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南伝と北伝の涅槃理解の違い

 東南アジアに広まっているテーラワーダ(南伝)と、中国や日本、チベットなどに広まっている北伝の仏教理解の違いとして、仏陀の到達した究極のやすらぎの境地、涅槃(ニルヴァーナ)の捉え方があります。

 テーラワーダは、阿含経典の教えをもとに理論化をおこなった古代インドの部派の流れをくんでいます。阿含経典では輪廻の苦しみを抜け出して涅槃を目指すべきことが説かれており、テーラワーダでは輪廻を離れて涅槃に到達することを目標とします。

 それに対して北伝では、釈尊がインド・ブッダガヤでさとりを開かれて仏陀となったあと、数十年間教えを説きつづけられたことに注目します。それは自分が苦しみから離れるためには必要ない行為です。釈尊が教えを説かれたのは、他の衆生を苦しみから解放するためです。
 空性を理解する智慧によって輪廻の辺にも留まらず、衆生への慈悲によって(輪廻の対立項として捉えられる狭義の)涅槃の辺にも留まらない、「無住処涅槃」(むじゅうしょねはん)こそが仏陀の境地だと考えます。

 これは、南伝と北伝の仏教理解の大きな違いのひとつですが、注意しなければならないのは、これを優劣やどちらの解釈が正しいといった捉え方をしてはならない、ということです。
 輪廻を離れて(狭義の)涅槃を目指すことがなければ、輪廻の辺にも涅槃の辺にも留まらない無住処涅槃の境地に到達することはできません。
 南伝の涅槃理解は劣っているとか、間違っていると考えてしまっては、無住処涅槃に至る道を自ら閉ざしてしまうことになります。

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