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日本文化の諸相:節分の豆まきと古典芸能の能

 節分の豆まきと古典芸能の能では、どちらも仮面が用いられ(紙やプラスチックの節分の鬼のお面と能面では、値段は全然ちがいますが)、それはこのふたつのルーツが同じものであることを示唆しています。

図3

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修正会・修二会の呪師の行法

 古代の日本では、大寺院で、修正会(しゅしょうえ)・修二会(しゅにえ)と呼ばれる行事がおこなわれていました。(旧暦の)一月におこなうのが修正会、二月におこなうのが修二会です。新しい年の始めに一年の罪を懺悔して、新しい年の幸福を願うものです。
 奈良・東大寺のお水取りや、薬師寺の花会式は、この古代の行事が今も受け継がれているものです。
 そこでは、大導師により一年の平和が祈られますが、それを妨害しようとする霊的なものもいて、それを、呪師(しゅし)と呼ばれる役割の僧が、密教の修法で護法尊を呼び出し、追い払っていました。(東大寺のお水取りでは、今もこの形で行われています。よく知られているおたいまつは、毎日の行を始める際に僧がお堂のなかにはいるためのもので、そのあと深夜、日によっては翌朝まで、堂内で祈りが続けられます)。

追儺

 朝廷では、中国から取り入れた魔を払う行事ー追儺がおこなわれていて、それは四つ目の仮面をつけた方相氏が、矛をふるって見えない鬼を払うというものでした。

 それが平安時代の終わりになると、大寺院の修行会・修二会にも取り入れられ、行事の最終日に、祈りを妨害する霊的なものを護法尊が追い払うさまを、面をつけた鬼を、仏教の護法尊の毘沙門天の面をつけた僧がが追い払う、という形で演じるようになりました(法隆寺にはこの形のものが残っています)。
 それが民間に広まったのが、節分の豆まきです。立春の前日に豆を撒いて、鬼を払います。
 穀物には芽が出て成長し、花が咲き実る生命力が凝縮されていると考えられていて、豆に凝縮された生命力で、魔を払うことが期待されました。仏教の儀礼には、(日本にもチベットにも)魔を払うために米を撒くものもあります(東大寺のお水取りでも行われています)。

宗教芸能から観客に対して演じる芸能へ

 奈良の大寺社の祭礼では、それを発展させた宗教劇が演じられるようになり、そうなると僧侶だけで演じるのはむつかしいので、大寺社に付属する芸能集団(座)がそれを担うようになりました。
 民俗的な事例などから推測すると、座は最初、追われる鬼役を担当し、後に毘沙門天などの追う側も担当するようになり、それは座の人々にとって、特権と感じられたものだったようです。
 そのような座のメンバーだった観阿弥・世阿弥父子が京都に進出して観客に対して演じて成功し、古典芸能の能が生まれました。
 現在の能にも、切能(きりのう)といって、『葵上』『安達原(黒塚)』のような鬼退治の能がありますが、これは世阿弥たち以前の古い宗教芸能の筋立てを受け継いだものです。

 世阿弥の画期性は、同じことを演じても、奈良の大寺社の祭礼と京都の観客では反応がまったく違う、どうすれば京都の観客にも飽きられずに観て貰えるか、そのことを考えて、能芸論と夢幻能の様式が生まれました。
 世阿弥は、当時、特権と考えられていた追う側の鬼の演技を捨て、追われる側の思いに焦点を当て、僧の夢の中で亡霊が思いを語る夢幻能の様式を作り上げました。

放送大学大学院の授業(ラジオ放送)にゲスト出演

 新年度(2022)の放送大学大学院の授業(「日本文化と思想の展開」。ラジオ放送)で2回、ゲストとして出演させてただいて、空海と世阿弥についてお話ししました(収録済)。
 ホストの先生(放送大学の魚住孝至先生)が私に色々質問して、それに答える形の収録で、空海については本を出しているのですが、世阿弥と能についてはあれこれ論文を書いただけで、一冊にはまとめていなかったので、手元にあるものをコピーしてまとめ、魚住先生に送りました。

関連稿

「夢幻能の成立―鬼から二曲三体へ―」『総合芸術としての能』3号(一九九七)、世阿弥学会
「能における夢の機能」『総合芸術としての能』4号(一九九八)、世阿弥学会
「『弓八幡』と『高砂』―祝言能の思想―」『橘香』39巻12号
「高砂のめでたさ―老い・歌・神―」『季刊日本思想史』No.39(一九九二)、ぺりかん社
「『養老』の世界―天皇・民・神仏―」『倫理学紀要』7輯(一九九一)、東京大学文学部倫理学研究室
「女体の能を読む―異類としての異性という観点から―」『総合芸術としての能』7号(二〇〇一)、世阿弥学会
「修羅とその名―世阿弥『三道』における「軍体」例曲の主題―」『倫理学紀要』8輯(一九九二)、東京大学文学部倫理学研究室
「死者の思いを聴く―夢幻能に学ぶこと―」『総合芸術としての能』8号(二〇〇二)、世阿弥学会
「世阿弥の鬼と佐渡配流」『世阿弥佐渡状の碑 建立記念誌』(一九九七)世阿弥配流の碑を立てる会
「『金島書』の構成・試論」『西一祥教授追悼 総合芸術としての能』(一九九四)、世阿弥協会

 この他、学会誌に投稿した論文が2本、『国文学 解釈と教材の研究』(学燈社)、『日本仏教34の鍵』(春秋社)、『日本思想史ハンドブック』(新書館)、岩波講座『日本の思想』(岩波書店)に書いた短い原稿があります。

 拙著『神と仏の倫理思想【改訂版】』(北樹出版)三章3でも、世阿弥の能と芸論について取り上げています。





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