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地獄で踊れ【BL小説】

「第2回THE_NEW_COOL_NOTER賞BL部門」に投稿させていただきました。
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 俺の相方は、地獄で踊る天才だった。

「う、ぁああ~~……」
 情けない声をあげ、へなへなと机に突っ伏したその姿は見飽きた光景だ。俺は無駄だとわかりながら大仰な溜息を吐いて「こら、翔。SNS禁止」と叱る。背後に周りPC画面を覗くと、案の定、俺がスマホからアプリを消させたSNSが表示されていた。
「なに、また葦屋サンにフォロワー数抜かれたの?」
「……うん、しかも俺のフォロワー、ヨウちゃんがアプリ消してから二十人も減った」
「俺のせいみたいに言うな。いいからほら、続き」
 勝手に操作してブラウザを落とすと、翔は「はぁい……」としょぼくれた声を出す。
 画面には、ブラスターを構えた精悍な青年の姿。コミックス第五巻の表紙イラストだった。

 そもそものこの男の苦しみは、彼が〝持っている〟ことに由来する。
 大学と並行して通っていたデザインの専門学校で、翔の漫画を初めて見た時のことは今でも忘れられない。ヨレたライブTシャツに着古したデニムという、おおよそまともではない、だからこそある意味量産型な自称アーティスト、俗にいう貧乏アルバイターの風体をしていた翔は、別段目立つ存在ではなかった。唯一異色だったのは、一応彼が高校卒業と同時に就職をしたいわゆる〝社会人〟というのを兼ねているらしいということだった。
「あのさぁ、ヨウスケさん。漫画好きなんだよね」
 何度か会話を交わしたことがある程度のこの同級生が、何故あえて俺に声を掛けたのかは、今でも聞くことができていない。ただこの時俺は、咄嗟に嘘を吐いた。それは警戒からで――つまりはもしかしたら、この瞬間から何かを予感していたからなのかもしれない。
「うん、まぁ、それなりに」
 青少年向け漫画誌のほとんどを買い漁り、本棚にとっくに入りきらなくなったコミックスが床をしならせるほど堆く積まれた部屋で、日夜下手な一枚漫画を描いては消してを繰り返す程度を〝それなり〟というのであれば。
 俺のそんな曖昧な答えにはさほど興味を示さず、翔は自分の話したいことだけを話した。
「ちょっとさ、俺の描いた漫画見てくれない? 実はさ、漫画家になりたいんだよね、俺」
 世界の秘密を打ち明けるように囁いた翔は、なぜかとても嬉しそうだった。

「――誰よりも上手いだろ、翔。気にするなよ」
 肝心の言葉は、もう届いていなかった。恐るべき集中力を取り戻した翔は、画面に張り付くようにペンを動かしている。表紙イラストの作成に、原作者がしてやれることはない。俺は次号掲載分の原稿にトーンを貼る作業に戻った。
 緻密な線で描き込まれるシーンと、荒々しく大胆で力強い見せゴマを自由に行き来する翔の力は、専門学校時代以上に研ぎ澄まされている。構図や見せ方の演出も上手い。初めて翔の漫画を読んだ時、俺は「すごいな」と素直に嘆息した。それから、「でも、話が意味不明だ。俺が話を考えたら、面白くなるかも」とも。
 そうやって一緒に道を踏み外してから五年。紆余曲折の末プロデビューを果たした俺たちは、ありがたいことに少年誌で連載を続けられている。俺は大学を辞め、翔も会社を辞めた。とはいえ原稿料は二人で折半。アシスタントを雇う金もないので、二人きりの共同作業だ。
 苦しいながらも、必死になれる生活は嫌いじゃない。俺はそう思っているけれど、翔は違った。「実はさ、漫画家になりたいんだよね、俺」と笑っていた翔は、いつからか、常に唇を噛み締めている。
 掲載順を気にするようになった時は、プロらしくなったじゃないかと思っていた。次第にSNSのフォロワー数やそこに書かれる感想、しまいには他の作家の様子まで気にし始めた時、俺は翔の目と耳を塞ぎたくなった。
 俺は翔を地獄に連れ出した張本人だ。
「――何が足りないんだろ」
 深夜。エナジードリンクを啜り始めた翔はぽつりと零した。多分この五年で二千回ほど聞いた言葉だ。「上手くなりたい、上手い奴が憎い。憎みたくなんかないのに」「俺の絵、変じゃね?」「才能の無さに殺されるわ」とあわせたら、きっと一万回にはなる。
 答えないのは今更だからだ。翔もそれはわかっている。それに俺は、翔の漫画の足りないところがわからない。
「葦屋さんの年齢知ってる? 俺たちより二個も下、二十四歳だって。すごいよ、どうしてあんなに上手いんだろ」
「読んでたんだ、あの人の」
 翔はいつしか他人の漫画を読まなくなった。俺と同じで、好きだから描き始めたはずなのに。「無理して読むことはないよ、俺が読んで、ちゃんとアップデートしてくから」と伝えたら、「――ヨウちゃんが他の人のほうが上手いって思わないか心配」と言われたことは覚えている。
「……だって、次の新人賞のパーティーで会うっしょ。よく連絡もくれるのに、流石にスルーは無理」
「だからそれも俺が」
 思わず口を閉じたのは、翔の首がカクリと落ちたからだ。続いて聞こえる、息が詰まったような音。こん、と音を立ててエナドリの缶が机上に置かれた。あぁ、こいつ。
「ヨウちゃんも、あの人の方がいいと思う?」
 やっぱりだ、またスイッチが入った。翔の嫉妬スイッチ。
 もう俺はこんなことには慣れているから「はいはい」と鼻で笑って受け流す。でもその度に、喉が張り付くように痛んだ。何度も伝えたことが、心からの思いが、伝わらないのは辛い。
「あの人が評価されているとしたら、話の展開がスリリングだからだろ。それは俺の領分だから、翔のせいじゃないよ」
「でも、」
「本気で言ってる。俺、誰よりもお前の絵が好き。こんなに才能もあって努力し続けられる奴、ほかに知らない。ずっと見てる俺が言うんだからさ、信じろよ」
 最後は目を見て伝えた。何度繰り返したかわからないやり取りだった。
「……うん、そうだよね。ヨウちゃんにそう思ってもらえるのが一番うれしい」
 こんなとき、決まって翔は張り詰めていた表情を崩し、妙に素直に笑うのだ。
「ヨウちゃんは、俺を見つけてくれた神様だからさ」

 それでも結局、こいつはまた地獄に戻るのだ。俺が一番近くで声をかけ続けても、決して届かない。たった一人で、己の才能と他人への嫉妬とでぐしゃぐしゃになったところへ行く。そこに俺は一緒にいけないし、俺を連れて行ってくれることもない。
「――なんだよぉ、眠くなんだろ」
 今度は疲れから姿勢を崩し始めた翔の、乱れた髪を撫でつける。風呂に入っていないから汚いだとか、そんなことは考えなかった。翔も、されるがままに目を閉じた。
「寝るな」
「わかってるよ。寝かせようとしてくるのはお前だろ」
「……不思議だよな、この頭と手が連動して、それがお前の漫画になってるんだもんな」
 俺が本当に神様なら、その地獄に糸を垂らしてやりたいと思う。
 掴んだお前を引き寄せて、ぐるぐる巻きに動けなくして、俺の言葉を信じないお前に、俺の声だけを聞かせたい。そうやって、大人しくなったお前が、俺の言葉だけを信じるようになったお前が、俺だけを見て、一緒に仕事をしていける未来を夢想する。
「もう少し頭良ければ上手くなるって?」
「そんなこと言ってない。好きって言ってんだよ」
 だけどきっと――それは永遠に来ないのだろう。
 地獄で踊るお前は誰よりも強く、誰よりも俺が好きなお前だから。
「――大概疲れてんな、ヨウちゃんも」
 また俺の言葉を信じなかった翔は、やつれた顔で小さく笑った。


〈了〉

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