見出し画像

ガルチェン・リンポチェ『凍ることのない川』

画像2

 あなたは敬信をもってダルマと出会われており、とても幸運です。ダルマの本質はふたつの菩提心です。相対的な菩提心は他を思う尊い心です。究極の菩提心は空性―あなた自身の心を見ることです。

 もしあなたが自分自身の心を見ることは困難だと感じるなら、それは煩悩からくる障害のためです。智慧は煩悩を晴らします。その智慧はラマの加持です。ラマの加持を受けるためには敬信という太陽が必要です。敬信の力による一滴の涙は、障害の山を浄化、あるいは晴らします。

 一般的に、仏陀と衆生はひとつの川のようなものだと言われています。しかし仏陀は、自分自身の本質をさとられ、疑いから解放され、すべての輪廻のおこないは夢や幻のようなものだとご覧になっています。仏陀の心は虚空の本質のように留まっており、凍ることのない川のようです。それに対して衆生は、自分自身の本質をさとっておらず、彼らの心は煩悩によって引き起こされた状態に影響を受けています。それはとても冷たい水と出会って凍るようなもので、氷は壊すことのできない岩のようになります。

 敬信の心と慈悲がその凍った心を溶かすならば、その人は自分と仏陀に何の違いもないことをさとるでしょう。ですから、加持の唯一で最も重要な源は信心なのです。それは百の川が一つの橋の下を通るようなものです。

 あなたが強い敬信のすぐ後に自分の心を見つめる時、その気づきはさとりを得る因です。その中で、ふたたびその気づきをはっきり見てください。主体と対象の双方が空性に溶け込みます。初心者はそれを信じることができませんが、しかしこの融解が仏陀の境地です。ですから、ティローパは「何も見ないことが最高の観である」とおっしゃりました。

 これは長くつづかないでしょう、ですからセッションのたびに短い時間何度も何度も瞑想してください。これは障害を晴らし、あなたの瞑想を高めるでしょう。

 敬信が唯一の本質的な点です。あなたが敬信を実践する時、ラマをあなたの目の前の空間に、まるでそこにいらっしゃるように瞑想してください。ラマの心は仏陀であり、あなたが訴えかける時、加持は疑いなく得られ、ラマはあなたをご自身の心に留めるでしょう。

(このマハームドラーの教えはガルチェン・リンポチェによって、ナンチェン(チベットのカム地方)のゴン・ガルにおいて1995年にジェームス・ピッタードのために書かれました。ケンチェン・クンチョク・ギャルツェン・リンポチェが1995年9月にインド、デラドゥンのチャンチュプ・リンにおいて訳されました。この翻訳はチベット瞑想センターの季刊誌『Dharma Wheel(法輪)』1996年4月号ではじめて出版されました)

画像1



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?