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仏舎利が光った!(2009年)

 仏舎利は単なる遺骨ではなく、伝統的な説明では、仏陀や悟りを開かれた高僧を火葬した遺灰から見つかる宝石状の玉で、その方がご自身の代わりに遺されたものとされています。

 テーラワーダでは、釈尊以外の別の世界の仏陀(阿弥陀仏など)を認めていませんが、釈尊が涅槃にはいられた後も、三宝(仏・法・僧)からひとつ減ってニ宝になってしまうのではなく、三宝への帰依が成り立つ根拠として、釈尊の残した仏舎利がこの世に存在していることを挙げています。

 お寺の塔は元々は仏舎利をまつるためのものですし、日本でも、聖徳太子が(数え年)二歳の時に合掌して「南無仏」と称えると、その手のひらから仏舎利が生じた、弘法大師空海が中国から仏舎利を持ち帰り、東寺に収められたそれは、その年の良し悪しで増えたり減ったりするので、朝廷が毎年その数を数えさせていた、など、色々な話があります。

 チベットのお寺にまつられていた仏舎利が、お寺が破壊された際に持ち出され、それらを収集した結縁のための仏舎利展が、ラマ・ゾパ・リンポチェの大乗仏教保存財団(FPMT)の主催で、世界中を巡回していました。
 日本にも回ってくることになったのですが、当時、「仏舎利商法」が問題になっていたこともあって、開催を引き受けてくださるお寺がどこもなく、知人が自腹で新宿の展示室を借りて、参加無料の展示会をひらきました(2009年2月6~12日)。

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 前日、展示の設営のお手伝いに行ったところ、収めてあった箱から仏舎利を取り出した途端、部屋の雰囲気が一変したのには驚かされました。
 会場には、休憩用の椅子を置いてあったのですが、ヨーガなどボディワークをやっている方たちが、ここでは瞑想がよくできると、ずっとそこに座っていることが日に日に増え、会期の後半は急遽展示会場の広さを倍に増やし、瞑想用のスペースを設けたほどでした。

 文献には、仏舎利が増えた、とか、光った、とか、生き物のように動いた、とか、仏舎利にまつわる不思議な話がでてきます。私自身はさすがに、それを真に受けることには躊躇があり、お手伝いも、正直、お付き合いで、という感じだったのですが、本当に、仏舎利が光ったのには、驚きました。

 それは、ゲルク派の開祖ジェ・ツォンカパ(1357~1419)の舎利とされるものです。ツォンカパは火葬されておらず、生前、弟子に与えた歯から生じた、という説明でした。

 信心深くない私たちは、「本当? 光の反射じゃない?」とライトを消したりしてみたのですが、やはり光っていました(手前の小さな舎利です。携帯で撮ったので、鮮明ではありませんが、撮影者は私です。比較のため、光っていないもの(4枚目)も掲載します)。しばらくすると光はおさまりました。

 少し前に、写真をFacebookで紹介したのですが、その時、韓国の方から、同じ巡回展を韓国でおこなった時は、ナーガールジュナ(龍樹)の舎利が光ったと、写真を送っていただきました。
 まったくありえないような出来事ではないようです。

 仏舎利の効果を目の当たりにして思ったのは、ゾパ・リンポチェは、世界に仏陀の教えを広めるためには、単に知識を紹介するだけではなく、一人一人が仏陀に直接触れて、何かを感じることが大切だとお考えになって、このような結縁の催しを世界で行われたのでは、ということでした(大乗仏教保存財団は、世界中に仏教センターを設けているほか、出版部門(WISDOM)を持ち、多数の仏教書を英語で出版しています)。

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 禅宗では仏舎利を礼讃する舎利礼文をお唱えするのですが、 西有穆山『正法眼蔵啓廸』(大法輪閣)を読んでいたら、著者が道元禅師の遺骨を永平寺から分けていただいて、毎日舎利礼文を読んでいたら、そこから舎利が5粒生じた、ということが書いてありました。日本でも釈尊だけでなく、高僧のお骨から舎利が生じることがあるようです。
 そのうち何粒かを、静岡県の可睡斎(変わった名前ですが曹洞宗のお寺です)の護国塔に納めたそうです。

 仏舎利展では、頼まれて日本の仏舎利信仰についてお話しする機会をいただき、それがきっかけで、大学の授業とは別に仏教の勉強会を始めて、今に至っています。
 そういう意味でも、私にとって大きな出来事でした。

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