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【全文公開】道元・親鸞が見たもの(下)光明と空(2010年)

『大法輪』2020年11月号(通巻77巻11号)に掲載

「他力」のむつかしさ

 大企業がCMなどで「他力本願(たりきほんがん)」という言葉を、努力をせずによい結果を期待するという悪い意味に用い、浄土真宗が抗議することがあります。「本願」は一切衆生を浄土に摂(おさ)め取る阿弥陀仏の誓願、「他力」とは往生(おうじょう)が自分の修行ではなく阿弥陀仏の誓願の働きによってなされるという、親鸞聖人(しょうにん)の教えの心髄をあらわす言葉です。ですから、誤用だというのはその通りなのですが、なぜそのような誤用が一般的になっているかというと、他力の信というもののわかりにくさに起因します。もし自力と他力の違いが単に自分で修行するかしないかだけだとしたら、世間の誤解を解くことはむつかしいでしょう。
 結論を先に言ってしまうと、自力の信、自分が何かを信じることが、そうであって欲しい、そうだといいなと思うことで、信じることもあれば、疑ったり信じるのをやめることもあるのに対し、他力の信は、そのような余地のまったくない、生じたら失われることがないものです(ダイヤモンドに喩えられ金剛心(こんごうしん)と呼ばれる)。一言でいえば、他力の信を獲得するということは、「自分が往生しないわけがない」とわかることです。
 こういうと、多くの方は、そんな馬鹿なことがあるか、と思われるかもしれません。親鸞聖人は、「易行難信(いぎょうなんしん)」、他力の信を得ることはきわめてむつかしいと説かれています。「まことの信を定められて後には、弥陀のごとくの仏、釈迦のごとくの仏、空に満ち満ちて、釈迦の教へ、弥陀の本願はひがごとなりと仰せらるとも、一念も疑あるべからず」(『血脈文集(けちみゃくもんじゅう)』)というのが、他力の信です。浄土真宗を大きなものにしたのは室町時代の蓮如(れんにょ)上人ですが、居並ぶ熱心な門徒を前にして「この内に信を得たる者いくたりあるべきぞ、一人二人あるべきか」と言い、門徒たちを驚かせたと伝えられています(『蓮如上人御一代記』)。
 親鸞聖人の教えを正しく理解することは容易ではありません。聖人の教えについて唯円(ゆいえん)が書き記した『歎異抄』は、日本で最もよく読まれる仏教書ですが、その奥書には、書写した蓮如上人によって「無宿善(むしゅくぜん)の機(き)においては、左右なく、これを許すべからざるものなり」と、誰彼構わず読むことを禁じる旨が記されています。『歎異抄』が広く読まれるようになったのは明治になってからで、西洋の考え方がはいり、輪廻などを説く仏教をどう存続させるかが問題になった時に、西洋の一神教に最も近い教えとして、阿弥陀仏への信が注目されました。
 しかしそれは、仏教とは異なる枠組みで聖人の教えを捉えることでした。かつての伝統教学では、仏教一般を学んだ後ではじめて『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を読むことが許されたといいます(亀井鑛(ひろし)「埋もれた蓮如教学」『大法輪』平成七年三月号)。仏教の十分な知識なしに読むと、親鸞聖人の教えは誤解する危険性があります。近代化の嵐の中での先人の苦闘を軽んじるわけではありませんが、欧米でも単に救いを祈るだけでない、心を変える方法を持つ教えとして仏教に関心が集まるようになった現在、仏教一般を踏まえて改めて聖人の教えを位置づけ直すべき時期が来ているように思います。

仏教の基本と、浄土の救い

 仏教は、私たちの感覚にありありと映っている対象が実は実体を持たず(空(くう))、私たちが当たり前のこととしておこなっている、欲しい物を手に入れる・嫌なものを排除するという、苦しみをなくし幸せを得る方法が間違っていることを説く教えです。仏教の核心は日常的な感覚に反し、受け入れることがきわめて困難なものです。
 そのため、伝統的には、すでに理解を得ている人から教えを受け、それが正しいかをよく考え、納得がいったら繰り返して心になじませるという学習方法を取り(聞(もん)・思(し)・修(しゅう))、戒律を守って煩悩に振り回されることを抑え、一点集中の瞑想によって感覚が対象を捉えることを一時的に停止させ、その状態で実体を欠くこと(空)を理解する必要がある(戒(かい)・定(じょう)・慧(え))とされています。輪廻の苦しみから抜け出すことは容易ではなく、釈尊も三阿僧祇劫(さんあそうぎごう)という果てしない間生まれ変わりを繰り返し、仏教の境地に到達されたといわれます。
 そのような仏教の基本と阿弥陀仏の救いの整合性については、昔から議論がありました。ひとつの考え方は、阿弥陀仏の誓願を信じるだけで往生できるという経典の教えを文字通りには受け取らず、実際に往生するのは、それが機縁となって、遥(はる)か後の生で聖者の境地に到達した時だという解釈です(「他時意(たじい)」という解釈法)。それに対する反論は、経典では疑いのない信の必要性が説かれており、そのような受け取り方は誓願への疑いではないかというものです。興味深いことに、インドから別々に阿弥陀仏の教えが伝わった中国とチベットで、まったく同じ議論が展開されています(拙著『神と仏の倫理思想 日本仏教を読み直す』北樹出版、第二章3を参照)。

「弥陀の手」は、すぐそこに

 浄土信仰の一般的なあり方は、菩提心(ぼだいしん)をおこし、阿弥陀仏と極楽を瞑想し、善行を積んでそれを極楽往生のために廻向(えこう)して往生を目ざすものでした。往生=成仏ではなく、阿弥陀仏の仏国土(ぶっこっくど)である極楽に生まれて阿弥陀仏から教えを受け、さらに次の生で仏陀になると考えられていました。平安時代半ばの源信僧都(げんしんそうず)の『往生要集(おうじょうようしゅう)』に、瞑想の仕方や臨終の際の死にゆく者の導き方などが詳しく説かれています。それに対し、中国の善導(ぜんどう)の教えを根拠に念仏のみによる往生を説かれたのが法然上人で、これは既存の教団との摩擦を引き起こし、法然上人は僧籍剥奪の上、流罪(るざい)となり、弟子の親鸞聖人も連座されました。
 親鸞聖人の主著の『教行信証』は、経典やインド・中国・日本の高僧の教えを引用し、念仏往生を仏教全体の中に理論的に位置づける試みといえます。その内容を要約すると、真の阿弥陀仏とその世界は「尽十方無礙光如来(じんじっぽうむげこうにょらい)」という阿弥陀仏の別号が示すように、果てのない光であり(有限な可視的な光ではない)、阿弥陀仏の誓願の核心は、誓願を心から信じることによる往生を説く第十八願で、信を獲得した時点で往生が定まり、誓願の働きによって死後直ちに往生し(往相廻向(おうそうえこう))、悟りを開いて利他のために再びこの世界に戻ってくる(還相廻向(げんそうえこう))というものです。
 『阿弥陀経』や『観無量寿経』に説かれる姿形のある浄土は方便(ほうべん)として設けられた化土(けど)で、瞑想や功徳を廻向することによる往生は、阿弥陀仏の誓願を信じることができない者のための方便の願であり、化土は経典で疑いを抱きつつ往生する者が長く留められるとされる懈慢界(けまんかい)・疑城胎宮(ぎじょうたいぐう)であるとされました。
 前号でも触れたように、私たち人間と仏陀では世界の捉え方が違います。日本の伝統でもチベットの伝統でも、私たちには阿弥陀仏とその浄土は見えないが、阿弥陀仏からは私たちがはっきり見えていることが強調されていますが、これは別に阿弥陀仏が遥か遠くまで見ることができるということではありません。阿弥陀仏にとっては私たちは皆目の前におり、しかし私たちは無明(むみょう)のため、阿弥陀仏が差し伸べている救いの手を目にすることができないのです。
 親鸞聖人の解釈は、その手にはっきり気づくことこそが往生の核心で、瞑想や功徳の廻向による往生は、その手に気づくことができない者のために、遥か遠い西の彼方の世界として浄土を思い描かせ、そこをを目指すという形で往生を促したものと捉えることができます。

「光明」としての真実

 チベットでも、菩提心を起こして阿弥陀仏とその世界を瞑想し、善行を積んで廻向することによって往生を目ざすことが一般的ですが、修行者の機根(きこん)によって仏との関係や距離は変わっていきます。
 日本でも知られている『チベットの死者の書』は、チベットで最も高度なゾクチェン(大究竟)の考えを背景とした教えです。そこには人が死後生まれ変わるまでの期間とされる四十九日間(中有(ちゅうう)ないし中陰(ちゅういん))に死者の意識が体験する様々なビジョンが説かれていて、死者の意識は死の瞬間に本源の光明に出会うとされていますが、生前に心の本質をはっきり知った者でなければ、その瞬間は失神状態で、それを捉えて一体化し解脱(げだつ)することはできないとされています。その次には密教の五仏(ごぶつ)(そのひとつが西方の阿弥陀仏)が五色の光となって現われ・・・・・・、と続きますが、親鸞聖人の教えは、ちょうどこのゾクチェンの心の本質を知った者と同じ教えということができます。
 実際、ゾクチェンはチベットでは頓悟(とんご)の教えとされていますが、親鸞聖人も、諸善往生が他力の漸悟(ぜんご)であるのに対して、他力往生は他力の頓悟の教として位置づけられています(『教行信証』信巻および『愚禿抄(ぐとくしょう)』『末灯鈔(まっとうしょう)』所収「有念無念(うねんむねん)の事」書簡)。自力の頓悟とされているのは、仏心(ぶっしん)宗(禅)・真言宗(密教)・法華宗(天台)・華厳宗・三論宗(中観)です。
 親鸞聖人は他力の信を獲得した時に往生が定まるとして、弥勒同等(みろくどうとう)と説かれてていますが、仏教の現代社会における意義を説き、欧米でロングセラーとなったソギャル・リンポチェ『チベットの生と死の書』でも、ゾクチェンでは実際には死の瞬間に本源の光明と一体になって解脱するのだが、生前に悟っていたとみなされると説かれています。同書では心の本質を知った状態を、煩悩を雲、心の本質を青空にたとえ、飛行機で雲の上の青空に飛び上がると、空を覆いつくしているように感じられていた雲が、遥か下に小さく見えると喩えていますが、これが親鸞聖人の正信偈(しょうしんげ)の「摂取(せっしゅ)の心光(しんこう)、つねに照護(しょうご)したまふ。すでによく無明の闇(あん)を破(は)すといへども、貪愛(とんない)・瞋憎(しんぞう)の雲霧(うんむう)、つねに真実信心の天に覆(おお)へり。たとへば日光の雲霧に覆はるれ雲霧の下明らかにして闇なきがごとし」と、雲がなくなるわけではないが日の光を感じることができるようになるという点で似通っているのは、偶然ではないでしょう。

有無を離れる

 もちろん、阿弥陀仏の光明は可視的な光ではありませんから、それが自分を照らしていることに気づくことは容易ではありません。しかしごく稀に気づく者が現われ、妙好人(みょうこうにん)と讃えられ、人々はその許を訪れて、いかにして他力の信を獲得したかを尋ねて廻りました(三田源七『信者めぐり』を参照)。
 それは現代の私たちが想像するような盲信とは違います。親鸞聖人は経典を引用して、阿弥陀仏の智慧の光を受けた者に起きる心の変化を説かれています(『教行信証』真仏土巻(しんぶっどかん)所引の『無量寿経』およびその異訳の『大阿弥陀経』)。実際、妙好人の中には、学僧が知識で教えを説き、真の理解を得ていないことを鋭く指摘し、文字が読めないにも関わらず、教えの難解な箇所を尋ねられると、すらすら答えることができた者もいました(前掲『信者めぐり』)。
 空(くう)は私たちの実感に反しているため、理解することが極めて困難で、理解のための膨大な教えや修行法が存在しますが、すべては空をめぐる教えであるので、それらすべてに精通する必要はなく、どこかひとつわかれば他もわかる、仏教はそういうわかり方をする教えです。もちろん、それは容易なことではありません。
 親鸞聖人は、このような浄土信仰理解の先例をインド・中国・日本の高僧の教えに求め、七祖(しちそ)として讃えられました。その筆頭とされるのが、インドのナーガールジュナ(龍樹)です。親鸞聖人は『浄土和讃(わさん)』で阿弥陀仏を「解脱の光輪(こうりん)際(きわ)もなし。光触(こうそく)蒙(かぶ)る者は皆、有無(うむ)を離ると述べたまふ」と讃えられていますが、有無を離れるとは、空性(くうしょう)を直接体験して歓喜地(かんきじ)(菩薩の十地の初地(しょじ))に至ることで、その方法として、修行による難行道(なんぎょうどう)と信による仏の出会いという易行道(いぎょうどう)を説いたのが、ナーガールジュナの著書として伝わる『十住毘婆娑論』(漢訳のみ存)です。

龍樹菩薩

 自分たちの感覚が捉えた世界に閉じ込められた私たちが、形のない阿弥陀仏の光明、目の前に差し伸べられた救いの手に気づくことはきわめて稀です。しかし、一度それに気づいてしまえば、それを視覚で捉えることはできないにしても、大いなる安心(あんじん)が得られ、心が変わっていきます。阿弥陀仏を思うたびにその安心は呼び起こされ、阿弥陀仏への感謝の思いが心の底から沸き起こってきます。
 親鸞聖人の教えを一度「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで往生できると誤解している人もいますが、聖人が説かれたことは、救いの手を確信し喜びが沸き起こった瞬間に往生が定まり(『歎異抄』一)、南無阿弥陀仏と口で唱えることは、その喜びの表現だというものです(同一六)。浄土真宗では報謝(ほうしゃ)の念仏といいます。
 妙好人のような存在は、現代にも現われています。働き盛で成人していないお子さんを持つ鈴木章子(あやこ)さんは、癌(がん)を阿弥陀仏のお蔭だと感謝し、喜びの中で亡くなられました。その心の動きが手記として残されています(『癌告知のあとで』)。それが単なる思い込み、死の恐怖からの現実逃避なのか、苦しみからの真の解放なのかは、一人一人が読み、確かめることができます。そのような存在が現われ続けたことが、親鸞聖人の教えの正しさと有効性を証明しているのです。

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