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「演能の思想的基盤―世阿弥『風姿花伝』「第四神儀」篇を中心に―」『日本思想史学』21(1989)

 この論文は投稿した日本思想史学会のサイトでPDFで公開されているので、noteに転載はしていません(下のリンクからご覧ください)。

http://ajih.jp/backnumber/pdf/21_02_02.pdf

 私が一番最初に書いた論文のひとつです。当時、大学は2年間の一般教養課程と2年間の専門課程に分かれていて、私のはいった大学では3年になった時に専門の学部・学科を選ぶことになっていました(今でもそのようです)。
 教養の2年間で私が興味をひかれたのは、心理学と日本史、民俗学でした。しかし、私が関心をもったのはフロイトやユングでしたが、専門の心理学科でおこなわれていたのは行動心理学、ネズミを迷路に入れて行動のパターンを研究するものでした。また、私が関心を持ったのは思想史や文化史でしで、日本史の先生にも相談したのですが、当時の国史学科は政治経済史が中心で、文化史や思想史は学問とはみなされない、ということでした。民俗学は近代の学のあり方を批判して生まれたもので、私の通っていた大学には講座すらありませんでした。
 どこに進学しようか迷う中、大学セミナーハウスで当時開催されていた大学共同セミナーで、ユング心理学のセミナーで、湯浅泰雄先生(当時筑波大学教授)の講座を拝聴し、私の関心に一番近い分野だと感じ、湯浅先生が出身された倫理学科に進学を決めました。

 湯浅泰雄先生はユング心理学の研究のほか、独自の身体論、日本思想の研究で知られ、和辻哲郎最後の弟子といわれていました。和辻は『古寺巡礼』などで知られ、和辻が以前主任教授を務めていて、倫理学では西洋倫理思想の研究だけでなく、日本倫理思想の研究もおこなわれていました。

 私が研究してみたかったのは、具体的な空間や身体、感情から切り離された抽象的な観念、思想ではなく、それらと結びついている思想、外の制度の変遷ではなく、心の奥底と結びついた歴史、仏教を、神の信仰と切り離された哲学・思想としてではなく、神の信仰と結びついている部分ももつものとして扱うことだったのですが、湯浅先生が高く評価される空海については読んでみても何がなんだかわからず、どう扱えばいいのかすら、見当がつきませんでした。

 そこで、とりあえず研究をスタートさせるために選んだのが、世阿弥の能芸論と彼の夢幻能の研究でした。宗教的なものから芸能から生まれる過程で、さまざまなことが自覚され、それが彼の能芸論や能作品に反映されていると感じたからです。

 この論文で取り上げたのは、世阿弥『風姿花伝』第四神儀で説かれている、能の起源譚です。当時の能楽研究の主流では、これは歴史的事実ではない、と軽視されている印象があったのですが、それは能楽者にとっても「あるべき姿」で、能楽者が能をどのようなものとして取られえているかを知る手がかかりになる、それと宗教儀礼から芸能が生まれる、その接点の部分を知ることができる、というのが、能の起源譚を取り上げた理由でした。



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