀子はアメリカ留学時の親しい友人のドクター、メリー・カリーの次のような言葉を紹介している。

 私は何人もの死んでいく人たちのそばにつき添ってきました。ほとんどの人が自分に死が近づいていることを知っています。その人たちは、死を前にして話したいことをいっぱい抱えているのです。
 つい十五年ほど前まで、私たちは病人と話す際に、死については一切触れず、回復することだけに焦点を当てて励ましてきました。気持ちを軽くすることだけに気を配ってきたのです。しかし今は、病人に対し、まったく違う接し方をしています。死を身近に感じている病人が、今ここで何を考え、どんな気持ちを味わい、どういったことを望んでいるのか、まずそこに中心をおいて接するようになったのです。
 こうしたことは、具体的な行動に移す段になると、いくつかの困難な点にぶつかります。まず問題なのは家族側です。彼らは、この大切で親しい人にいつまでも生き続けてほしいのです。回復して元気に家に戻り、楽しい生活を取り戻したいと切望し、夢見ています。したがって、頭ではわかっていても、自分の大切な人が死んでいくのだという事実を、心の深いところでは受け入れようとはしないのです。死を否定し、自分の持つ不安や、親しい人を失う恐れ、あるいは混乱に立ち向かうことを避けようとしています。その結果、病人の前では笑顔を作り、病気があたかも回復するかのように病人に信じこませることによって、自分の持ち続けたい、はかない夢にすがりついていくのです。
 一方、当の病人もまた、そうした家族の態度に接し、まず家族を悲しませることや、落胆させることを極力避けようとします。これが家族へのせめて最後のいたわりの表現だと感じるからです。ですから、両者が心の中の、深い本当の気持ちを隠したまま、一見和やかに見える雰囲気をつくり続けるのです。
 死にゆく病人の心を占めている思いのひとつは、このような家族へのいたわりです。同時に病人の心の中には、そうした思いよりもさらに深く強い思いや希望が秘められています。それは病人が感じている『自分はもうすぐ死ぬのだ』という直感に基づくものです。死に向かうという、それまでに体験したことのない状況の中で、病人は死に対する恐れや不安、そして今終わろうとしている自分の人生に対してさまざまな想いが胸をよぎります。中でも多くの人が、自分にとって家族がいかに大切であったかを思い、辛く淋しい別れを味わっているのです。もちろん家族に感謝したい気持ちもあれば、自分が亡き後、家族が幸せに暮らしてほしいという望みもあるでしょう。病人はこうした思いや希望をざっくばらんに話して、あるがままに理解してもらいたいのです。生き抜けなかった自分の人生や、切り捨てた部分への悔いや望みも話してみたいのです。
 とくにこの思いが強いのは、誰かに対して不和の感情を持っている時です。どの病人もまず、仲直りをしたいと切に望みます。そして多くの病人が、不和の相手に対し、自分が悪かったと素直に自分の非を詫び、許しを乞い、心の交流を持ちたいと望むのです。
 また彼らは、もし許されていたなら、自分は本当にこんなふうに生きたかったのだという切実な思いを持っています。そして諸々の事情で選択しなかった生き方、伸ばし切れなかった可能性、遂げられなかった希望、自分に与えてやることができなかった満足感などを、赤裸々に話してみたいと願っているのです。
 まれに家族が死の事実を受けとめ、心の準備ができている場合に限り、こうしたことを心から正直に話し合い、相互の感情を伝え合うすばらしい雰囲気を生みます。しかし私の経験から言いますと、家族の側がこのように深く心の準備を整えることは、なかなかたやすいことではありません。一方、病人側も家族を悲しませたくないという気持ちが強く働いています。
 したがって彼らが求めるのは、自分の心を安心して打ち明けられる家族以外の人であり、何を話しても動揺しない、自分の気持ちをあるがままに受け入れてくれる人なのです。それは友達かもしれませんし、遠い親戚の人かもしれません。アメリカではカウンセラーや修道者がその役を果たすことがあります。また看護婦という存在も大きな役割を受け持っています。・・・

 能でも『清経』のように、僧ではなく妻の夢に亡霊が姿を現わす作品もあるが、その場合、二人の心は容易に通い合わない。夫の入水を知らされた妻は「夢になりとも見え給へ」と願うが、清経が現れると、「よし夢なりと現なりともおん姿を、見みえ給ふぞ有難き」と感謝しつつも「さりながら命を待たでわれと身を、捨てさせ給ふおんことは、偽りなりける予言なれば、ただ恨めしう候」と恨みごとを言ってしまい、「ふたりが逢ふ夜なれど、恨むればひとり寝の、節ぶしなるぞ悲しき」という、気持ちが離れ離れになった状態になってしまう。
 それに対し、『実盛』のワキは源平の古戦場で説法をおこなう高僧であり、亡霊への接し方は巧みである。最初、僧は聴聞に来る、他の者にはその姿が見えない老人に名をなのることを求めるが、老人は「ただ上人のおん下向、ひとへに弥陀の来迎なれば、かしこうぞ長生きして、この称名の時節に逢ふこと、盲亀の浮木優曇華の、花待ち得たるここちして、老いの幸ひ身に超え、喜びの涙袂に余る、さればこの身ながら、安楽国に生まるるかと、無比の歓喜をなすところに、輪回妄執の閻浮の名を、また改めて名のらんこと、口惜しうこそ候へとよ」と断る。僧はそれを「げに翁の申す所理至極せり、さりながらひとつは懺悔の回心ともなるべし、ただおことの名を名のり候へ」と、老人の主張を一応は認めた上で、改めて名を名のることを促す。僧には、老人の救われたいという思いの裏に隠された救われがたさ、妄執の存在を感じ取っていたのだろう。
 老人は平家方の武将、斎藤実盛の亡霊だった。実盛は常々「六十に余つて戦をせば、若殿ばらと争ひて、先を駆けんも大人気なし、また老武者とて人びとに、侮られんも口惜しかるべし、鬢鬚を墨に染め、若やぎ討ち死にすべきよし」を語り、実際にこの合戦でその通り正体を隠して出陣し、「名のれ名のれと責むれども終に名のらず」討ち取られた存在である。名のることを拒否すること自体、実盛の死の際のトラウマだったのだ。
 実盛の亡霊は『平家物語』で語られている死の様を語るが、それは「げに名を惜しむ弓取りは、たれもかくこそあるべけれや、あら優しやとて、皆感涙をぞ流しける」と、賞賛の対象となったものであり、「執心の閻浮の世に、二百余歳の年は経れども、浮かみもやらで」、「埋もれ木の人知れぬ身と沈めども、心の池の言難き、修羅の苦患の数々を、浮かめて賜ばせ給へ」などと語られる現状とは隔たりが感じられる。
 僧は「げにや懺悔の物語り、心の水の底清く、濁りを残し給ふなよ」と、さらに語ることを促し、実盛は「その妄執の修羅の道、巡り巡りてまたここに、木曽と組まんとたくみしを、手塚めに隔てられし、無念は今にあり」と、実は源氏方の大将木曽義仲と一騎打ちをして死ぬことを願っていて、手塚光盛に討ち取られることによってそれが果たされなかった無念を告白する。このことは『平家物語』には一言も語られていない。恐らく実盛の心に秘めた、誰も知ることのない思いであり、死後も二百年以上、誰にも語られることのなかった思いである。実盛はそれを今ここで初めて告白したのである。
 この思いこそが妄執の核にあったものであり、それを語ることは、ワキ僧が人の心のあり方、妄執というものを熟知した高僧で、実盛が彼に深く帰依していたことによってはじめて可能となったものだろう。

二 思いを聴く者の姿勢

 前述の鈴木秀子をはじめ、ターミナルケアに関わる者の多くが、信仰の有無、宗教の相違を越えて、一致して説くのは、死にゆく者の感情がどのようなものであろうと、それを批判したりすることなく受け止めるべきこと、ケアを行なう者が心がけるべきなのは自由に心情を語ることのできる環境を作ることだ、ということである。
 キリスト教系のホスピスが作成したケアのマニュアルでも、「どのような言葉や感情が表出されても、恐れずしっかりと受け止めようとすること」の重要さや、「目線の高さを同じにし、患者と同じときを共有しようとする姿勢」が不可欠であること、それは外的な姿勢にとどまらないことなどが説かれている(『緩和ケアマニュアル』)。

 スピリチュアルペインは決して病んでいる人だけの問題ではない。いつかは死すべき存在である我々にとっても問題なのであり、現在健康であるがために逃避できているだけにすぎない。死の前に平等になり我々が正直に関わったとき、お互いの心の中に真の心の交わり、一体感が生じるようになる。したがって、病状について偽りの情報を伝えているのでは真の心の交わりや癒しを得るのは難しい。

 欧米ではチベット仏教への関心が高いが、チベット仏教の高僧も欧米でベストセラーとなった著書の中で、死にゆく者への姿勢を次のように説いている(ソギャル・リンポチェ『チベットの生と死の書』)。これはケアの専門家向けの論ではなく、友人や親戚が死に直面している場面を想定してのものだが。

 死に直面している人は疎外感や不安感を感じていることが多く、あなたが初めて訪ねて行くと、あれこれとその訪問の意図を憶測するものだ。だから、何か特別なことが起こるのではないかなどと身構えず、自然に、ゆったりと、いつもと変わらずにいることだ。死にゆく人は自分が望んでいることや言いたいことを口にしないことが多い。一方、周囲の人々は何を言うべきか、何をするべきかわかっていない。死にゆく人が何を言わんとしているのか、あるいは何を隠そうとしているのか、それを感じ取るのは難しい。ときには彼ら自身にもそれがわからないのだ。だから、まず、大切なことは、その場の緊張をほぐすこと、楽に、自然にしていることである。
 信頼と確信が生まれさえすれば、その場の雰囲気はくつろいだものになり、死にゆく人が本当に話したいことを話せるようになる。死と死にゆくことについての思い、恐怖、さまざまな感情、それらをありのままに表現してよいのだと、温かく力づけてあげなさい。そのように怖がらずに正直に感情を吐露することが、変容が起こるための、残された生を生きるための変容、あるいは良き死を死ぬための変容が起こるための、よりどころとなるのだ。あなたはその人に完全な自由を、何であれ言いたいことを言える例外なき許しを、与えなければならないのである。
 死にゆく人がその私的な感情を打ち明けはじめたら、途中でさえぎったり、否定したり批判したりしないこと。末期患者や死にかけている人は、生涯でもっとも脆く傷つきやすい状態にあるのだから、その彼らに自己を吐露させるためには、あなたは持てるかぎりの繊細さを、思いやりを、温もりを、慈しみを動員する必要がある。聞くことを学びなさい。沈黙のうちに受け止めることを学びなさい。なぜなら、開かれた、落ち着いた沈黙があるとき、人は受け入れられたと感じるのだから。できるだけくつろいで、楽にすること。そして死にゆく友と、あるいは死にゆく近親者と、ともに時を過ごすこと。それより大事なことなどないかのように。それより楽しいことなどないかのように。

 死にゆく者の語る思いを「途中でさえぎったり、否定したり批判したりしないこと」の中には、ケアをおこなう者が自分の信仰を勧めることも含まれる。

 ときとして、死にかけている人に教えを説いてみたくなったり、自分の宗教的信条を勧めてみたくなったりするかもしれない。この誘惑に負けてはいけない。特に相手がそれを望んでいるかどうか定かではないときは、絶対にしてはいけないことだ。誰も他人の信念で「救って」もらおうなどとは思っていないのだ。あなたのなすべきことは人を回心させることではない。あなたの前にいるその人が、何であれその人自身の強さに、確信に、信頼に、精神性に触れるための手助けをすること、それがあなたのなすべきことだ。

 これは、今日の日本人の多くがケアへの宗教の関与という言葉から連想すること―入信をしつこく勧められ、信仰による病気の治癒や死後の救済が説かれるとは正反対のあり方である。しかし、「沈黙のうちに受け止めること」「その人を無条件に受けいれる」ことは決して容易ではない。平常のその人からは想像もつかないような内容や死への恐れなどが語られはじめたら、あわてて話題を逸らそうとしたりするのが、むしろ普通のことだと思われる。
 看護師の鈴木正子は、自らの長年の実践と若い看護師への教育経験を踏まえて、次のように語っている(『生と死に向き合う看護』)。

 人の死といった、最も人間の恐れを感じさせる出来事に真正面から向き合い、そこに居合わせなければならない看護婦は、自分自身の最も奥深いところから自分自身であること、子供の頃の自分と大人になってからの自分とが連続して認識できており、ありのままの自分を認め受け容れることができる、こうした経験を経て人格的に安定し、成長した人間であることが求められる。自分自身、死を恐れる感情があるとすれば、それが自覚できていなければ、とても人の死など直視できないであろう。
 死にゆく人の側に対等の人間として立つことができるとすれば、それは自分もいつかは死ぬ人間である、ということを知っているということをおいて他にないだろう。健康な人間が足音高く患者の側にいくのは、およそ死ぬなどということは自分にかかわりのないことだと思っているからである。患者は看護婦の健康をまぶしいという。圧倒されそうだという。患者と人間として真に対等に接するということは実にむずかしい。ターミナルの患者に看護婦は、病気の予後に関する話題は避けようとする。まして、死を話題にすることなど長い禁句であった。なぜなら、そういう話題は相手にとって不利だということが明らかだからである。同時に看護婦の優位を示すことにもなるからである。しかし、よくよく考えてみれば、自分も本当に死ぬ人間であることが自覚されているならば、死の話題は、決して自分の優位を示すことにはならないはずである。

 では、どのようにして、自分が死ぬ存在であることの自覚、死の直視ができるのだろうか。シスターの鈴木秀子は前掲書で、看取りに関わることになった契機として、自己の臨死体験―修道院の二階から転落して意識不明となり、光に包まれる体験をしたこと―を挙げている。看護師の鈴木正子は、「自分史をたずねる方法」によって、看護をおこなう自己の根源を見出だすことの有効性と、自分自身、エンカウンター・グループに参加してメンバー等から「受容」されたという感覚から自己省察に導かれたことを語っている。これは鈴木秀子が臨死体験によって得たものと基本的には同じ性格のものだろう。ソギャル・リンポチェは、次のように語る。

 わたしは、まえもって行を行ない、心の本質の神聖な雰囲気にわたし自身をひたしたあとでなければ、けっして死にゆく人のもとに行くことはない。それだけのことをしたあとなら、奮闘努力するまでもなく、慈悲と真正さはおのずと輝き出るからだ。

 ここで説かれている「心の本質」とは仏教が説く空性のことであり、チベット仏教にはゾクチェンやチャクチェン(マハームドラー)と呼ばれる、空性を直接体験する修行法がある。簡単に言えば、日本でポピュラーな(チベット仏教でも重視される)『般若心経』の「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄」(観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり)の境地を実際に体験する行である。
 夢幻能において、ワキ僧は「諸国一見の僧」と自ら名のるだけで、どのような境地にある者か、どのような修行を行なっているのかが語られることはほとんどない。しかし、別稿ですでに述べたように、世阿弥の夢幻能に先行する『自然居士』の現行形態では削除されている謡や『葵上』の横川小聖のあり方から推測するならば、修行に深く打ち込んで高い悟りを得た存在であり、それゆえ亡霊を弔う能力をそなえ、それを期待された存在であることがわかる(拙稿「能における夢の機能」)。
 逆に能におけるワキ僧のあり方を見るならば、今日一般にイメージされている仏教僧の姿 -自分を厳しく律して欲望を抑え、ひたすら修行に打ち込む -が、実際の仏教とは大きく異なっていることが推測される。自分の欲望に目を背けつづけている存在が、どうしようもない欲望に苦しんでいる他人の気持ちに耳を傾けることなど、到底できるはずもないからだ。
 『松風』で、かつて在原行平に愛された松風・村雨姉妹の墓標の松を弔った僧は、海女姉妹に一夜の宿を乞い、そのことを語った際の姉妹の反応に不審の念を抱く。

 不思議やな行平のおんことを申して候へば二人ともにご愁傷候、これはなにと申したるおんことにて候ふぞ。
 げにや思ひ内にあれば、色ほかに現はれさむらふぞや、わくらはに問ふ人あらばのおん物語り、あまりに懐かしうさむらひて、なほ執心の閻浮の涙、ふたたび袖を濡らしさむらふ。
 なほ執心の閻浮の涙とは、これはこの世に亡き人の言葉なり、またわくらはの歌も懐かしいなんどと承り候、いかさま不審に候へば、二人共におん名を名のり給ひ候へ。

 二人は松風・村雨の亡霊であると名のり、須磨に流された行平との交情、都に戻った行平が程なく世を去ったことを語り、弔いを願う。しかし行平の衣を取り出した松風はそれを身に着け、松を行平が戻ってきた姿だと錯覚して駆け寄ろうとする。妹の村雨は「あさましやそのおん心ゆゑにこそ、執心の罪にも沈み給へ、娑婆にての妄執をなほ忘れ給はぬぞや。あれは松にてこそ候へ、行平はおん入りもさむらはぬものを」と制止するが、行平の「待つとし聞かば帰り来ん」の歌を持ち出され、逆に説得されてしまう。
 二人はあきらかに妄執によって見えない行平を見ているのだが、僧は姉を説得しようとする村雨に荷担するわけでもなく、ただ座って二人の有様を見ているだけである。ワキ僧が「観客の代表」と呼ばれる所以であるが、ターミナルケアの実践や『実盛』における高僧のあり方をふまえて考えるならば、制止したり説得したりするのではなく、二人の思いを自由に解放させてあげることこそが、僧としてのつとめなのである。
 『檜垣』でも、自分の所に仏前に供える閼伽の水を運んでくる老女が有名な檜垣の女の霊であることを知った僧は、檜垣の女が老後を過ごした白川に足を運び、地獄の苦しみを味わっている亡霊の姿を目にする。

 われいにしへは舞女の誉世に勝れ、その罪深きゆゑにより、今も苦しみを三瀬川に、熱鉄の桶を担ひ、猛火のつるべを掛けてこの水を汲む、その水湯となつてわが身を焼くこと暇もなけれども、この程はお僧の値遇に引かれて、つるべはあれども猛火はなし。
 さらば因果の水を汲み、その執心をふり捨てて、疾く疾く浮かみ給ふべし。
 いでいでさらばお僧のため、このかけ水を汲み干さば、罪もや浅くなるべきと、思ひも深き小夜衣の、袂の露の玉襷、影白川の月の夜に、底澄む水をいざ汲まん。

 檜垣の女は水を汲むことを滅罪のためと思っているが、地獄での責めが水を汲むことによる苦であることが暗示するように、水を汲む行為は彼女の妄執と抜き差しがたく結びついている。有名な白拍子だった檜垣の女は芸と美貌の衰えを感じて、白川のほとりに隠棲した、そこに水を乞いに(口実だろう)訪れた藤原興範に舞を所望され、断りつつもさらなる求めに応じて、舞を舞ったのである。

 藤原の興範の、そのいにしへの白拍子、いまひと節とありしかば、昔の花の袖、今され色も麻衣、短き袖を返し得ぬ、心ぞ辛き陸奥の、狭布の細布胸合はず、なにとか白拍子、その面影のあるべき。よしよしそれとても、昔手慣れし舞なれば、舞はでもいまはかなふまじと、興範しきりに宣へば、あさましながら麻の袖、露うち払ひ舞出だす、檜垣の女の身の果てを。

 興範の求めによって舞った舞は、かつての舞とは比べものにならない醜悪なものだったに違いない。しかし、檜垣の女は、かつてとの落差と同時に、その縮めようのない落差をなんとかして縮めたい、返ることのない昔に返りたいという思いを抱いてしまった。それが彼女の妄執である。僧は少なくとも白川のほとりで亡霊の姿を目にした時、水を汲むという彼女の行為が妄執から逃れる手段ではなく、妄執そのものであることに気付いただろう。しかしそれを本人が悟らない限り、檜垣の女は救われることはないのである。

結 死者の語る思い

 世阿弥の能の特色として、仏教が説く死後の世界の苦しみをそれとして描かないことがある。例えば、『三道』の軍体の能の例曲で、修羅道の有様を描くのは、実際には戦いで死ぬことのなかった『清経』のみで、他は自分の死の様の回顧をそれにあてている。他の修羅能が「あれ御覧ぜよ修羅王の、梵天に攻め上るを、帝釈出で逢ひ修羅王を、もとの下界に追つ下す」(『俊成忠度』)「帝釈修羅の、戦は非を散らして、瞋恚の猛火は雨となつて、身にかゝれば」(『経政』)など語るのを見ると、これは世阿弥の独自な志向と考えなければならない。
 世阿弥以前には、亡者が地獄の獄卒に責められる様を描いた能が少なくなかったようである。現行の能では後シテとして地獄の鬼が登場する『鵜飼』にその面影がある。『鵜飼』では、殺生禁断の地で漁をおこなったことで殺害された鵜飼いの亡霊が僧に求められて鵜を使い、

 湿る松明振り立てて、藤の衣の玉襷、鵜籠を開き取り出だし、島つ巣下ろし荒鵜ども、この川波にばっと放せば、面白の有様や、面白の有様や、底にも見ゆる篝火に、驚く魚を追ひ回し、潜り上げ掬ひ上げ、隙なく魚を食ふ時は、罪も報ひも後の世も、忘れ果てて面白や。

 と、鵜飼いの面白さに我を忘れてしまう。もちろん仏教の教えからすれば、殺生は罪であり、まして生き物を殺すことを楽しむことなど、言語道断の行為である。しかしそれはその人の業であり、罰するとか禁止するという性格のものではないはずである。仏教では、地獄の苦は客観的に存在するのではなく、自分の業が作り出した幻影だと説く。舞台に地獄の鬼を出さず、亡霊の心情の吐露に焦点を当てた世阿弥の能は、仏教の人間心理への洞察を、深いところで正しく理解していると思う。
 能において、死者の語る思いは様々である。『忠度』のように、自分の歌が「読み人知らず」とされたことが「妄執の中の第一」であると語り、僧にそのことを和歌の師俊成の子である藤原定家に伝言するよう頼む、診断もその治療法も自分が指示する者もいる。『融』のように、荒れ果てた庭園でかつての栄華の様の夢にふけり、夢の終わりを名残惜しむだけで弔いの願いを一言も口にしない者もいる。
 仏教では、釈迦であっても他人を成仏させることはできない、できるのはきっかけを与え、自ら悟る手助けをすることだけだと説く。ワキ僧は、様々な亡者の思いを一定の枠にはめたり批判したりするのではなく、ただひたすら耳を澄ませて聴く。それこそが菩薩の行であることは、今日見失われがちであるのだが。
 僧が世襲の職業のようになった今日の僧侶すべてがそうであるかどうかは別にして、仏教には、死の恐れなど、自分の感情を見つめ、そこから解放されるための手段がある。これまで見てきたようにそれが唯一の方法ではないだろうし、宗教に頼らずしてそれを獲得することも可能かもしれない。しかし選択肢のひとつとして、そのような技術を習得し、死を直視することができる者によるターミナルケアというのも考えることができるのではないかと思うし、夢幻能をそのような観点で読むことは、ケアを考える上で大きな参考になると思う。

     参考文献

鈴木秀子『死にゆく者からの言葉』文藝春秋
鈴木正子『生と死に向き合う看護 自己理解からの出発』医学書院
ソギャル・リンポチェ『チベットの生と死の書』講談社
『中外日報』平成一四年六月二九日号
中村元・紀野一義訳註『般若心経・金剛般若経』岩波文庫
日本古典文学大系『謡曲集』上、岩波書店
日本名著全集『謡曲三百五十番集』日本名著全集刊行会
吉村均「先祖供養」日本仏教研究会編『日本の仏教⑥ 論点・日本仏教』法蔵館
吉村均「能における夢の機能」『総合芸術としての能』四号
吉村均「脳死問題と新作能『無明の井』の試み-生と死を問うメディアとしての能の可能性-」『総合芸術としての能』六号
淀川キリスト教病院ホスピス編『緩和ケアマニュアル(ターミナルケアマニュアル 改訂第4版)』最新医学社
 
 
 
 
 
 

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