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【全文公開】「チベットの瞑想法ロジョン(心の訓練法)」PR誌『ちくま』2018年12月号掲載

 アメリカでは、人口の一パーセントが仏教徒です。仏教に改宗しないまでも、英語で書かれた仏教書を読み、瞑想を生活に取り入れている「ナイトスタンド・ブッディスト」と呼ばれる人になると、人口の約一割に達するといいます。
 日本の禅やテーラワーダのマインドフルネス(ヴィパッサナー)瞑想と並んで、関心を持たれているのが、チベットに伝わるロジョン(心の訓練法)で、英語で沢山の本が出ています。
 日本では、長い仏教の歴史のなかで、死んだ人のためにお坊さんにお経を唱えてもらうもの、などの固定観念ができあがってしまっていますが、西洋では、伝統がない分、教えがそのまま受け取られ、紹介されている印象があります。
 前著『空海に学ぶ仏教入門』で紹介しましたが、弘法大師は、欲望の対象を追いかけ続けていては、どこまで行っても安らぎが訪れることはなく、結局苦しみに陥ってしまうだけだ、と説いています。これが仏教本来の考えです。
 私たちの社会は欲しいものを追いかけ続けることで高度な発展を遂げましたが、他人と競い合い、策略をめぐらし、蹴落とし、頑張り続けても、どこまで行っても安らぎは訪れることはない、そのことを実感する人が次第に増え、仏教の考えに共鳴し、実践法を生活に取り入れているのです。

 ロジョンは、トン‐レン(直訳すると、与え‐受け取る)と無我の瞑想を二つの柱としています。
 トン‐レンは、呼吸をする時に、息を吐くときは自分の幸せを白い光の形で他人に与え、息を吸うときは」他人の苦しみを黒い煙の形で受け取る、と考えるものです。どんなに忙しい人も呼吸をする暇がない、ということはありませんから、誰でもできそうですが、何の説明もなく、いきなりこれをやれ、と言われたら、躊躇する人がほとんどでしょう。
 仏教は利他の教え、無我の教えで、自分の幸せとは相反するものだと思っている人もいますが、自分が心から望まずに、義務としてこのような呼吸をやったとしても、正しい効果は得られません。
 日本でもチベットでも、自分が人間として生まれたことは極めて稀で得難い幸運だ、ということを実感することから、仏教の実践は出発します。自分に対して肯定的になることができるようになって、その幸せを感じる対象を広げるために、他人の幸せを願い、喜ぶことが説かれるのです。順番を間違えてしまうと、苦しいだけで、望んだ効果は得られません。
 傷つくのを恐れ、私を守りたいという恐怖感が、実は私たちを縛り付けている我執(がしゅう)であって、煙を吸い込むとそれが炎になって如意宝珠(にょいほうじゅ)ーー私たちの本来の可能性、仏性ーーを覆っている我執の汚れを焼き尽くし、取り戻した光が吐く息とともに、自然に相手に届きます。
 トン‐レンの呼吸を続けることで、白い光は枯渇して体に黒い煙がたまっていくのではなく、呼吸をすればするほど、私たちは本来の光を取り戻し、輝く存在になっていきます。
 無我の瞑想では、私たちが絶対にいると信じて疑わない「私」はいったいどこにあるのか、探していきます。分析瞑想という方法です。単に「無我だ」「空だ」と念じるだけでは、「私」がいるというのは観念や思想ではなく、私たちの実感、リアリティーですから、何の変化も生じません。

 伝統的には、仏教は一神教のような教義に従う教えではなく、医学的な発想の教えだといわれます。どのような実践が効果があるかは、人によって変わるため、本格的な実践は、伝統を受け継ぎ、資格ある師の指導のもとでなされる必要があります。
 かつて弘法大師空海や道元禅師や親鸞聖人などが学ばれたやり方が、チベットには今も残っていて、それが現代社会の諸問題に効果があると、脚光を浴びているのです。
 新刊は、私が様々な師から学んだことを、全体像が見通せるように構成したものです。読んだ方の役にたつことを祈ります。

(『チベット仏教入門 自分を愛することから始める心の訓練』ちくま新書を刊行した際に、PR誌『ちくま』2018年12月号に書きました。)


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